気ままに映画批評します。よろしくお願いします。 Filmarksにて「foxtrot」という名で作品の点数を整理していきますので、よろしかったらそちらも参照してみてくださいm(__)m
2016年12月30日金曜日
かつお便り
今月中に、いや今年中に劇場鑑賞したものは載せなければと思いつつやっと重い腰を上げてみれば未投稿の作品が山積みで何にもまとまらず・・・
来年に持ち越しというカタチでなるべく早くに片づけていかなければと思っている今日この頃・・・
とりあえずランキングだけでも残しておこうかと・・・
2016年劇場鑑賞におけるベスト11
1位 この世界の片隅に
2位 好きにならずにいられない(2015)
3位 ブリッジ・オブ・スパイ(2015)
4位 ブルックリン
5位 海よりもまだ深く
6位 ハンズ・オブ・ラヴ 手のひらの勇気(2015)
7位 君の名は。
8位 ボーダーライン(2015)
9位 ハドソン川の奇跡
10位 怒り
11位 シン・ゴジラ
・・・なぜ11なのかは追々意味づけをするのでお待ちをm(__)m まぁ単純に
ギャグみたいなもんなんですけど。
よ~し、明日から・・・、来年から頑張るぞ~
ではでは・・・
2016年12月28日水曜日
戦場ぬ止み(2015)
~現場判断~
〇はじめに
まずこの作品を観て思ったのが、店員と客(クレーマー)の関係。双方通そうとしている筋が違う。一見衝突しているように見えるが、それは物理的なもの(身体的な接触)であって、議論するべきそもそもの論点及び前提が食い違っている。
〇想起する作品
「ザ・タウン」(2010)
「わたしはマララ」(2015)
〇こんな話
米軍(辺野古)基地問題。
〇現場判断
反対運動を制止するから賛成ではない。
デモを制止する警察が悪者の様に映ってしまいがちだが、彼らは仕事をしているに過ぎない。正確には、反対運動を阻止することを目的とした職務ではなく、ただあの現場における治安維持を目的とした職務だろう。その治安維持活動が結果的に建設を推進させることになっていたとしても、ここを捉え違えてはいけないだろう。この辺りの配慮はもっと欲しかった。
とある場面、私には完全に反対運動の人間たちが悪者に映った。「ザ・タウン」という作品にて全く同じ手段を以て銀行強盗が行われていたからである。お前の家や家族は全部わかっているのだと脅しをかけていたのだ。責めるべき場所が違うのである。
そして同じ場面であるが、機動隊を罵る男と機動隊とを遮っていたのはALSOKのヘルメットを被る者たちだった。彼らはもしかしたらアルバイトの若者たちではなかろうか。さらに県外の者もいたかもしれない。実際のところどうかはわからない。劇中においては彼らに対する発言は見られなかったものの、これからの世代を守る戦いにおいて、その矛先を向けているのが若者であるという構図(矛盾)に我々は何を見るべきなのだろうかと問われている気がする。
劇中登場するのは、言い方は悪いが全て下っ端連中である。語弊はあるが、何の権限も持たない者たちである。基地の移設建設埋め立てにおいて決定権を持たない者たちである。そんな者たちがひたすらにひたすらにやり合っている。いったい彼らは何と戦っているのか。彼らの想いを踏みにじる者たちに、なぜ届かないのかという悲痛な叫びを訴えている。
しかしだからこそ彼らのもっと根源的な反対理由を明確に示すべきだったとも思う。「わたしはマララ」でも気になったことだが、子どもに反対を主張させるという行為。これは子どもでも間違っているとわかることとして、ターゲットとする大人が嘘つきである(間違っている)ことを際立たせたいがためだろうが、ではなぜその子どもは反対しているのだろうかというところを説明できるのか。ただ漠然と、従うべき大人を見聞し流されているだけではないのだろうか。
―――――
ざっくりとは根っからの阪神ファンの家系から巨人ファンが誕生するのか否かといったところだ。
―――――
悪い事を悪いと言う姿勢を否定しているわけではない。悪いことを明確に悪いと定める作業が難しい場合が存在することを考慮に入れるべきであると感じているだけだ。この作品はどうしても反対側だけの主張、一元的な見方をしていると感じさせてしまう節がある。
ものの見方捉え方というのは、教育においてとある段階をショートカットできるわけである。悪く言えば親から子への、大人から子どもへの洗脳である。つまり価値観を押し付けているのではないかともとれてしまう。
今行われている反対運動の引き合いに、歴史的な活動が取り上げられている。こういった運動が繰り返されている、定期的に開かれていることを意味し、受け継がれている意志があると見て取れる。つまりは、ただ何かしらに「反対すればいい」という主張だけ残っているのではなかろうかという懸念を抱かせることに直結する。
しかしそんなひたすらに反対を主張する彼らを映し出すからこそ、彼らを説得していない、いや説得できない、もっと正確には彼らの前に立って堂々と説明できない姿すら見せない者たちが尚更馬鹿に思えてくるのである。ここまでがこの作品の本来の意図かどうかはわからないが。
