~定説~
〇想起する作品
・「レッド・ライト」 (2012)
主人公の見解と超常現象に立ち向かう姿勢。
・「シェルター」 (2009)
こちらも上記の作品と同じような理由。
〇こんな話
有害廃棄物の不法投棄などが原因による、奇跡とは名ばかりの症例。全ての奇跡には科学的証拠・根拠が存在する。という見地、見解を持っている主人公が、ある町で出エジプト記の十の災いを基に起こる超常現象に挑むお話。
〇騙される心理
~天使か悪魔か、悪魔か天使か?~
悪魔とされている人物が実は天使という設定で、それは悪魔とされる町の住民たちを排除しに遣わされたとのこと。住民(悪魔たち)は、それを阻止しようと少女を殺そうと試みるが不可能だと悟る。さぁ~どうしよう。主人公に殺らせようぜ・・・となったわけです。劇中確かに天使と悪魔に関して、どっちがどっちという明確な位置づけはなかった。しかしそのように考えを持って行こうとしているのは感じた。それを勝手に読み解いていく。
まずなぜ天使と悪魔の情報操作が必要だったかを整理する。悪魔たちの目的は彼女に少女を殺させることだった。彼女を村に呼び寄せる方法として、村の不可解な現象の調査を依頼するのだが、それだけでは足りず少女の話を口にする。仕掛け人は主人公に少女を守るためという理由で同情を引き、村におびき寄せたということになる。おっとここで矛盾が生じる。少女を殺すという目的と、少女に同情を引くというところだ。彼女には娘と夫をある事情で亡くしているという背景もあり、そんな彼女の少女に対する同情を、殺意という感情に変換させるのは至難の業である。つまり、少女を殺せるのは彼女しかいないというところに跳び付くあまり、村におびき寄せるということに執着し、連れて来たはいいがそこからが杜撰だった悪魔たち、と言ってしまえばそこまでなのだが、彼らもそこまで馬鹿ではなく、どうにかこうにか天使と悪魔を混同(逆転)させなければとヤキモキする。彼らはどうやって彼女の思考を操作しようとしていったのか。いや彼女が勝手に思い込んでいったのか・・・。
まぁ簡単に言ってしまうと、ひたすらに少女を助けようとするスタンスは変わらないものの、だんだんとごちゃごちゃしてきた最中、愛する者?が死んで、少女にそれを押しつけて殺そうとするに至る、ってな感じ。
・演出 (これは我々への印象操作)
最初に調査している際に主人公が悪魔(サタン)と罵られる場面が存在する。このあたりから天使やら悪魔やらが関わってくるだろうと印象づけられる。天使と悪魔という見方と、主人公視点で話が進むことを組み合わせると、主人公が理解し判断・行動することは、全て善の方向へ導いてくれているという錯覚に陥る。故に主人公が善、調査対象が悪魔という風に。疑ってかかるスキはいくらでもあるが・・・。
次~、町の名前がHAVEN。え、HEAVEN? 向こうの人にしてみたら、まったく違う単語だから何も引っかからんか。私の語学力の無さが伺える・・・。
・誤認
定説の誤認、誤解釈が最後の悲劇を引き起こすであろうENDの原因となった。劇中で起きる出エジプト記に基づく災いをどこに位置づけるのかというところが問題となる。悪魔たちが主人公を、天使(悪魔とされていた)を滅ぼさんとする方向に持っていきたいがため、と、主人公とその周りの者による誤った解釈の提供により、定説の誤認は起こった。正確には定説に対して照らし合わせるべき事象を取り違えていた。しかしそれは最後まで全く(とは言わない)わからない。少女が天使なのか悪魔なのかという混同にばかり頭が行ってしまったからだ。そして一筋縄ではいかないハッピーエンド(エンドレス要素)。悪魔は滅び、少女は救われた。しかし真の悪魔という一抹の不安はぬぐい切れずに終わる。最後やっと納得する。さすがだ、彼ら(悪魔)をはじめに馬鹿にしてしまいすみませんでしたと謝ざるをえない。以下詳しく。
定説とされていたこと
1,初子は刻印を残され子孫を残すために生かされる。第二子以降は全員サ
タンへの生贄として捧げられる。
