名探偵コナン ベイカー街の亡霊[DVD]
〇はじめに
劇場版第6作目
これから世襲制についての話をしよう。
身内や親戚、周囲の者に著名人であり何かしら力のある者がいると強がる奴はいませんか。で? お前自身はどうなのよ? 的な。そんなイライラを少しは解消してくれる映画。
〇こんな話
ある日のこと、いやいつの日もか・・・
「俺は最強の武器を手に入れた。いつも勝てないあいつに勝つためだ。今まで勝てなかったのは武器が悪かったからだ。今度こそ勝てるぞ、何せ最強の武器がある」
と意気込む者がいた・・・。
たいていそういう奴は勝てません。自分自身の実力ではなく、オプションに目が行き過ぎ他者の力を自分のモノと勘違いしている連中は。そんな者たちを成敗するべく真の実力者が現れた。その者は言う
「最強の武器ってのは自分自身に宿るもんなんだよ、剣や盾なんてただの道具、オプションさ」
・・・と。その名は、名探偵コナン!!
キャッチコピーは「力が欲しいか~?」「あなたはこの誘惑に勝てるだろうか?」
〇(ザクとは)違うのだよ(ザクとは!!)
子どもたちの違いの演出もなかなかに見事。誰かしらから何の代価も無く手に入れたコクーンバッジを持っている財界人の御子息と、それを限定カードという代償を伴って、交渉(自らの知恵)により手に入れる少年探偵団。自らが考えて行動する一般市民と、(下の者のことなど)何の考えもせず世襲制を謳歌する者たち。さらには歩美ちゃんの一言も気になる。
「コクーンはこれからでも遊べるかもしれないが、ヤイバーカードは今を逃したら手に入らないかも」
現在の地位にいることでコクーンはいつでも遊べるという余裕から、ヤイバーカードを手に入れることを選択する御子息たち。コクーンは結局データが抹消されることになるので二度と遊ばれることはない。これは何を意味するのか・・・?。
まぁ取引の上でお互いにWinWinの関係にはあるわけだが・・・。
〇教育
日本の教育が個性を潰しているというような表現が存在する。だからヒロキ君は海外でのびのびと自分の個性を活かして・・・。
これをどう見るのか。ヒロキ君は個性を活かされることで、革命的な発明をしながらも結局は自殺を図ることになる。才能・能力的に子供でいることを許されなかったがためだ。そして大人の残酷な世界に耐えうるメンタルを持っていなかった故。簡単に言ってしまえば、彼はませていたのだ。そんな彼が創りだしたノアズアークは、ヒロキ君と同じ歳までに成長することで日本のリセットを図ろうとする。ここで確認する。彼を自殺に追いやった世界は個性が活かされる社会である。日本の教育界ではない。
ノアズアークのリセットしようとしている世襲制を謳歌する子供たちは、実は個性が活きるように育てられているという皮肉。劇中でひたすらに自分勝手を貫いている。しかしそれは(ヒロキ君の言うところの)間違った個性、詰まる所のわがまま、無知、無能、・・・要はただのバカだ。
そもそもなぜ日本の教育では個性が抑圧される傾向にあるのか。それは個性の抑圧により、集団の秩序を守るためだ。極論を言えば、多くの犠牲が出るならば一人の犠牲をやむなしとする。御曹司たちに説教するのに公衆道徳という言葉が用いられるのが良い例だろう。 今あなたが我慢すれば・・・、と個人を抑圧し、それが伝達することで、皆我慢しているのだから・・・、と集団に広がりそれがまた個人の抑圧に戻ってくる。この連鎖なのである。この連鎖が秩序を保つ方法として日本では用いられている。それが個性を殺しているという現実に繋がっている。
最後はヒロキ君(ノアズアーク)が自分もみんなと遊びたかったというエゴ(個性)を出したがために、世襲制は根本からは解決せずに、同じ過ちを繰り返していくだろうという皮肉なENDで終わる・・・多分。さらには、ノアズアークの真意は公表されることはなく、コナン君しか知る由は無い。鑑賞者の皆さんは別ですよ。
〇ひとつの真実