次の世代のために戦う。しかしそれは今の生活を保障できてこそ為し得ること。まずは今の生活である。とある家族の住む家は大きな家だった。つまり反対派の人たちは現状それなりの余裕がある人たちなのだと映る。
そこに補償金問題。これが生活を保証するものではなく、口止め料となっている節がある。国からの圧力だけではない、反対派からの圧力もである。魂を売った連中であると。そんな確執が見え隠れする。
その反面、困難な試験や訓練を潜り抜けて来た者たちが反対派を食い止める。彼らはなぜその職に就いたのか、耐えられたのか。反対派からそれを問われる場面があるが、それは言わずもがなだろう。いや反対派の人たちもわかっていて敢えて聞いているのか。
〇反応
反対運動における主な目的の1つは、反応を引き出す事である。警察の場合、事が起きなければ、ある程度の事態にならなければ介入できないという制約を逆手に取っている。これがある種パフォーマンスとして機能し、且つパフォーマンスとして受け取られているのが現状だろう。そしてそのパフォーマンスが独り歩きしている面もある。県外の人間がただ騒ぎたいのみで参加しているデモ活動も多いのではなかろうか。そんな情報を鵜呑みにし、外野がワ~ワ~言っているのがネットにおける論争であろう。しかしこれが悪い面だけではないのがまた複雑な(おもしろい)ところで。
注目をさせたいという目的が達成できているわけである。賛否両論巻き起こすことがそれに繋がるわけである。注目を集めれば、議題に挙げることがまず第一なのである。
1人の漁師が本気で反対するなら陸路のゲートを封鎖するよりも、海に出て守るべきだと言っていた。確かに現地人からしてみたらその方が効率的であるのかもしれない。しかし何分県外の人間からしてみたら地味である。ならばゲートを塞ぐ、押し寄せる民衆という構図を観せた方がインパクトは出る。それを見越しての活動なのだろうことは伺える。
それと共に先ほども書いたが、そんなパフォーマンスという要素が独り歩きしている感が否めない。なぜ反対しているのか。ここをもう少し掘り下げて描いてほしかった。
〇最後に
何のために辺野古に基地を作るのか。何のために反対しているのか。この辺りをもう少し掘り下げないとダメだな個人的に。勉強不足。これをきっかけとしたい。
ではでは・・・
ハドソン川の奇跡(2016)
字幕翻訳:松浦美奈
大分こちらに載せるのが遅くなってしまった・・・
〇はじめに
先日放送されていたアナザーストーリーズをチェックしてから鑑賞したのだが、何やらどこかで見た顔がいるではないか。ハドソン川の海軍だと言っていた男、ヴィンセント・ロンバルディだ。劇中は半信半疑だったが、エンドクレジットに‟HIMSELF”の文字が浮かび上がる。やはり本人だった。監督のリアルさを追及する上での粋な計らい(こだわり)だったようだ。他にも関係者が出演しているとの記事があった。
〇想起する作品
「フライト」(2012)
〇こんな話
ハドソン川の奇跡と呼ばれたお話。
〇英雄と奇跡
このハドソン川の奇跡は9・11で始まったアメリカの暗雲に光が差し込めるニュースだったようだ。イラク戦争やリーマンショックを引きずっていたアメリカが新時代を迎える上での。奇しくも同じ日にブッシュ政権が終わりを告げ、新たに始まるオバマ政権の門出を祝うものとなった。
今当に米国で新たに大統領選が行われているわけだが、再度この奇跡を作品として観せるには何かしら意図があるのではないか。オバマ政権にてアメリカの新時代が幕を開けたわけだが、いざ蓋を開けてみたら対外政策に関しては消極的であったとの声もある。そんな今だからこそドナルド・トランプのような変革を謳う少々過激な人間が人気を博してもいる。
サリー機長を「英雄」として祭り上げ、ハドソン川の「奇跡」として語り継ぐ。ご時世がご時勢だけに明るい話題を取り上げ、何かのきっかけとしたい世間の目は頷ける。しかしここを一歩引いて観る。
大統領選真っ只中のアメリカにこの作品を広める事が、クリント・イーストウッドの冷静さなのではなかろうか。ただ奇跡という結果だけを語り継げばいいのだろうか。その前後関係や背景はどうだろうか。
最後のサリー機長が語る「全員が・・・」というところなのだろう。原題「SULLY」ということで、彼が起点(基点)として描かれているのは間違いない。しかし彼独りが英雄なのではない。あの場に直面した全員がいたからこそ、ハドソン川の奇跡として取り上げられた事態だったのである。「誰か」、ではない。「誰もが」、なのである
〇前例
サリー機長が管制塔へ「エンジンが止まった」との連絡を入れる。管制塔の返しは当然のように「どちらのエンジンだ?」と。さらに管制塔で上に情報を上げる際にも全く同じやり取りがある。
これが仮に前例があったとしたやり取りであれば、エンジンが止まったとの報告を受けた際に、もう少し広い視野で見ているはずなのである。両方止まっている可能性が頭に入っているはずだからだ。
前例の無い事態へのアプローチを考える。
今作で問題となるのは飛行機の着水というもので、着水の成功例は極めて少ない(前例が無い)のだとか。この事実を知っておかないと少々厳しいものもある。
