~混沌~
〇はじめに
こういう作品を作れる人がいて、観る人がいて、評価する人がいて、9・11は起きた。問題の根深さが伺える。
〇想起する作品
「ジャスティス」(2002)
「クローズド・サーキット」(2013)
〇こんな話
FBIの国内における捜査から、CIAの国外への活動を見る作品。
〇勝負
FBIは国内、CIAは国外が管轄である。
最初のバスブルーペンキぶちまけ事件。これが犯罪として成立するのかとやりとりにて笑みがこぼれているわけだが、これがただブルーペンキ(だけ)が爆弾に変わっただけで状況が一変すると見せている。そこを不安視する主人公なのだが、この時点での彼の視野では読めないモノがあった。
その後とある事態に対してFBIの捜査が展開される。真相を究明しようと、大元をしょっ引こうと証拠を多少イジったり(これは結局無かったことになる)、容疑者を泳がせるということをしていた。尾行がバレ逃走を図られてしまうのだが、その際たまたまその場に居合わせてしまった街の人々が巻き込まれてしまっていることに気付く。これは彼らがその後に対処していくことになるテロ行為と大まかに観れば同じことになる。ターゲットを絞るものの無関係の人間を巻き込んでしまう。相手取る者が何者かわからない不鮮明であるが故の、大まかなターゲット故の弊害。おそらくはこの事件事態に対する展開が今作の縮図だったのだろう。
バスジャックにしろ、学校の立て籠もりにしろ、中の状況がよくわからないというところも暗示があったのだろう。外側から得られる限られた情報から事態へアプローチする、いやせざるをえない中でどう対処するのか。交渉失敗を受け、交渉の余地無しとして闇雲に突っ込み結果的に解決を見る様子を観せた。失敗したからといって交渉という判断は失策だったのか否か。結果的に成功したからといって強行突入が正しい対処の仕方だったのかどうなのか。この場にて、事件にて確かに解決を見たかもしれない。ただ、その対処をこれからの全てに適用していくのか否か。
度々FBIが、CIAが有する機器だったり、軍が使用していた機器だったりに茶々を入れてるのよね。情報を仕入れるための手段として用いるものの精度というところでね。この辺もうまいんだよな~。
CIAは国外における活動が主なわけだが、FBIにおけるこの国内での捜査の仕方を国外にほぼほぼ同じカタチで展開しているのである。CIAがFBIに助言している画も観せた。情報屋、スパイの存在。芋づる式に、より強大な悪を求めて手段を講じていく。大は小を兼ねる。小さい悪は多少なりとも見逃し、大きな悪を追い詰める。
ただFBIとCIAで異なるのは手順を踏むか否かというところか。1つに法律というしがらみ。絶好機ならば規則を無視しても良いのか、いや確実性を上げるために段取りは重んじるのか。管轄が国内故、国外故の価値観の違いは見どころで。
負けを大きくするか小さくするか、というところが1つ議題に上がる。これはどこまでを想定しているのかというところで。しかもこれは大局を見据えるというところに繋がり、その大局とはいったいどこからどこまでなのかというところがFBIとCIAの有している情報で異なっている。そんな中で目の前にある勝利を着実に積み上げるのか、結果的に(大局での)勝利を導ければいいのか。
そこに拷問の件がある。自国の犠牲を最小限にするために敵国の犠牲など尚の事止む無しと考えているのである。たった1人の犠牲で有益な情報を入手できるかもしれない。しかしそれに伴う弊害はどうだったか。そもそも敵とは何なのかと。戒厳令において軍が行った対応は「疑わしきは・・・」とその民族系の人間全てを対象とし隔離するというものであった。
自国を守るという理念は同じだが、FBIは勝つために戦っており、CIAは負けないために戦っている。この衝突が劇中ひたすらに観られる。何かしらの決着を望むのか、来るべき事態の引き延ばし先延ばしを狙うのか。
例えばバス爆破テロにおいて見えた衝突。交渉という手段で目の前の犯人と向き合うのか、犯人の一番の狙いを排除しようとするのか。これは見えている大局により異なってくる対応だと言えよう。
で、まぁどうすりゃいいのよって話なんだよね・・・
来るところまで来てしまった事態に対し、FBIとCIAの対応をひたすらに観せられ、根本的に解決する方法・手段なんてあるんかねと・・・
1つの事件を解決するに当たり、大元をしょっ引くまでの間に様々なネットワークを要する(介する)。その上でそのしがらみに伴って生まれてしまうひずみゆがみ。解決する手段であるはずのものにより、新たに解決すべき事態が発生してしまう。徹底的な捜査であればあるほど、捜査に全力を注げば注ぐほど、それは大きく広がっていく。
テロリストの形態も変わっているのだと。絶対的な統括者がいるわけでなく、個々独立し機能しているのだと。1つがダメでももう1つ以上。
国内の捜査における慌ただしさはこれでもかと観せられた。究極は戒厳令だった。これが世界中に大なり小なり広がっているわけである。しかも1つだけではない、複数が同時に進行及び展開されているわけである。それが複雑に絡み合い、情報共有も為されぬまま。全てを知っている者はおらず、闇雲に対処していくしかない。1つの事態に対しては最善策であろうとも、別の事態を加味すれば最悪の選択となることもあるのだろう。その問題が山積みになっているのが今のアメリカなのか。
〇最後に
問題が山積みというよりもうとっ散らかってるんだよね。まだ積んであるだけマシだったのに、対処していく過程で山が崩れて、探そうにも整理しながらというより新たに別の山を無造作に築いたり崩したり・・・
う~む・・・
ではでは・・・
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