2015年7月7日火曜日

HERO(2001)

HERO


~人間味~ 

〇こんな話 
 検事のイメージ、ちょっと変えてみよ!

〇人間味 
 それぞれのキャラが立つ。役者のおかげもあるだろうが、それぞれがそれぞれに対応している様が何ともうまいと感じる。完璧な人間が1人としていない。足りない部分をそれぞれが補い合っているのだ。故に久利生の被疑者に対する姿勢が活きてくるわけだ。やったかやってないのかという結果だけでなく、一見無駄話・与太話から入るスタイル。これが人間を掘り下げる。これは不完全であるからこそ為し得る所業である。互いに働きかける必要がある関係性だからだ。 
 それでいて皆が集まるバー。ここでは何でも出てくる。何でも揃っている。不完全な人間たちとの対比なのだろう。しかし当たり前に出てくるという人間の反応ではなく、「え?あるの?」と驚くような反応にしているところがまたミソだ。必要だと思う時に必要なものが丁度あることの有難味。
 人間は当たり前のものに晒されすぎると、それが当たり前であると錯覚し、その有難味を感じなくなってしまう。いや、当たり前とも認知しない、あることすら気付かない連中ってのはそれぞれの分野に確実にいるわけで。その一例でデスクワークに慣れた連中と現場で一心不乱に働く連中との比較があるわけで。別の作品だと、「事件は〇〇で起きてるんじゃない!!」という名言があったりする。紙面上画面上のデータばかり追う者たちは、人を見ない。過程よりも結果を重視しがちなのである(偏見)。データは結果しか映し出さないからだ。そんな奴らにぎゃふんと言わせる話がいくつかあり、久利生という人間を観てきているからこそ、痛快痛快。

 この当たり前という言葉。先入観や前提という言葉でも代用できる。久利生がすでに流れの決まった事件に関して、再アプローチを始めるスタイルがそれにあたる。傾いた思考を一旦公平なところに戻す。久利生こそが正義であると思い込みがちになるのだが、彼にも通販に対する先入観があることがそれをまた足止めする。彼にもまた別に先入観があるのだ。他の連中と同じくだ。


 
〇余談 
 物語が動き出す際のBGMが何とも気持ちを高揚させる。 

 最終話だかで、上の連中を引きずり下ろすと言っている政治家と、コーヒーサイフォン?を交互に映し出していたのがくどかった。自然に落ちてくるの待ってるってことだったのでしょう。

〇最後に  
 劇場版までに間に合うか・・・

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