事故調査委員会の方たちがどうしても悪い風に映るのは致し方ないが、ここで陥りたくない危険な思想は、成功すれば何でも構わないというところである。結果が全てだからといって成功すれば何でも良しとできないのは言わずもがなだろう。
機長の訴えが言い訳として映った人もいたのではないだろうか。自らの罪を逃れるために、正当化するために調査結果を突き崩したいのだと。ただの独りよがりではないのかと。
百発百中の方法が常に選択肢としてあれば問題は無いが、確実にそうではない事態に陥る場合がある。その際の選択として例えばだが、100回の内99回成功する方法と、100回の内1回しか成功しない方法とでどちらを選択するだろうか。100回の内99回成功するが何かしら犠牲を伴うことになる方法と、100回の内1回しか成功しないが代償が全く無い方法とどちらを選択するだろうか。
よりベストな選択とはどんなものだろうか。
機長と調査委員会とでなぜ差が生まれるのか。乗客の命を守るというところでの見解の一致を見せないのはなぜなのか。
結果からのアプローチにはなるのだが、前例を作ってしまう側と前例を作らないようにする側。リアルタイムでの事態への対処と事後調査。ここを踏まえなければならないだろう。そしてマニュアルという存在もだ。
今回の対処は結果的に正しかったとの決断が下される。しかしここで解せないのは結局のところ彼だから成功させたと言う事実が後を引くことである。調査員の1人がサリーという要素が欠かせなかったと表現する。それに対してサリー機長の最後のフォローがあるわけだが、これだけでは補いきれないものがある。だからこその最初の機長の悪夢を見せているのである。
サリー機長の悪夢(トラウマ)から映画は始まる。結果としては助かったものの、もしかしたら別の結末を迎えていたのかもしれないという示唆である。最悪の事態を回避した機長自身で描いていることに意味がある。これは彼が、彼自身が自らの選択に自信を持てていないという証拠でもある。
結果的に確かにサリーが正しかったことになる。しかしその選択をする上では何を想い何を背負っていたのだろうかと。その選択故にもしや・・・、があったのではなかろうかと。事後判断されることよりも、その最中に何があったのかが重要なことなのだ。
とある場面。搭乗するはずの便がキャンセルされたとかで搭乗口に駆け付けた家族。そんな彼らの搭乗を許可するスタッフがあった。この場面、本来踏むはずだった手続きをショートカットしている。彼女の機転によってである。これは彼女の臨機応変な対応であり親切心である。この現場判断こそがサービスを突き詰めることであり、逆にサービスという質に個人差が生まれる根源である。どこまで目が行き届くのか、気を配れるのか。そしてどんな事例に当たってきたのか。これは単純に個人の資質もあるが、大きくは経験という差がもたらすものだ。
ここで注目すべきがマニュアルの存在である。これは何のために存在するのか。
個体差を無くすためである。そして個々の能力の水準を高めるためである。正確には最低ラインを定める。そして引き上げる。これを航空会社(という組織)としては重要視しなければならないのである。個人の資質や能力(経験)に偏らない一定水準以上のサービスの提供。この場合サービスとは言わないのかな? 大まかに言えばこの対処をしていれば責任は逃れられるというもの。仕方なかった、やむを得ない事態だったと。
サリー機長が乗員乗客の命を救うという信念と同じように、航空会社はこの前例を通してこれからの乗員乗客の命をも保証していかなければならないわけである。
調査委員会の者が締める。コックピットにおけるやり取りを、録音テープを機長と副機長と共に聞いたのは我々にとっても前例が無いことだったと。ここで涙が出たね。
この両者の姿勢が見えてきてこそ、この作品が真に問いたいことが見えてくるのではなかろうか・・・
〇最後に
クリント・イーストウッドって全面的にではないにしろトランプ支持だったんですね。へぇ~。彼なりの頑固な考え方があるようで。「グラン・トリノ」でも何か逸話があるみたいで。世界はどうなっていくのでしょうか?
ではでは・・・
大分こちらに載せるのが遅くなってしまった・・・
~前例~
〇はじめに
先日放送されていたアナザーストーリーズをチェックしてから鑑賞したのだが、何やらどこかで見た顔がいるではないか。ハドソン川の海軍だと言っていた男、ヴィンセント・ロンバルディだ。劇中は半信半疑だったが、エンドクレジットに‟HIMSELF”の文字が浮かび上がる。やはり本人だった。監督のリアルさを追及する上での粋な計らい(こだわり)だったようだ。他にも関係者が出演しているとの記事があった。
〇想起する作品
「フライト」(2012)
〇こんな話
ハドソン川の奇跡と呼ばれたお話。
〇英雄と奇跡
このハドソン川の奇跡は9・11で始まったアメリカの暗雲に光が差し込めるニュースだったようだ。イラク戦争やリーマンショックを引きずっていたアメリカが新時代を迎える上での。奇しくも同じ日にブッシュ政権が終わりを告げ、新たに始まるオバマ政権の門出を祝うものとなった。