~蛙の子は蛙未満~
人間は忘れる生物である。過去の過ちをいずれは忘れる。どんな被害を伴ったのかを。歴史としては覚えている。しかし記憶としては忘れてしまうのだ。経験した者がいなくなっていくというのもある。故に同じ過ちを繰り返すことになる。大きくは戦争という歴史が物語っている。人類の歴史は戦争なしには語れないと言われるほどだ。
この映画は世襲制を見事に皮肉っている。最後はハッピーエンド、生意気なガキたちが改心したかのように描かれるもののそこで話は終わる。ここからは想像であるが、おそらくこの後彼らの親たちはこの事件を問題に取り上げ、徹底的に叩くだろう。子どもたちの意向は無視して。そこに問題がある。彼らは親の権力で、そしてその権力を自分にあるものと勘違いをして横柄な態度をとる。それは彼ら自身にも問題があるが、そう勘違いをさせてしまうような接し方をする周りの者にも問題がある。絶対的な権力者のご機嫌を伺おうとその周りの者たちも絶対的な者と同じような扱いをする。そりゃ勘違いするだろう。さぞ気持ちの良い気分だろうよ。そしてその環境に慣らされての世代交代。お偉いさんと平民との関係性は悪化の一途をたどることだろう。どんどんバカや無能が育って世に出ていくわけです。まぁ皆さんも誰かしらを見てそう感じることが多くあるのではないだろうか。
つまり、彼らは1つの記憶としてこの事件を覚えているに過ぎない。この時は何かしらの教訓となっているかもしれない。しかしまた同じような世界に長々と浸っていれば、その記憶はどうなるのだろうか。
コナン、灰原というキャラがどういうキャラかを浸透させている中で、世襲制について皮肉らせることの狙いは見えている。大体の者が同じような事を考えているのではないだろうか。そこを敢えて彼らに代弁させることで、気持ちの整理をさせると。まぁただの強がりにしか感じられないでしょうけどね。しかし彼らの活躍が慰めになるわけで。
もうひとつ奥の世界へ行ってみよう。
コナンということもあり、主人公というスポットライトを浴びるべき存在と、それを引き立たせる脇役の二種類に分けられる。ロンドンを舞台に繰り広げられるゲームの中で行われる主役と脇役の茶番劇。描写されるだけまだいい。ゲームは5つあったのだ。あとの4つは何の描写も無い。そこがまたおもしろい。脇役にすらならない者たちの存在。個性云々と言っているが・・・
・・・描かれなかった彼らの努力に、意味はあったのか??
〇疑念
工藤優作がゲーム内の言語について日本語にしてくださいと頼む場面がある。そこが気になる。ゲーム内の子供たちを配慮しての発言で何ら問題は無いのだが、工藤優作とはそのようなキャラだったのだろうか。もっと馬鹿なキャラにこの台詞を言わせるべきではなかったのだろうか。工藤優作は英語で理解できてしまい、常人とは少し違うよねというアピールをしなかったのはなぜなのか。実は工藤優作も英語が聞き取れない??
〇最後に
教育の項目でも触れたが、一人だけこのゲームを経験をしていない者がいることを忘れてはならない。ノアズアークがその人物の代わりにゲームをプレイしていた。世襲制の根強さ(いや、安定か)を表している、皮肉っているのだろう。根本的な問題を解決しない限り何も意味は無い。草刈りと一緒だ。地上に見えている草を刈ったところでまたすぐに生えてくる。根っこから引っこ抜かねば。すでに出来上がっている世界観(システム)をひっくり返すには、相当な事をしないとだめなんだ。そんなインパクトを残せないならば、既存のシステムに従順になること止む無しなのだろう。
気ままに映画批評します。よろしくお願いします。 Filmarksにて「foxtrot」という名で作品の点数を整理していきますので、よろしかったらそちらも参照してみてくださいm(__)m
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