字幕翻訳:林完治
~対立~
〇はじめに
試写会にて鑑賞。
スパイものをあまり鑑賞しない人間による評価である。
〇こんな話
スパイを引退した男が、弟子やCIAやロシアやらを相手取り、まだまだ若い者には・・・と奮起するお話(適当)。
新旧対決がメイン・見どころなのだろう。冷戦期の対立を現在の時代に置き換えて描いていくことを根幹に、師弟(新旧)対決を中心に演出として盛り込んでいる。原作も師弟対決かどうかはわからないが。
〇対立
原作が冷戦時代を背景にしている作品であり、本作品も米ロの対立がメインの軸としてある。これを軸に、ロシア大統領(候補?)とCIAという国よりも若干狭まった組織間の対立があり、さらに小さく師弟関係を中心とした個人間による対立が存在する。スパイものの、こういった対立を経た小さい正義が巨大な悪に挑んでいく構図は非常におもしろくあるのだが、何分この作品はわかりにくい。というのも対立関係が大きなものから小さなものへと下って行った場合に、2者の対立関係から3者の対立関係になってしまうからだろう。そして劇中ではその3者の対立関係から、上の方を展望することになり・・・、むむむ??となる。
・国
「アメリカ VS ロシア」
・組織
「CIA(米) VS ロシア大統領候補?(ロ)」
・個人
「師匠(米?) VS 弟子と愉快なCIA捜査官たち(米) VS ロシアの殺し屋(ロ)」
・・・こんな感じであるが、まぁそれが見どころか。
ここにミラという謎の人物、チェチェンのテロの黒幕、中東問題?・・・などなど盛り込んでくるからもう整理できない。こんな私のような人は多くいるのではなかろうか。そしてただのアクション映画と成り下がる。いえ~い、ドンパチはじめろはじめろ~、と。
・師弟関係
ピアース・ブロスナンのスパイとして独自の流儀を持ち、且つ洗練された迷いの無い立ち回りはさすが。それに対抗する、上のどんな命令にも従うのみで、自らの意思を任務に介さない弟子。この両者の行動や心境がどのように変化していくのか、どう捉えるのかが面白味か。
主人公ははじめ、弟子の命令無視と故意(命令)により、子供と恋人(女性)を死なせている。これにより一方的な被害者となる主人公。我々にとっては「主人公=正義」で物語が始まる。弟子が1つの対立する悪として描かれるが、主人公は彼を親友だか友人だかと述べているシーンが観られ、弟子も師匠に対してのコンプレックスしか感じられない。最初の任務において主人公が路チューをする弟子をたしなめるシーンが存在し、その後弟子はプライベートにおいて他人と深く干渉しないという師の教えに忠実な演出も為されている。さらに相対する場面で、両者互いに真に殺そうとはしておらず、関係は常に曖昧だ。
一般的なスパイものとしては、主人公となるスパイが絶対的な正義として描かれ、それを中心に信頼や裏切りを演出するのが見どころか。しかしこの作品は先ほども書いたが、善悪の構図が曖昧である。序盤は悪が弟子よりに傾いているのだが、それが一旦師匠側に傾く場面が存在する。師匠が弟子の恋人を傷つけるのだ。おそらくこの辺から、劇中における世界観の善悪と言う構図が、傍から観てはっきりしないモヤモヤしたものであると伝えようとしているのではなかろうか。しかしこれが物語を理解させる上で難点であることも確かであろう。単純化される対立関係では無い分、誰に自分を投影していいのかがあやふやだ。我々が頼るべき正義と言う主柱が見えない。故に物語に入り込みづらいのではなかろうか。
スパイ合戦においては、相手の弱みを握るという目的のための手段となる情報戦が鍵となる。いかに相手を出し抜こうとそれぞれが躍起になる。師匠から弟子への教えもあったのだが、師匠自身も実は秘密があったと。似た者同士ということだったのだろうか。
最後気になったのは、師匠が弟子に対して指をパチパチする過去回想が入ったことだ。おそらく今まで常に指示を仰ぐか、言いなりであった弟子が、自分の意思による判断で行動を起こすという弟子の成長的な演出であったのだろうが、下手をすると催眠(後催眠暗示)的な意図で汲み取ってしまう(・・・それはないかな?)。
・ツボ
主人公がCIAとの対立を確かにした後、敵となるCIA指令室だか本部だかに電話で問い合わせることで情報をまんまと聴きだしてしまうシーンがある。携帯の識別番号だか、音声認識だか、本人の認証コードだかで仲間かどうかを判別するシステムを逆手にとるのだが、応答をした女性は主人公に何の違和感もなく仲間と認識し、ぺらぺらと情報を伝えてしまうのである。そこに主人公の顔がニヤリと映り、鑑賞者もニヤけるであろうシーンだ。私はここで多少なりとも鑑賞者全体で笑いが漏れるものと思っていた。誰かが吹かしてしまうのを期待していた。それにつられようと思ったからだ。しかしまったくの無反応であった。そこが気になる。スパイものというのはこの辺で笑うのではないのか?? 何か他の鑑賞者との溝を感じてしまった・・・あっれれ~??