今当に米国で新たに大統領選が行われているわけだが、再度この奇跡を作品として観せるには何かしら意図があるのではないか。オバマ政権にてアメリカの新時代が幕を開けたわけだが、いざ蓋を開けてみたら対外政策に関しては消極的であったとの声もある。そんな今だからこそドナルド・トランプのような変革を謳う少々過激な人間が人気を博してもいる。
サリー機長を「英雄」として祭り上げ、ハドソン川の「奇跡」として語り継ぐ。ご時世がご時勢だけに明るい話題を取り上げ、何かのきっかけとしたい世間の目は頷ける。しかしここを一歩引いて観る。
大統領選真っ只中のアメリカにこの作品を広める事が、クリント・イーストウッドの冷静さなのではなかろうか。ただ奇跡という結果だけを語り継げばいいのだろうか。その前後関係や背景はどうだろうか。
最後のサリー機長が語る「全員が・・・」というところなのだろう。原題「SULLY」ということで、彼が起点(基点)として描かれているのは間違いない。しかし彼独りが英雄なのではない。あの場に直面した全員がいたからこそ、ハドソン川の奇跡として取り上げられた事態だったのである。「誰か」、ではない。「誰もが」、なのである
〇前例
サリー機長が管制塔へ「エンジンが止まった」との連絡を入れる。管制塔の返しは当然のように「どちらのエンジンだ?」と。さらに管制塔で上に情報を上げる際にも全く同じやり取りがある。
これが仮に前例があったとしたやり取りであれば、エンジンが止まったとの報告を受けた際に、もう少し広い視野で見ているはずなのである。両方止まっている可能性が頭に入っているはずだからだ。
前例の無い事態へのアプローチを考える。
今作で問題となるのは飛行機の着水というもので、着水の成功例は極めて少ない(前例が無い)のだとか。この事実を知っておかないと少々厳しいものもある。
事故調査委員会の方たちがどうしても悪い風に映るのは致し方ないが、ここで陥りたくない危険な思想は、成功すれば何でも構わないというところである。結果が全てだからといって成功すれば何でも良しとできないのは言わずもがなだろう。
機長の訴えが言い訳として映った人もいたのではないだろうか。自らの罪を逃れるために、正当化するために調査結果を突き崩したいのだと。ただの独りよがりではないのかと。
百発百中の方法が常に選択肢としてあれば問題は無いが、確実にそうではない事態に陥る場合がある。その際の選択として例えばだが、100回の内99回成功する方法と、100回の内1回しか成功しない方法とでどちらを選択するだろうか。100回の内99回成功するが何かしら犠牲を伴うことになる方法と、100回の内1回しか成功しないが代償が全く無い方法とどちらを選択するだろうか。
よりベストな選択とはどんなものだろうか。
機長と調査委員会とでなぜ差が生まれるのか。乗客の命を守るというところでの見解の一致を見せないのはなぜなのか。
結果からのアプローチにはなるのだが、前例を作ってしまう側と前例を作らないようにする側。リアルタイムでの事態への対処と事後調査。ここを踏まえなければならないだろう。そしてマニュアルという存在もだ。
今回の対処は結果的に正しかったとの決断が下される。しかしここで解せないのは結局のところ彼だから成功させたと言う事実が後を引くことである。調査員の1人がサリーという要素が欠かせなかったと表現する。それに対してサリー機長の最後のフォローがあるわけだが、これだけでは補いきれないものがある。だからこその最初の機長の悪夢を見せているのである。
サリー機長の悪夢(トラウマ)から映画は始まる。結果としては助かったものの、もしかしたら別の結末を迎えていたのかもしれないという示唆である。最悪の事態を回避した機長自身で描いていることに意味がある。これは彼が、彼自身が自らの選択に自信を持てていないという証拠でもある。
結果的に確かにサリーが正しかったことになる。しかしその選択をする上では何を想い何を背負っていたのだろうかと。その選択故にもしや・・・、があったのではなかろうかと。事後判断されることよりも、その最中に何があったのかが重要なことなのだ。
ここで注目すべきがマニュアルの存在である。これは何のために存在するのか。
個体差を無くすためである。そして個々の能力の水準を高めるためである。正確には最低ラインを定める。そして引き上げる。これを航空会社(という組織)としては重要視しなければならないのである。個人の資質や能力(経験)に偏らない一定水準以上のサービスの提供。この場合サービスとは言わないのかな? 大まかに言えばこの対処をしていれば責任は逃れられるというもの。仕方なかった、やむを得ない事態だったと。
サリー機長が乗員乗客の命を救うという信念と同じように、航空会社はこの前例を通してこれからの乗員乗客の命をも保証していかなければならないわけである。
調査委員会の者が締める。コックピットにおけるやり取りを、録音テープを機長と副機長と共に聞いたのは我々にとっても前例が無いことだったと。ここで涙が出たね。
〇最後に
クリント・イーストウッドって全面的にではないにしろトランプ支持だったんですね。へぇ~。彼なりの頑固な考え方があるようで。「グラン・トリノ」でも何か逸話があるみたいで。世界はどうなっていくのでしょうか?
