2016年12月18日日曜日

人狼ゲーム プリズン・ブレイク(2016)

人狼ゲーム プリズン・ブレイク


~ルール~


〇はじめに
 ルールに粗が見えるのが気になる。これが意図してなのかそうでないのかの線引きができない。どうしたものか・・・




〇想起する作品
 「サバイバルフィールド」(2009)



〇こんな話
 プリズンとは何を指すんじゃろうな?



〇ルール
 狂人という役割。ここの認識が私の想定と全く異なっていた・・・ あれ?

 狂人の勝利条件に関してで。


















 私はこの文面から狂人の勝利は村人と人狼のどちらが勝利しても勝利だと解釈してしまったんですよね・・・ そんな有利な条件が通るわけないか・・・

 それ故に狂人の利は村人側につくか人狼側につくかを選択できることだと思っていた。つまり状況に応じて立場を変えることができる。優位性を確保できると。そしてその行動により混乱が来され疑われもすると。要は場を掻き乱すことができるわけなんだと。わざわざ自分の安全を冒してまでも他者を蹴落とすというエゴに結びつけるのだと。

 まぁでも狂人という輪区割りは主人公だろうことは想定できていたし、そんな性格じゃないからおかしいなとは思ったんだよ・・・

 「ですが」という逆説と「場合に」という限定で村人勝利では勝利にならないということを補足できているわけなのか。

 ダメだ、ルールすら理解できていなかった・・・。


――――――

 首輪故のルールの強制力。命を握られているから従わざるをえないという境遇。ではこの足枷が無くなったら? 果たしてルールに従う必要があるのか? ルールは適用されるのか? ルールからの解放、ルール外の存在となったら?

 ここに集団のいじめのお話なのかな。

 幼馴染をいじめから救ってやれなかった。止められなかった。最終的には不可抗力だとしてもいじめに加担してしまう。集団の狂気は歯止めが利かなくなる。いつの間にかに一部となっている。抜け出せなくなる。

 あいつらとしてゲーム主催者を大人どもと定義しているわけであるが、最終的に悪者が誰なのかを明確にしていないのがミソか。諸悪の根源を定めない。ゲーム外の存在を描いていない。しかしゲーム(ルール)には強制力があった。だからこそ参加者は人狼ゲームという舞台(枠)で踊らされた。そして1人でもルールを破れば連帯責任として全員処刑すると。

 1人は全員を、弟すらも見捨てて逃げた。1人は過去の負い目もあり1人を救った(1人を見捨てた)。後者は見捨てた事よりも過去に対処できなかった事態との対比と見るべきなのだろう。

 最後絶対的だったルールが画面に映し出される中、首輪を外したことでルールから除外された2人が逃げている様が描かれる。諸悪の根源を排除して終わりではなく、そもそもそんな根源的なところから問題を解決することなどほぼほぼ不可能な現実。彼らにて1つの対処法(選択肢)が示された。ここからどうするかはこちら側に降りてくる。






〇疑念
 こういうところにはもっと気を遣っていただきたい。




 この子は岡本夏美という子なのだが・・・

 下の2つは連続したシーンである。この子の足に注目していただきたい。




 どうだろうか?


 この監督の前作もそうなのだがおそらく意図せずだろう粗が多すぎる。おそらくは配慮に欠けるのである。ルールというところを強調するのであればもう少し徹底していただきたい。

 ま~突き詰めていったら往年の名作と呼ばれるモノにもいくらでもミスはあるのだが・・・




〇最後に
 なんだかんだおもしろいんだよなこのシリーズ。またやるなら観てしまうんだろうな。



 ではでは・・・




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