2016年2月19日金曜日

信長協奏曲(2016)

~単体では辛い~

〇はじめに
 原作及びドラマ未見。とりあえず最初焦った。え!?そっから??

 この作品を愛する方々を批難する気はさらさらありません。映画単体で観た1作品としての評価をつらつらと書き付くります。


〇想起する作品
 「ラストサムライ」(2003)

 「蒼天航路」
 「僕はビートルズ」


〇こんな話
 信長やってたけど何か質問ある?

〇総評
 まず冒頭の信長が自らの死を知る場面。現代から過去にタイムスリップをし、家臣及び帰蝶等々から信長として認められていく過程が見えてこそなのだろう。・・・が、何らピンと来ない。

 そして彼が信長として歩んだ、平和な世界を築こうとするがための足掻き。これが教科書に記載されている歴史と何ら変わらないことが示される。歴史は変わらない、変えられないのだと。さらに彼は自らで平和な世界を築きたいんだと強調する。彼の強い意志が示されるわけだ。もう少しなのにと。これを踏まえ歴史は繰り返されるということに頭が行くと・・・、おそらく見える人は彼の死後も受け継がれる意志があるとして繋がると連想できてしまうことだろう。この瞬間、何とも安っぽさを感じてしまう。注意されたし。

 

 太陽と月という単語が出てくる。これは単に「天命」という単語を出したかったからだったのか・・・ 自転云々とか・・・ 月って太陽の光を反射して輝いているんですよ・・・。日食やら月食やらを散らせてもおもしろかったと思うが、そんなことは一切触れられなかった・・・ ドラマの方ではあったのかな? いや本能寺の変や影武者というところで掛かってたのかな? 地球は丸い、地動説絡めるだけで精一杯か。

 そのくせ時間という概念が曖昧なんだ。別に気にするところではないのであろうが気になって仕方なかった。いや、彼が築いてきた愛する者や仲間(部下)との関係を重要視しているのだからこれはいただけないのではないか。そもそも彼はいったい何年にタイムスリップしたんだ? 

 1582年に織田信長が死ぬという情報だけで、三郎がいつ死ぬのかというところを曖昧にしたいのはわかる。本能寺という1つのキーワードと、もう1件あるというところが見どころなのだろう。しかしだ、カッパなるものが同じく未来からタイムスリップをしてきており、最後のメッセージを見せられることになると、なぜにスマホは使えたのかと。充電が持たないことで知られるあの産物をどうしてどうして使用できたのかと。ま~気になる気になる・・・ 気にさせんとするところにどんどん矛盾や違和感を生んでいってしまう。

 全体的に伏線(と呼べるかはわからないが)を張り、(フラグとしておくか)こまめに回収していくのはうまかった。しかしその確認作業が多すぎてどうも長ったらしい。しつこい、くどいんだ。ドラマを含め2時間でまとめられないのはこのためなのだろう。

 1つに台詞の嵐。三郎はひたすらに平和を叫ぶ。秀吉に復讐からは何も生まれないとまで説く。しかし映画仕様なのかどうなのかはわからないが、彼は敵兵をばったばったとなぎ倒していくのである。へ? どうなんだこれは? 彼はひたすらに争うことの無い世界を築き上げると言っている。復讐どうのは? 彼が倒した兵士たちには何の情けも与えられない。彼こそがこれから起こる戦の原因を創り出すということに頭は行かないのか・・・ 本来の信長と秀吉の件を全面に押し出しているのに・・・ 「キングダム/見えざる敵」を観なさい。

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 毎回毎回台詞や回想シーンで事実確認が行われていくわけだが、毎回毎回同じことを言う、同じことを聴く、同じものを見る、という状況がどんな状況なのかという考えは浮かばんのかな。愛は言葉やカタチにして毎回確認したいとか何とかはよく言われるけどさ。仕事上の問題でさ、そんな状況ってどういう状況さ。信用や信頼を示す演出の妨げになると思うのだがな。劇中だけでなく、製作者と我々鑑賞者のよ。その人間の言っていることを聴き入れていないということでしょうが。秀吉の復讐心に関してはうまく作用していた様に思うが。そういう場の雰囲気読めないんだろうな~・・・ 木を見て森を見ず。いや木すら見えてないよ。よくいますよね。自分という時間だけで見えたものを勝手に繋ぎ合せて結論に至る人。散りばめられている情報を収集分別できずにとんちんかんな事をのたまう人。いい加減気付けよ。今までその流れの中にいなかったのに突然割り込んできてよく知ったような口聞けるよねホント。