ではでは・・・
2016年12月26日月曜日
少女(2016)
~イッツ・ア・スモールワールド~
〇はじめに
本田翼サイコパス映画かと思ったらそうではなくこのJKという多感な時期だからこその闇を抱える少女というだけ。以前も指摘したがこういったダークなキャラが本田翼の真骨頂だろう。だがしかし残念ながらこの時期の闇は彼女にはもう出せない。違う闇を抱えているのだから(知ったか)。
私のために猿蟹合戦やってくれないかな~(´▽`*)
〇こんな話
遺書?? ぽか~ん・・・
〇イッツ・ア・スモールワールド
世界は広いのだとする2人の少女。これに対して世界の狭さを見せていく。2人が個々で別々に関係した人間という広がりから、2人へと収束させていく。世界の広さと世間の狭さを、人と人との繋がりというもので描いていく。ここに希望と絶望が見える。
何かに優越を感じたい。自分だけが知っていることがあると知ってもらいたい、知らしめたい。他人をこき下ろす事で誰かと同じ土俵に立っていたいとしがみつくのはどの世代年代になっても変わらない。
これをまだできる人間ならいい。他人を蔑ろにしようと自らの立ち位置にしがみ付こうとできる人間なら。それができないからこそ口を閉ざしていく。どうせ理解できない。いや、相手に理解してもらおうとしない。いや、理解してもらう自信が無いんだ。相手に届く言葉を表現を有していないと塞ぎ込む。
これが最後の心情吐露の場面に活きてくる・・・
ゆきの小説は賞を取るためのものでもなんでもなかった。ただ一人、たった独りの人間に向けて書いた作品だった。このオとしはうまかった。そこに至るまでの本田翼は本当にうまかった。
ただ、誌面に載ったことで救われた人間もいる。小説はどうのと講釈垂れて自殺した男がいたが、この面は否定できない。小説のモデルは、誰かを思い浮かべ誰かのために書いていることが、別の人間にも当てはまる場合がある。そこに救いを見ることができるわけである。同じような悩みを抱えている人間がいると。
たった独りに向けたモノが、それ以外の人間を救い、奈落の底へと突き落としもする。
独りの人間を救いたい気持ちと、それを蔑ろにする盗作というエゴ。2人の狭い世界の外に広い世界が広がっている。2人の世界が通用するという希望と、逆に彼女ら2人が逃れようとしている闇がどこにでも存在するという絶望が垣間見られる。
痴漢冤罪にて示談で済ませる者と、無実だと戦う者と。どちらが陽の目を見ているのか。
道が見えないのが怖いのか、道が見えるのが怖いのか。
多感な時期故の想像力の豊かさと、その反面実際を目の当たりにするとその想像とは異なるが故の恐怖や不安を本田翼が多様に観せている。
そんな世界というものへのアプローチからいったい何を見つめ何を想うのだろうか。
〇最後に
本田翼の不器用さが功を奏し役に見事にフィットしており、山本美月はひたすらに可愛いい。しかしこの2人だからこそ、一番にJKというところが活きてこない。どちらを優先するかは難しいところ。
ではでは・・・
グッドモーニングショー(2016)
~マイノリティ~
〇はじめに
結局コメディとして観るのが正解なわけか。個人的にアマノジャキなのでこの作品の製作者のどうも視聴者を舐めてる感が伝わってくる。そこが腑に落ちない。
とりあえず長澤まさみファンは必見。志田未来きゃわわ。松重豊堪んねえっす。
〇想起する作品
「マネーモンスター」(2016)
〇こんな話
あなたにとってTVとは??
〇マイノリティ
番組が始まるまでの慌ただしさから一転、電波に乗る情報の厳選具合を見せたのはうまかった。番組の構成は何を優先するべきなのか。刻一刻と変わる状況でその優先順位は変動する。その見極めの判断と速度には関心してしまう。故に取り上げられない話題がでてくる。情報がごちゃ混ぜな状況から、電波に乗る情報はアナウンサーやキャスターから発せられる言葉のみになる。この表と裏の描き方は本当にすばらしかったと思う。
しかしここでワイドショーと報道とで揉めているのが気になる。正確には優劣及び勝敗をつけようとしているところ。これにより彼らの結果として数字が出ればそれは正しかったこととなる姿勢は一切揺らいでいないことになる。
ただうまかったのは他人事だからこそ無理強いすることができるところを描いたことだ。当事者では無いが故に、安全地帯からアプローチできるが故に。他人の気持ちなど関係ない。自分が立たされたらできるかもわからないことを、だって今は私じゃないしと強要する。これぞ当にTVの限界である。アンケート結果というところに繋げたのもナイスだったと思う。
しかし気に入らない。そういった裏側の存在がいる、縁の下の力持ち、陰の功労者がいると見せようとしているのに犯人の動機は全くといっていいほど掘り下げない。
怒りをどこにぶつけていいのかわからない、そもそもその怒りの正体すら曖昧で表現することすらままならない自らへの憤りもあったことだろう。このボキャ貧具合を澄田が放送用に変換するわけだが、結局この路線に落としてしまったのが大してそういった人間を気に掛けていない証拠である。とりあへずその場だけを取り繕えばいい。被害を自らから逸らせればいいという下心が見え隠れする。
犯人の声はどこへどのように届いたのか?
各局(チャンネル)が澄田を映し出すことで、全国民が澄田を捉えているとして観せた。注目していると観せた。そのおかげで注目されない事実があることも容易に想像することができるだろう。
ただ、ワイドショーを観ている層はどんな層なのかというところと、視聴者数及び視聴率というところがイマイチはっきりとしないところ、さらにはアンケート結果がパーセンテージに甘んじているのはどう捉えるべきか。(あれ?投票数出ましたっけ?)
