2015年2月4日水曜日

楽園追放 -Expelled from Paradise-(2014)

楽園追放[DVD]


~変化~ 

注、この作品好きですよ!! 萌え作品としてね。 

〇はじめに 
 この作品を鑑賞した後に立ち込める決して晴れることがないであろう濃霧はなんだ。エンディングを聴いている時に感動とは程遠い感情に、泣きそうにまでなってしまった。これがこの作品の、このジャンルの限界なのであろうかと。
 比較対象として持ち出すのならば、同じような背景の作品で「インターステラー」というのがある。あちらは愛と言う現象で人類というところを定義しようとした。それがこちらは現代社会批判はわかるのだが、その根本が結局は個人のエゴイズムに留まる。そして敵対する者がひたすらにエスノセントリズムと。その辺に何か規模というか、限界を感じてしまう。いや、人類と言う存在を描く上で、そのちっぽけなエゴという現象をがむしろ重要なのか・・・。  

〇想起する作品 
「リベリオン」(2002) 
「アイランド」(2005) 
「デイブレイカー」(2009) 
「インターステラー」(2014) 

〇こんな話
 主人公アンジェラ・バルザックを堪能するお話。

〇高尚 
 肉体を持つ人間のデメリットをひたすらに排除したディーヴァという電脳世界の住人達。彼らはいったいどこへ向かおうとしているのか。
 主人公たちがディーヴァの盲点をつく演出が、彼らの問題や欠点を露呈化・簡易化させる意味で活きてくる。ハッキングではなく、クラッキングという言葉を使ってるのも、ディーヴァのお上たちのフロンティアセッターに対する姿勢の意思表示であったのであろう。自分たちに反する者、危険となる者をどのように扱うのか。そら即排除ですは・・・と。 
 進化する上で、デメリット・弱点となるものを排除していくことは理に適っている。しかしそれは究極比較対象の消失を意味する。意思が統一されてしまうのだ。1つの絶対的意思の存在。それが正義となり、他が全て悪となる。その前兆が主人公には現れていた。常にオンラインで身体を制御され判断を仰ぐ。わからないことは全てデータと照合する・・・これは普通か。常に答えを提示してくれるからとそちらを信用し、任務として行動に移す。これにより対象何かしらを比較することにより答えを導き出すといった個人での判断がし難くなっている。統一されつつある絶対的意思の下の行動。これは異なる意思を排除するという思考にしかならなくなる危険性があり、且つその思考を増幅させていく。主人公はその意思を放れることで、変化の兆しを見せていく。これがこの作品の一番の見どころである。
 そんな存在と主人公側の比較を終盤でアクションによるスピード感や音響で観せてしまうのはさすがであった。骨で感じさせると言った方が良いか。日本のアニメ界であればこそだろう。


 楽園という表現からの1つの宗教に固執しないように、お上たちを様々な宗教の神を模した像で、そして3という奇数で示したのは良かったのであろう。民主主義における多数決要素だったり・・・??
 しかしそこをね、意見は大きさや数ではないということをもっと示してほしかったというのがある。ヒンドゥー教において世界を構築しているのが亀だか蛇だか象だかで、それぞれを意思を持つ者として描き、それに対抗する意思がたった一体のキリスト像とかにしてね。仁王像も阿吽で二体にするとかね。
・・・まぁおそらく統一されつつある意思、というのを匂わせたかったのだろうと思われる。

〇変化 
 最初にグラマラスな美女を十二分に描き出すことで、その世界観に惹きつけるのはさすがであろう。これぞ萌え文化だと言わんばかりだ。しかしその目を見張るビジュアルを、肝心の物語の演出として活かさないのが難点である。人間とプログラムの対比をする上で、もっとビジュアルでそれぞれの変化を描くべきであっただろう。そこが何とも気に入らない。