・・・ほぼ愚痴ww

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 彼が目指す平和な世界とはどんな世界なのかという問いかけになっていると思ったんだ。自らに付き従う者のみで構築された世界。異端の者はひたすらに排除した世界。それはいったいどんな世界か。


 総じてアメリカディスなのかとも感じた。どこにオとすのだろうと期待した。しかし何も無かった・・・

 そもそもだ。彼は平和な世界を築きたいのだと豪語しているが、歴史が変わっていないとわかった時点で、彼の知っている平和な世界がいずれ訪れるであろうことは明白であろう。それなのに彼は敵をばったばったとなぎ倒す。ここに少なからず疑問を投げかけてほしいものだ・・・


さらに問題は・・・
 この作品はひたすらにモブキャラが馬鹿なんだ。都合が良すぎる。信長家の家臣たちの馴れ合いや対立、ゴタゴタ・・・ま~ドラマ部分をひたすらに見せつけてくるのに末端の歩兵たちの描写は皆無。描く必要は別段無いだろう。しかし私は思うんだ。彼らにこそ焦点を当てるべきなのではないかと。いや描かずとも想起させるように観せるべきではないのかと。彼らこそ、盲目であり、一番に我々に近い存在なのだから。

 しかしそんなことを微塵も考えずにおそらくほとんどの人間が主人公クラスの者たちの思考に頭が行く。そんな全容が見えている人間などいないのに。そして勘違いするんだ。彼らのようでありたいと。そして柔軟性の無い凝り固まった頭が形成される。残念で仕方がない。これは偏見だが。


 ま~中高生向けの内容なのであろう。社会系の科目は勉強において何とも退屈であり、あまりに意味・意義を感じない。そんな者たちがこれを観て少なからず興味を抱けばくらいの認識なのであれば、ドラマ部分を観せるだけでも十分に機能しているのではなかろうか。

 しかし一時期戦国ブームだかが来たが、結局は美化されたキャラクターが好きなのであって、歴史という概念(この表現は適切ではない気がする)にアプローチしているのではない。おそらくこの作品も例外ではないだろう。



 もうあまり言いたくは無いのだが・・・

 彼がタイムスリップして何年が経っているのか? 彼はその時代に何年いたのか?

 歳を取ったことだろう、相当。そして何年に帰ってきたかもわからないが、カッパから手紙が届く・・・ そして世間を騒がしているニュースは松永の逮捕である。彼の失踪に関しては一切触れられていない・・・ 頭こんがらがっちゃったんだろうな~。

 ・・・ま~、どうでもいいんだけどさ。


〇最後に
 ここに来てまだまだ言いたいことが・・・

 一番気になったのが、信長が秀吉の元へと向かう際、帰蝶と別れ寺の敷居をまたがずに「ドン!」と踏むシーンですよ。これにはいったい何の意味があったのかが全くわからない。神仏に対しての怒りがあったのか? 通の方は石山本願寺の件だけで納得できるものなのか・・・? 単に作品に関わった方たちが何も考慮しなかったのか。三郎という人物の無知さを表現するところなのか。
 N〇Kの某番組にて小栗旬がとある学校を訪問した際、校長先生に対してマフラーをはずさずに挨拶する画を見ているんですよね・・・ そんな方たちが作ってるんだな~・・・と少し落胆しているところにこれなんだよ。ま、別にいいんだけどさ。

 何かな~・・・、これ絶賛している人はもっといろんな作品観てほしいな~。ここで他作品のおもしろさを伝えられればと心掛けてはいるけどさ。届かない人には届かないからさ・・・とほほ。はじめの言葉を忘れてしまっていた、失礼。


 ではでは・・・




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