そもそもね、注目してないんだよ。TVなんて観てないんだよ。立て籠もり事件を生中継で楽しんでる人間なんてほとんどいないんだよ。わざわざ携帯取り出してTVなんて観ないんだよ。それが今回の犯人の動機でもあるわけだろ。後になってこんな事件があったと結果だけが取り上げられふ~んで終わり。数日経てばほとんど誰も気に掛けてないよ。いつもの日常に戻っていく。
TVを観る人が減っている。それ故に人気を取ろうと番組を作る人がマイノリティに目を向けなくなる。そんなTVに何の説得力があるのかと。ここを描いていかなければならないんでねえのか? 制作費の影響かテキトウなバラエティが増えており本当につまらなくなったよ実際。内輪ネタ満載であ~お前らが楽しければそれでいいのねと。集団で悪ふざけしちゃうツイッター民と何ら変わりないんだよ。
多数の者が彼の死を望んでいるのは変わりの無い事実かもしれない。ではなぜ彼の死を望む人間がいるのか。逆に彼の死を望まない人間がいるのか。観点が違えばいくらでも変わって見えてくるものでしょうが。それを伝えるんだろ。それが澄田キャスターの過去でも描かれているわけだろ。自らの経歴の傷と一人の少年とでどちらを優先したのだと。噛み合ってないんだよ。
彼にとってのTVとはいったいどんなものだったのか。信じられるものではなく、信じたいものだったのではないのか。そのTVというものが嘘偽りで独りの人間を救う。ここに何を見出せっていうんだよ・・・
ただ情報の切り取り方というところ。ここを不倫問題で観せたのにはついつい笑ってしまった。自分に都合の良いように受け取ってしまう。要はストーカーなわけだが、長澤まさみでやるから笑えるところだろう。
〇最後に
あんまり好きじゃない。
ではでは・・・
2016年12月25日日曜日
SCOOP!(2016)
~バディものとしてはおもしろい~
〇はじめに
物足りないんだよね・・・
福山雅治だからこそできるのだろうが、福山雅治だからこの程度になってしまうのだろうなという矛盾なのか限界なのか。結局は画面の中の彼をどう捉えるかだろうな。
〇想起する作品
「クロスロード」(2015)
〇こんな話
〇ネック
芸能人(著名人)は何も悪いことをしているわけではない。ただプライベートを隠し撮りされ晒されているだけである。仮に何かしら悪いことをしたとしても要はモラルの問題で、芸能人だからこういうことをしてはいけないのではなく、独りの人間としてどうなのかを問われるべきである。
イメージが要の職業だからこそ彼らにとってはマイナスとなり、そんなイメージダウンを求めている者にとってはプラスとなる。雲の上の存在、ただ注目を浴びチヤホヤされている人間を見ると憧れを抱くものだが、逆に妬みもする。自らと同じ所に引きずり下ろしたくなる。この感情がスクープを欲する源だろう。自らと同じ人間なのだと。
アイドルはトイレに行かない、毛なんて一本も生えていないツルツルだ馬鹿野郎と。黒には染まらない、常にピンク色だと。まぁそんなことは決してなく(もない?)、生理現象はあるし、性欲だって旺盛。何にでもヤリたい盛りだろう。これは実際ジャニーズを喰った女優が出ているのは皮肉なのかただの彼女の開き直りなのかは図り兼ねるものもある。どうせなら広瀬すずも出せば良かったのに。手越とか柏木だって良いよ。
正確には隠されるからこそ暴きたくなる。芸能人という括りが狭いかもしれないが例えば劇中でも対立したグラビア(アイドル)。衣装の大小はあれど、貴重な部位が隠されているからこそ想像を掻き立たせられる。袋とじをイジる件があったが、とあるイメージを見せつけられもっと見たいと思わされるものがあるわけである。横顔に惹きつけられたとする。では正面ではどうなのか。足りない部分を補おうと様々な角度で検証し始める。勝手にイメージを膨らませていくわけだ。いざ脱ぐとそのイメージの幅が固定されてしまうもどかしさというものもある。
―――――
福山雅治と二階堂ふみのまぐわいもまたスキャンダラスに取り上げたものと何ら変わらない行為であり、それをなぜ綺麗に描き出すのかと???が浮かんだが、これが二階堂ふみが最後まで脱がなかった要因だろう。だが最後まで脱いでほしかった。
―――――
それが最後の件に活きてくるわけだ。チャラ源の暴走において仕事には使わない趣味のカメラを持っていく。ここで彼が仕事ではなくチャラ源に接する、つまりは彼のプライベートであると位置付けている。ただ野火はそれを撮ったに過ぎない。今までやってきたことと何ら変わりはない。
芸能人のただのプライベートを撮り、芸能人にはマイナスに、それを求める者たちにはプラスに働く。
今までこの構図でひたすらにやってきた事が、静のプライベートを映し出したそれではどう扱われるべきなのか。今までの彼らの行為から言えばスクープとはその対象を蔑む、引きずり下ろすモノだった。
独りの人間の尊厳? 独りの人間のカメラマンとしての尊厳?
結局何を見たいかなんですよ。そこを中年パパラッチということでイメージを崩そうと試みているが、福山雅治であれば他に何かやりようがあるんだろという感覚を常に引きずってしまう。車が根城であることをデリヘルで観せたり、下ネタ連呼で堕としめたところから、でも実は情に厚いのだと観せたいのはわかるが、最初から正義になってしまってるんですよ。何かやってくれるんでしょと。人によっては、ですけどね。
ただベテラン福山雅治と新人二階堂ふみとのバディものとしては中々おもしろく、その業界においてはずぶの素人であるものの、本人の自覚無くスクープを捉える起点となっていく、時に福山を追い越している場面は興奮を覚える。このタッグであればもしや・・・と想わせる。彼らの未来を想わせる。それが描けているからこそ、ラスト描き出したいことがあるのは尚更わかるのだが、やはり福山雅治という人間をどう捉えるのかというところが万人に伝わらないネックとなってしまっているのではなかろうか。