このシーンは師弟関係における力量の差というのが測れるところだろう。唯一師匠のトリックに気付き、抵抗を試みる弟子。師匠と対立するCIA捜査官内において、彼が一歩リードしていると。しかし師匠にはあと一歩及ばない。これからこの師弟関係がどのような方向に向かうのであろうかという対立関係をさらに深めるのに重要なシーンでもあった。
〇余談
ロシアの殺し屋さん脚ほっそ。もっと美脚披露させるシーン作ればいいのに、もったいない。柔軟シーンちょっとしかないもんなぁ~。
ドローンもほんのちょっとしか出てこないし・・・。チラシになんかウリみたいなノリで書いてあったぞ~い。
〇最後に
主人公視点で常に観られれば、謎が謎を呼びスリリングな展開が楽しめるのだろう。しかし、ロシア側や弟子となるCIA側の情報も割と筒抜けになるため、それがミラの正体や、CIAにおける黒幕、師弟関係の行く末も予想がついてしまう。そこをむしろ楽しむべきなのか、割り切るべきなのか・・・。後々答え合わせをされても、その奥にあるであろう真の対立関係をあまり理解できなくなる。
今日、歴代作品でスパイ活劇が楽しまれる要因としての多くは、鑑賞者が知識として過去にあった何かしらの事実の原因やら結果を知っている・持っているからというのがある。ここ数十年?のスパイものではアメリカとソ連の対立(冷戦)という事実がよく盛り込まれていただろう。疑問なのは、そのような作品を現在進行形で観ていた方々は、盛り込まれている構図(対立)を理解できていたのだろうか、ということだ。歴史としてこんな対立があった、こんな結果になった、今もこんな関係が続いている・・・というように、過去の事実として受け入れている経験や知識があるからこそ見えてくる世界観がある。そこにおもしろさを感じるのである。
この作品は米ロの現在の対立を描いているようだが、それが作品の中だけでなく、現実問題として現在進行形の社会情勢であるが故だろう、ピンと来ない。これは真相を探る主人公視点を、我々の現在と位置づけて見渡してみると感じることができる。先ほどから何度も書いているが対立関係が曖昧なのだ。なかなかに実体が見えてこない。この項の最初ではその様子をスリリングな展開と書いたが、それが狙いだったのだろうか。結果として見えていない、どちらにでも転ぶであろう現在進行形の社会情勢が捉えられない。個人、組織、国という間でそれぞれ見え方や決断が異なってくるだろう。そんな複雑な情勢を感じてほしかったのだろうか。情報網を張り巡らし、テレビやネットの報道に目を通していれば、この対立ははっきりと見えていたのだろうか。そしてそれはどこまでが事実として明かされているのだろうか。これから明らかになっていくのだろうか。そんな不透明さをもたらす我々の生きているリアルタイムという状況が、このような作品を楽しむ上で枷となっている。もう少し社会の動向がはっきりしてきたとき、この辺の事実が過去として捉えられるようになったとき、この作品がどのように見えてくるのか、というのをいずれ確かめてみたい。
・・・勉強不足だな~。もう少し網を拡げなきゃだなぁ~、はぁ↓↓・・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