2,犠牲が払われ完全な子を授かる。無事に思春期を越した第二子がサタン
に生まれ変わる。
3,サタン全盛の時、神は天使を遣わし彼らを滅ぼす。
事実に対して盲目でこれを読み解くと・・・
まず1,2より
村は第一子だけで構成されており、第二子以降はサタンの生贄として捧げられている。その中でローレンという少女は第二子で、且つ思春期を超えるにおいて条件を満たしている。村人たちが善であると勝手に仮定し、出エジプト記における災いは、サタンになるべく少女を守るためのものととれる。故に少女=サタンである。彼女がここを決定的に信じ込むのは、愛する者の死によってである。
次に3より、
出エジプト記の災いの最中、調査と言う形で主人公がやってくる。ある者の助言で天使とは時に聖職者を意味するという知識が付加される。彼女は現在では信仰の欠落はあるものの、以前はそうではなかった。牧師であった。故に条件を満たしており、彼女=天使となる。
彼女が少女を殺すことで、天使がサタンや悪魔たちを滅ぼしたことになりハッピーエンドと。
*補足
父親がこの情報を提供しており、過ちが起きてしまったのはこの人物の所為ではないかと。しかし彼はこの順番による解釈を提供した後に何者かに焼き殺されてしまうので、おそらく悪魔たちの掌だったのでしょう。後々解釈を正されても困りますから。すなわち最後の最後まで悪魔たちの想定内と。
しかし実際は順番が異なり、
1,初子は刻印を残され子孫を残すために生かされる。第二子以降は全員サ
タンへの生贄として捧げられる。
2,サタン全盛の時、神は天使を遣わし彼らを滅ぼす。
3,犠牲が払われ完全な子を授かる。無事に思春期を越した第二子がサタ
ンに生まれ変わる。
・・・となる
明かされていく事実を基にこの順番で読み解くと・・・
1の事項が描かれていなかったのだが、終盤になり村でこの生贄が行われていたことが発覚する。そして少女の記憶により、悪魔たちが少女を殺そうとしていたことが発覚。ここで少女=天使であると確定する。そして村人たちが悪魔であったと。
ここまでは良かったんですよね。もう一段階ありまして、悪魔もしっかりとやることをやっちゃってまして、お腹の中には・・・。主人公に娘(第一子)がいたというところも問題になってくるわけです。彼女が天使であるというミスリード、単にトラウマや信仰から遠ざかった理由だけの演出ではなかったと。
そもそも定説となっているものは、ある程度順序立てて解説が為されているのではないのか。まだまだ解明や解釈に難がある神話が多いのだろうか。むしろ大きなイベントをループさせるために、誰かしらが作為的に間違ったカタチで記しているものがあるのかもしれない。それに解釈は人それぞれで、それが伝言ゲームなカタチで伝えられているものもあるからな。そりゃぐちゃぐちゃになってるものもあるわなとも。
〇余談
・字幕・吹替えに一言
今はpHをペーハーとは言わんぞ・・・。まあペーハー値という言葉にしていたので、値(あたい)的な意味を強めたかったのでしょう。ピーエイチ値(ち)とは発音しにくいでしょうし、聞き取りにくくもあると思うので。別にどっちでも良いんですけどね・・・
・さりげない台詞
ある妊婦が、主人公の「お腹の中の子供の性別はどちらか」という問いに、「どっちでもいい」と答えるのである。これが最後関係してくるとは思わなんだ。
あと男がね、妻の墓前で男の子を望んだどうのこうのとね。
彼女の発言の中にも、ちょくちょく考え方に関するヒントが散りばめられている。
「赤い水(ある現象)の説明ははいくらでもできる」
「木を見て森を見ず」
・・・などなど
〇最後に
トラウマなどにより彼女の少女を守るという気持ちが、迷いや混乱のある中、愛する者の死により殺意に変わる。終始悪魔は天使を殺そうとしており、天使は災いにより悪魔を排除しようとしている。三者を比較してみた場合に唯一意思の変化が見られるのは人間だけなのだ。う~む、おもしろい・・・。
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