福山雅治だからこそ描けたことと、福山雅治だからこそ描けなかったこと。
これがこの作品の全てだろう・・・
〇余談
キューピーちゃんは笑ったな。
ファインダー越しの真実ってところもあるのかな? 野火はカメラの中で静の生から死への瞬間を目撃している。カメラはその瞬間を捉えている。いや、固定したんだ。
〇最後に
変に美を意識しなくてもよかったように思うけどな・・・ まぁこの辺りは感性の問題もあるからな・・・
ではでは・・・
2016年12月24日土曜日
好きにならずにいられない(2015)
字幕翻訳:岩辺いずみ
〇はじめに
好きにならずにいられないね、いられねえよ。
〇想起する作品
「偽りなき者」(2012)
「鑑定士と顔のない依頼人」(2013)
「LIFE!」(2013)
「THE BRIDGE/ブリッジ」
〇こんな話
ほんとにざっくり言ってしまえば、コミュ障とメンヘラのお話。
〇打算
良く言えば安定志向。悪く言えば臆病。
世界の窓口である空港に勤めていながら海外に行ったことがなく、趣味はジオラマにラジコンとオタク気質。母親と同居しており、食卓においては手を伸ばせば届く位置に牛乳やシリアルが置いてある。行きつけのレストランではおいしいからといつも同じものを頼む。こんなところから自ら作り出した殻(空間・スペース)に閉じこもりがちであることを伺わせる。そんな彼が最後飛行機でエジプトに飛び立っていく。エジプトロケができなくこのラストだったそうだが堪らないよ。堪んねえんだよこれが。
日常に何かしら不平不満はあれど、時に充実しておりわざわざ現状を変化させたくない気持ちが痛いほどにわかる。今のままで別に構わない。チャレンジしないのではない、逃げているわけではない、必要性を感じないだけなのだと。
ダンスクラブへと入っていこうとするシーン。中では和気藹々と人が屯している。その中に独り入っていけるかどうなのか。どこか自分の知っている空間に入り込みたくなる、いたくなること必至。そしてDJへのリクエスト(電話・通話)である。いつも通りの、知れた人間と話がしたくなる。
職場では若者からいじめられるが一切やり返すことはしない。言わば良くも悪くも揉め事が嫌いなのである。彼が何もしなければその場でそれ以上に発展することはない。
片やゴミ処理場。新入りのフーシを温かくとは言い難いが当然のように受け入れる。それにどこか戸惑うフーシが印象的。行きつけのレストランは繁盛しているとは言い難いが彼を気さくに受け入れる。彼女を連れて行ったときのいつもは無いサービスが粋。DJはお前を待ってたと言わんばかりにいつもとは違うリクエストでも快く受け入れる。
こんな関係性が何とも素敵に、とても愛おしく描かれている。
彼は器用であるが故に、器用過ぎるが故に不器用なのである。繊細なのである。この表現がホントに秀逸。
彼の能力は並外れたものではない。クッキング(クレームブリュレ?)にバーナーを使えば、いじめっこのエンジン修理だってお手の物。日曜大工に料理までも。
―――――
母親に作ってる料理めちゃくちゃうまそうだったな。グンナル・ヨンソンはどうやらコックの経験があるみたいで。手慣れてる感じだったもんな。
そんな能力を評価されてはいるが、彼の内面からの、優しさという部分が行動に移されると世間の見方は変わってくる。どうも料簡の狭い世界になったものだと嘆きつつも実際問題前例があるだけに見逃すわけにもいかないのだろう。めんどくせ~・・・
父親より小さい娘の方がフーシという人間を見抜いているというね・・・
初めにラジコンを吟味するフーシが描かれていた。彼は独りで、時に友人と没頭できる趣味にお金を費やしているわけであるが、これはその楽しみに見合うと判断したがためにお金を払っているわけである。楽しむという対価にお金というものを払っている。
これを踏まえての出張ストリッパー?デリヘル?。お金を支払いそういった行為をしてもらう。お金をもらいそういった行為をする。これも対価なわけだ。
そんな関係を観せられてのフーシのシェヴンへの行動である。
―――――
まぁ何ともシェヴンが我儘に感じてしまうわけだが、こういった見方がまた劇中フーシを軽蔑する人間たちと同じ見方なわけで・・・。
空港職員は給料が良いのか、貯金があったのかは気になるところだが、あんたはどこまで尽くしてやるねん・・・。
彼が彼女のために行ったことはそれ相応の見返りがあるとは全くわからないものなわけである。まぁこちらとしては薄々無えんだろうなと思いつつも、いや彼にとっての変化なのだと受け止める。
フーシという人間をひたすらに観せられ、フーシという人間を好きにならずにいられないとまで受け止めているからこそ、見返りを求めての行動ではないのだと、我々はフーシのシェヴンへの純粋で真っ直ぐな気持ちを快く受け入れられるのである。
〇最後に
この作品でグンナル・ヨンソンの大ファンになったね。彼のために監督が書き上げた作品だったようだ。愛が滲み出てたね。ダーグル・カウリ監督の別作品も是非観てみたい。
ではでは・・・
~対価~
〇はじめに
好きにならずにいられないね、いられねえよ。
〇想起する作品
「偽りなき者」(2012)
「鑑定士と顔のない依頼人」(2013)
「LIFE!」(2013)
「THE BRIDGE/ブリッジ」
〇こんな話
ほんとにざっくり言ってしまえば、コミュ障とメンヘラのお話。
〇打算
良く言えば安定志向。悪く言えば臆病。
