2015年2月14日土曜日

YES/NO イエス・ノー(2012)

YES/NO[DVD]


~とある宗教の洗脳テクニック概略(実験と名指された)~ 

〇こんな話 
 TRUE LOVEというキーワードのもと行われる実験で、閉鎖的空間に閉じ込められた男女(夫婦)がそのキーワードである真実の愛に近づいていくさまを描いた映画。 
*TRUE LOVE は 愛こそ真実と訳されている。 

〇真実の愛へ 
 表向きは仲のいい夫婦でも、裏はいろいろドロドロしていまして、そんな中その夫婦はそれでも相手を信じられるのか・愛せるのかとひたすら問われる実験に巻き込まれるわけです。 この実験は二人の全容を知る何者かがいて、二人に対して断片的な確実に疑心暗鬼に陥る映像を見せては、これでもかこれでもかという具合に質問していきます。で、最終的に二人は互いに全てを理解し、受け入れ真実の愛にたどり着いたと・・・。はぁ?
 ぶっちゃけ、訳分かりません。こんなのただの洗脳です。この先二人に待ってるのは信頼でも信用でも真実の愛でもありません。ただの信仰心です。こうやって人は何かに縋りたくなるのです。 状況的には執拗な取り調べと同じです(映画の知識ですが・・・)。閉鎖的空間、絶対に受け入れられない供述、威圧的な刑事。無傷で脱出は不可能とわかれば、唯一の希望に縋って最小限のリスクでの選択をするでしょう。いくらでも抜け穴はあるわけです。この二人はなぜか真実の愛を掴み取ることだけが脱出の鍵であると思っていたようですが・・・。そんなところに何が真実の愛ですか。

 人間は言語が発達したために100%の相互理解は不可能となりました。なぜなら他人の感情の度合いがわからないからです。それを表現するのが言葉ですが、自分の思考と言葉での表現とでは誤差が生じます。感情と言葉が100%一致することはないからです。さらにその表現の受け手によっても誤差が生じます。同じ表現でたくさんの意味や度合いを表現するからです。それらを補おうと表情や身振り手振り等使いますが、やはり限界があります。でもそれがいいのだと私は思うのです。完全相互理解とはおそらくシンクロ状態に陥ることです。仮に今日みられているものがあるとして、それは今まで過ごしてきた経験によりある程度先読みする程度のものだと思っています。しかし、シンクロ状態が完全なものになったとしたら・・・どこまでが相手でどこまでが自分なのか? 究極それは個性がなくなります。
‐‐‐ここから話が飛躍‐‐‐ 
 進化の果てにひとつの完全なる意思のもと人類(と呼べるものかはわからない)が存在することになる、可能性すらあるのです。そうなれば区別の基準が統計学的なものではなく、その崇拝されるべくひとつの意思となります。お互いに関心・無関心とか言ってる場合ではなくなります。

 仮に100%の相互理解が可能としてお互いにその人の全てを知ったらその先に何がありますか。次に知りたい(欲しい)ものが必ず出てくるでしょうが。人間は欲の塊です。完全理解したものなどにもう興味は示しません。底が知れるということは飽きがきたと同じことなのです。常に新たな発見を求める。それが知です。ということは完全相互理解したカップルに待つのは破局のみです。 お互い秘密があるから不足しているものがあるから、それを知ろうと補おうとコミュニケーションをとるのです。その溝を埋めあう(理解し合おうとする)行為こそが愛(につながる)だと私は思うのです。そしてそれは確実にゴールがない。あきらめるのか、あきらめず追求し続けるのかの違いがそこにあるだけです。

〇最後に
 結婚とは元来、分離されていた二者の再統一であり、その二者一体の関係に置いてエゴを犠牲にするための試練である、とある本で読んだ。この作品はそれを表現したかったのかもしれない。

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