 楽園からの者で衣装が際どくエロ要素を追求しており、清純とは程遠いにも関わらず、白という色一色で固定する意味がわからない。彼女の楽園追放からでも色を変化させても良かったのではないか(拘束中は黒かったっけ??)。彼女の何かしらの意思を貫き通すと言う、何色にも染まらないという意志表示だったのだろうか。でもそれはテーマと違くないかと。変化しない偏屈な思想はディーヴァだけで良かったはずだ。割り切る、理解するという他者に歩み寄るというのがディーヴァと対比される人間の特権だったはずだ。それをなぜ視覚的にわかりやすく観せない。終盤CGからよりアニメ画に移行したのであろうか、(まつ毛を濃くし?)活き活きとした表情が描かれるようになった。でも彼女は勝気で頑固で男勝りでツンデレ設定であったであろう。そんな変化は百も承知だ。人間の変化が表情で捉えられる(見分けられやすい)というのは周知の事実であろう。しかしこれはCG映画だ。何分捉えにくい。そんな微弱な変化に留まるのは演出として物足りないだろう。逆にCG映画ならではで、もっと派手に観せるべきだったのではと。せっかく色んなことができただろうに・・・。ディンゴがオンライン捜査網に対して、目と耳と鼻でどうのと言うではないですか。視覚的にね・・・もっとこう・・・。骨でも特に何も感じなかったし・・・。
 彼女の変化もそうだが、最後のフロンティアセッターのハミングだか鼻歌だかのシーンを強調したかったのかもしれない。しかし彼女も人間とプログラムの対比において重要な役割を担っているのには変わりない。人間を模ったプログラムと、明らかにロボット型のAIの対比。人間とロボットとを比較した際に良い指標となる両者の変化をもっと印象付けることはできなかったものか。彼女をひたすらにビジュアルで観せてくるにも関わらず、最後まで視覚的に一辺倒。最後のディンゴとの談笑シーンはまぁ良かった。でもそこにね、もう一工夫できたのではと。楽園追放というタイトルからも劇中の台詞からもアダムとイヴを模してのことでしょ。男女一対で恋に堕ちるであろう二人の中にもっと恥じらいがあっても良かったのではと思えてならない。ディンゴの言動に頬を赤らめる場面があるにはあった。そこをさらに利用してね、いつまでもハイレグではなくてですね、スカートやらズボンを履くとかですね、上着を羽織ってもよかったわけです。単純に服の色を変えるだけでも。そうすれば彼女の心境というか人間の本質的、根源的なところの変化がより際立ったのではなかろうかと。
・・・まぁでも彼女を地球に引きとめるきっかけとして、荒廃した地球が緑に見えるという、あきらめていた、捨てたはずのものに対して何か希望を見出す演出があったから、変化としては恋愛要素だけに留まらずそれでも十分かな~とも思えてくるわけで。でも何か物足りないんだよな~・・・。

 例えばだ、衣装の変化で観せるとしよう。荒廃した地球。一面砂や岩だらけ。太陽光線を直に浴びる世界。人の視線もより通りやすいであろう世界でハイレグ姿の彼女。それが人目を気にするような、恥ずかしがるような演出を入れても良かったのではないか(体調崩してラーメンだかを食ってる時は上着羽織ってたか・・・) 。明らかに地上の民とは異なることをビジュアルで示しているのだから。全身ラバースーツにするとか。肌見せすぎでしょ。これじゃ紫外線にやられてまうわ。あ、褐色少女でも良かったのか。
 欲を言えば、砂埃の舞う(高温?の)世界において何が人の娯楽として存在しているのか。お風呂や水浴びではないのか(まぁ最初ビーチの画だしな・・・娯楽云々どうこうと彼女の口からも語られるしな)。お色気要素さらに加えられたではないか。衣装替えのチャンスとしても使えただろうし。まぁ、よりジャンルはコアになったであろうが。
 さらに欲を言えばもっと器を華奢な身体にすべきだった。最初のグラマラスなボディとのギャップが足りない。16歳相当の身体という設定でロリ要素を持ち込むのはわかる。しかし乳に重点を置き過ぎだ。華奢な容姿にし、その解消として乳ではなくお尻に目を向けさせるべきだった。折角わざわざ後ろからの視点を取り入れてるのにお尻が際立たない(際立っているかもしれないが、私の欲望を満たさない)。歩く姿を後ろから映す時だけでもいい。お尻の揺れやらしわよりを表現できなかったものか。いつぞやの沢尻エリカ様とか材料はいっぱいあったでしょうに・・・。若い張りのあるお尻は揺れないのですかね~。 

・・・といった具合に、主人公アンジェラ・バルザックをよく観察してしまった自分は、製作者の掌の上でしかないわけか。ありがとうございます!!

〇余談 
 天童なびき以来久しぶりに高山みなみさんの女性キャラの声を聴き、その部分はひたすらに萌えた。もっと聴きたかった~。

〇最後に 
 さぁ~てと、「楽園追放」のソフト買ってこよう~っと。

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