世界の窓口である空港に勤めていながら海外に行ったことがなく、趣味はジオラマにラジコンとオタク気質。母親と同居しており、食卓においては手を伸ばせば届く位置に牛乳やシリアルが置いてある。行きつけのレストランではおいしいからといつも同じものを頼む。こんなところから自ら作り出した殻(空間・スペース)に閉じこもりがちであることを伺わせる。そんな彼が最後飛行機でエジプトに飛び立っていく。エジプトロケができなくこのラストだったそうだが堪らないよ。堪んねえんだよこれが。
日常に何かしら不平不満はあれど、時に充実しておりわざわざ現状を変化させたくない気持ちが痛いほどにわかる。今のままで別に構わない。チャレンジしないのではない、逃げているわけではない、必要性を感じないだけなのだと。
ダンスクラブへと入っていこうとするシーン。中では和気藹々と人が屯している。その中に独り入っていけるかどうなのか。どこか自分の知っている空間に入り込みたくなる、いたくなること必至。そしてDJへのリクエスト(電話・通話)である。いつも通りの、知れた人間と話がしたくなる。
職場では若者からいじめられるが一切やり返すことはしない。言わば良くも悪くも揉め事が嫌いなのである。彼が何もしなければその場でそれ以上に発展することはない。
片やゴミ処理場。新入りのフーシを温かくとは言い難いが当然のように受け入れる。それにどこか戸惑うフーシが印象的。行きつけのレストランは繁盛しているとは言い難いが彼を気さくに受け入れる。彼女を連れて行ったときのいつもは無いサービスが粋。DJはお前を待ってたと言わんばかりにいつもとは違うリクエストでも快く受け入れる。
こんな関係性が何とも素敵に、とても愛おしく描かれている。
彼は器用であるが故に、器用過ぎるが故に不器用なのである。繊細なのである。この表現がホントに秀逸。
彼の能力は並外れたものではない。クッキング(クレームブリュレ?)にバーナーを使えば、いじめっこのエンジン修理だってお手の物。日曜大工に料理までも。
―――――
母親に作ってる料理めちゃくちゃうまそうだったな。グンナル・ヨンソンはどうやらコックの経験があるみたいで。手慣れてる感じだったもんな。
―――――
そんな能力を評価されてはいるが、彼の内面からの、優しさという部分が行動に移されると世間の見方は変わってくる。どうも料簡の狭い世界になったものだと嘆きつつも実際問題前例があるだけに見逃すわけにもいかないのだろう。めんどくせ~・・・
父親より小さい娘の方がフーシという人間を見抜いているというね・・・
初めにラジコンを吟味するフーシが描かれていた。彼は独りで、時に友人と没頭できる趣味にお金を費やしているわけであるが、これはその楽しみに見合うと判断したがためにお金を払っているわけである。楽しむという対価にお金というものを払っている。
これを踏まえての出張ストリッパー?デリヘル?。お金を支払いそういった行為をしてもらう。お金をもらいそういった行為をする。これも対価なわけだ。
そんな関係を観せられてのフーシのシェヴンへの行動である。
―――――
まぁ何ともシェヴンが我儘に感じてしまうわけだが、こういった見方がまた劇中フーシを軽蔑する人間たちと同じ見方なわけで・・・。
空港職員は給料が良いのか、貯金があったのかは気になるところだが、あんたはどこまで尽くしてやるねん・・・。
―――――
彼が彼女のために行ったことはそれ相応の見返りがあるとは全くわからないものなわけである。まぁこちらとしては薄々無えんだろうなと思いつつも、いや彼にとっての変化なのだと受け止める。
フーシという人間をひたすらに観せられ、フーシという人間を好きにならずにいられないとまで受け止めているからこそ、見返りを求めての行動ではないのだと、我々はフーシのシェヴンへの純粋で真っ直ぐな気持ちを快く受け入れられるのである。
〇最後に
この作品でグンナル・ヨンソンの大ファンになったね。彼のために監督が書き上げた作品だったようだ。愛が滲み出てたね。ダーグル・カウリ監督の別作品も是非観てみたい。
ではでは・・・
名探偵コナン 紺碧の棺(2007)
名探偵コナン 紺碧の棺
〇はじめに
劇場版第11作目
灰原の愛棒かぁ~、なるほど~
いやそのまま哀棒で良いのかなぐへへ
あのさ~、これってアン・ボニーって響きから相棒って単語導き出したんじゃないよな??
〇こんな話
俺の愛棒か? 欲しけりゃくれてやる。 濡らせ!!
キャッチコピーは
「また・・・しちゃった、アンボニー。」
「お前を雨に濡らすわけにはいかねぇんだよ。お前を濡らすのは、俺だから
な。」
〇ひとつの真実
観光課長の岩永
「暗号わっかんね。旅行者に解いてもらおうっと。」
トレジャーハンター
「鮫やばば。女の子囮に使おうっと。」
人の能力というものには必ず限界がある。得手不得手がある。ならばそれができる人間に、得意な人間にやってもらえばいい。そりゃ鮫だって中年おじじよりJK喰いたいわ。
こういう人の能力を見抜ける人間が上に立つと良いんですけどね~。さらには人を使える人。こっちの方が重要なんですけどね実は。まぁでもやらされる側にもその能力の自覚が無いと厳しいものもあったりして。難しいですね~・・・
〇疑問1
コナン君はさ、なんでわざわざあの場所で蹴ったの???
蹴ってから蘭の元へ走っていったわけだけどさ、船室の傍で蹴れば問題なかったじゃん・・・
この距離感は何なんだよ・・・
この辺で蹴ればいいじゃん・・・
助走の問題ですか??
でも天井に蹴るんだからパントキック(持ち蹴り)の方が正確なんじゃないのか??
ってかさ、蘭が投げれば良かったじゃん。
〇疑問2
これが扉を開ける鍵だったわけだが・・・
こっちだったらどうなってたの?
周知されている海賊旗はこれでしょ??
トレジャーハンターとして国際(指名)手配されているほどの人間がこの海賊旗を見ていないはずがない。ここが基点だったはずだろ? そんなバカだったら逃げおおせていないでしょうに・・・
まぁでも最初に意味も無くこう配置しちