2016年2月26日金曜日

俳優 亀岡拓次(2015)

~人物像~


〇はじめに
 正直さっぱりだったな~。総じてわからない。緩急、落差、ギャップを観せないのは意図してか・・・

〇想起する作品
 相棒 シーズン1 第10話 「最後の灯り」


〇こんな話
 俳優亀岡拓次。


〇人物像
 アラン・ペッソ監督が絶賛した大砂漠を独り歩く後ろ姿が全てなんかな~・・・

 見渡す限り砂だらけの大砂漠に残っている彼の足跡を観せたのは・・・


 亀岡拓次とそれぞれの人物とのやり取りがひたすらに続く。自分よりも若い監督や俳優、慕ってくれる後輩、ベテラン監督に大女優、そしてお店の女の人たち(あずみ含む)。

 彼の立場がひたすらに不確かで不透明、浮遊感満載。彼の立ち位置が定まらない。彼という人間の決意や揺らがない信念等がひたすらに見えない。これは狙っていたのだろう・・・か。それが彼という人間であると。

 敢えてだとして、彼の1人の女に対しての恋をどこか亀岡拓次という存在の救済の拠り所として描いてみせたと。麻生久美子がま~堪らんわけだが。タートルネック良いよね~。彼女を割り当てたのも訳あってだろうとま~勘繰るわな。元歌手だったキャバクラの女性の件も挿まれるし。それなりの歳であろう女性が手伝いを始めて1カ月だと。何かあるでしょと。さらにはどうせ人妻か彼氏でもいるだろうという想起してしまう件を敢えて観せる理由よ。わかんね~な~・・・、わっかんね~んだよ。


 何でも屋というか器用貧乏というか、突出して優れた能力は無いものの・・・、いや奇跡を起こすと言われているわけだが・・・

 彼という才能を認める者がいる。脇を固める有名どころの俳優陣が彼という存在を評価していく。山崎努の表現が個人的にはツボだったわけだが・・・ 我々の亀岡拓次の評価は伴わず、終始彼らの言葉が先行する。大御所が良いと言えばそれは全て良いものだとするのか。業界の気質で済ませられるのか・・・ 

 この辺りもひたすらにわからない。微妙なのよ。営業トークみたいなものがあるじゃないですか。お世辞というのか。ご機嫌取りとも。夜の街におけるやり取りと、撮影や舞台における現場のやり取りとを交互に観せられて。ここらへんの指標がさっぱりなのよ。どこまで彼という存在が認められているのか、浸透しているのかという。信用っつうのかな~。我々が判断できない。繰り返される演技だったり、配役を逆にしての演技だったりを見せて比較させたいのか知らんのだけど・・・、うん、さっぱりなのよ。

 一番はアラン・ペッソ監督の極秘オーディションよね。彼の敬愛する監督から評価されているという件がそのまま、新人俳優にもされている?と想起される描き方がされている。選ばれる事態がすごいことであるからそりゃ当然な事なわけなのだが。後輩がおだてているし、最後アラン・ペッソ監督からも言葉が掛けられている・・・

 ここに字幕入れてるのも何かわからんのよね。最初通訳を挟み言葉を介しているわけだが、ラストのところで亀岡拓次は直接監督に言葉を掛けられる。彼はその賛辞の言葉を理解していたのか? 単にこれは麻生久美子の件を観せられての鑑賞者への配慮なのか。ここは字幕無しでも今までの彼の経緯を観て亀岡拓次という人物が称賛されているだろうと想起させる事がベストだったのかどうなのか。・・・ってなところがまたわからないから、わからないんだ。


 彼が眠っているシーンが何度も挿入されていた。これは夢(理想)と現実みたいな件も兼ねてるのか。じゃあどっからどこまで?って深く考えるほどのものなのか・・・、そうでもないのだろう・・・



〇最後に
 いや~、とあるインタビュー記事を拝見したが、境界を設けないのは意図してだとか。ん~、それが全体に広がってるのよね~。メリハリつけるべきところでさえってなところにまで。脚本なのか、撮り方なのか、どこが問題なのかはわからないが・・・ いやそれさえも意図してなのかな~、わからん。

 ではでは・・・



0 件のコメント:

コメントを投稿

悪女 AKUJO(2017)

~アクションは爽快~ 〇はじめに  韓国ではこの方はイケメンの部類なの? 〇想起する作品  「ニキータ」  「アンダーワールド」(2003)  「KITE」(2014)  「ハードコア」(2016)  「レッド・スパロー」(2018)...