~当事者~
〇はじめに
この頼もしさよ・・・
〇こんな話
事故物件に住んでみたけど質問ある?
〇当事者
未解決事件の真相を追うノンフィクション作家。過去に一発当てたことがありそれに憑りつかれている節がある。過去の栄光を再びと。真相究明よりも富や名声に頭が行っている。いや、過去の成功から真相究明ができれば必然的に富や名声に繋がると考えているとした方が正しいか。
しかし事件解決に結びつくかもしれない証拠を握っていながら警察に提出しようとしない。仮にこれを警察にまかせたとして相手にされるかはわからない。最初の保安官とのやり取りにおいては非協力的な様が描かれた。しかし副保安官は彼のファンであり率先して協力を申し出ている。
彼は警察の見落としを、捜査ミスを本にて正すことができた快楽を知っている。自らが一番事件に精通しているのだという自負。富や名声のためでなく、自らの本により正義が達成されることがベストだとしているが、これは自らが正義であるという承認を得たいのだということとも受け取れる。副保安官でもそれを示している。自らがその事件の真相究明に携わったという証拠(謝辞)が欲しいのだと。
1度は真相を解き明かした。しかしそれ以降は的外れもいいとこな推理を展開したと保安官に嫌味を言われている。
推理の真偽はともかく今までにエリソンが扱ってきた事件がどういったものかということをまず踏まえる必要がある。彼は今までに起きた事件を取り扱っていた。つまり過去へアプローチしていたわけである。今現在それは起きていない、続いていない。安全地帯からのアプローチ。
そんな中での今回の事件。決まって一家の子供が1人失踪しており、同じ記号が残されているという共通点を見つける。連続殺人であるという痕跡を。これが過去の事件との繋がりを浮き彫りにし、逆に今も尚続いている(続こうとしている)事件なのかもしれないことを想わせる。エリソン一家に繋がるものかもしれないものだと。
連続殺人鬼として同一犯であることと見せるとともに、さらには犯人が我々が認識できる者、つまり人間であるとして推理をし始めている。ここもまたキーだろう。そして辿りついた1つの真相。
他人事だった事件が一気に現実味を帯びてくる恐怖。我々は第三者ではない、当事者であると。
殺人事件の直接的な犯人がブグールではなかったというところがもう一捻りあって。ブグールは子どもを唆しているだけで、実行犯はその子どもであること。ここがもう何ともね・・・
事件を結びつけたのはエリソンだったわけだが、最後に決定的な繋がりを見出したのは副保安官であった。警察は事件をより結びつける情報を有していた。真相を究明できるほどの情報をどこよりも誰よりも有していたことになる。警察との協力体制が敷けていれば・・・ これは今回の事件だけでなく、彼の今までのあり方をも見つめるべきところだろう。
それ故に全てにおいて中途半端だった主人公の選択が悉く裏目に出るのが皮肉となっておりやるせない。家族のためだと自己正当化していたものがやっと本当に家族を想ってとしたときに・・・
事件への入れ込み具合没頭具合を外から聞こえてくる声で時間を気にする様で見せていたのはあ~なるほろ~となった。
ドアに鍵を閉めるというところで観せたのもうまかった。鍵を閉めたか否かというのは忘れやすい。一種の強迫性障害なわけだが、気になりはじめるとそれが頭から離れなくなる。確認したくなる。度々指摘されたり、鍵を閉める画を入れたりしている。それが開いているのである。自分を疑えばいいのか、それとも何かしら別のところに原因があるのかというところが曖昧になってくる。
あれPCの電源落としたよな? 映写機もしまったよな?? 償却した映写機がなぜここに??? といったところにも繋げていてもうやだやだ。
〇最後に
ほらほら~、良い貌してるよ これが良いのかい?
こういうプレイなんですかそうですか・・・
ではでは・・・
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