~所詮ひとりの人間であるということ~
〇はじめに
総じて言えば「人の上に人はつくれず」ということなのでしょうね。 なんという皮肉。見事なり・・・、はぁ~。ってな感じになります。
〇立場と責任
人の上に立つということはそれなりの責任とプレッシャーが伴うことで、立場が上なほどそれは大きくなる(人によるかもだが)。それがローマ法王なんてものだったらなおさらプレッシャーは半端なものじゃないだろう。自分の行動が影響を与える範囲がでかすぎる。それに伴い行動が極端に制限されてしまう。しかし、先代たちがそんな立場を全うしてきたのもまた事実。それを見習い、次の者たちにつなげようとするのが責任というもの。この流れは・・・、ありなのか?
俺は絶対やりたくないという意志をはっきりと示し、ドンと構える方がかっこいい。しかしこれはコンクラーヴェ。選ばれし者はというと・・・逃走する。最後はガツンとやってくれますがね・・・。
コンクラーヴェがローマ法王たる人物を選び出すものではなく、ローマ法王という責任をなすりつけあう場になっているのが何とも笑えてくる。この結果はその典型と観ていいのかもしれないが、どうだろう。そういう人たちもいるというのを理解しろということなのか。 ローマ法王だからといって、何ら我々一般人と変わりは無いということか。責任を被る立場なんて誰でもゴメンですからね。好き勝手身軽に生きてきたいと言うのが本音でしょう。しかしそれを許されず仕方なく立場を全うすると。そんな皆さん、投げ出すこともできるんですよ!! その結果どうなるかは・・・・
〇最後に
コメディ映画として観ていたら何と、最後何のオチも無い。いや、最大のオチがあったのか。この映画を笑い飛ばせるぐらいの気の持ちようで生きていきたい。
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