~評価~
〇こんな話
とある男の物語。
〇評価
ワンカット手法により役者である主人公の全てが映し出される。役を演じている彼、夫であり父親である彼、バードマンな彼、その他もろもろな彼。その境目を見せることなく、繋げて映し出すことが最後のオチにつながる。
彼は過去の栄光に縋ろうとする。それにより終始現実と妄想の世界が入り乱れる。こんな俺を観てくれと。しかし本当の自分はいったいどこにいるのか、あるのかと・・・
彼は評価されたい一心で様々な決断をするわけであるが、裸で街中を歩く動画が再生数を抜群に稼げたように、ネットにおける評価は数字が大きな意味を持ち、良くも悪くも数字は足されてしかいかない。増えてしかいかない。彼が意図した自分、観られたい自分、評価されたい自分とは異なろうともだ。
つまりラストの解釈の仕方についてなわけだが、私的見解を述べさせていただく。我々は劇中における彼の全てを観て、何を・どこを・どのように評価するのか、という問い掛けが為されているわけである。
ラストで彼は死んだのか、生きているのか。仮に死んだとしてどこで死んでいたのか。生きていたとしていったい何になったのか。バードマンになったとして、それは現実なのか妄想の産物なのか。バードマンと認識したのは誰だったのか。妄想だったとしてどこから妄想だったのか。
*最後だけなんですよね、空想(妄想)から現実に戻らないのは。戻ったという描写が無いのは。
〇最後に
解釈を一様にしないことを好まない方々がいらっしゃると思うが、これは仕方が無い。
・・・というよりも、その意見も評価としての1つに入っているという大きな考えを私が持つべきだったのだな。
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