2016年12月26日月曜日

少女(2016)

~イッツ・ア・スモールワールド~


〇はじめに
 本田翼サイコパス映画かと思ったらそうではなくこのJKという多感な時期だからこその闇を抱える少女というだけ。以前も指摘したがこういったダークなキャラが本田翼の真骨頂だろう。だがしかし残念ながらこの時期の闇は彼女にはもう出せない。違う闇を抱えているのだから(知ったか)。

 私のために猿蟹合戦やってくれないかな~(´▽`*)



〇こんな話
 遺書?? ぽか~ん・・・


〇イッツ・ア・スモールワールド
 世界は広いのだとする2人の少女。これに対して世界の狭さを見せていく。2人が個々で別々に関係した人間という広がりから、2人へと収束させていく。世界の広さと世間の狭さを、人と人との繋がりというもので描いていく。ここに希望と絶望が見える。


 何かに優越を感じたい。自分だけが知っていることがあると知ってもらいたい、知らしめたい。他人をこき下ろす事で誰かと同じ土俵に立っていたいとしがみつくのはどの世代年代になっても変わらない。

 これをまだできる人間ならいい。他人を蔑ろにしようと自らの立ち位置にしがみ付こうとできる人間なら。それができないからこそ口を閉ざしていく。どうせ理解できない。いや、相手に理解してもらおうとしない。いや、理解してもらう自信が無いんだ。相手に届く言葉を表現を有していないと塞ぎ込む。

 これが最後の心情吐露の場面に活きてくる・・・

 ゆきの小説は賞を取るためのものでもなんでもなかった。ただ一人、たった独りの人間に向けて書いた作品だった。このオとしはうまかった。そこに至るまでの本田翼は本当にうまかった。



 ただ、誌面に載ったことで救われた人間もいる。小説はどうのと講釈垂れて自殺した男がいたが、この面は否定できない。小説のモデルは、誰かを思い浮かべ誰かのために書いていることが、別の人間にも当てはまる場合がある。そこに救いを見ることができるわけである。同じような悩みを抱えている人間がいると。

 たった独りに向けたモノが、それ以外の人間を救い、奈落の底へと突き落としもする。

 独りの人間を救いたい気持ちと、それを蔑ろにする盗作というエゴ。2人の狭い世界の外に広い世界が広がっている。2人の世界が通用するという希望と、逆に彼女ら2人が逃れようとしている闇がどこにでも存在するという絶望が垣間見られる。

 痴漢冤罪にて示談で済ませる者と、無実だと戦う者と。どちらが陽の目を見ているのか。

 道が見えないのが怖いのか、道が見えるのが怖いのか。



 多感な時期故の想像力の豊かさと、その反面実際を目の当たりにするとその想像とは異なるが故の恐怖や不安を本田翼が多様に観せている。


 そんな世界というものへのアプローチからいったい何を見つめ何を想うのだろうか。




〇最後に
 本田翼の不器用さが功を奏し役に見事にフィットしており、山本美月はひたすらに可愛いい。しかしこの2人だからこそ、一番にJKというところが活きてこない。どちらを優先するかは難しいところ。


 ではでは・・・




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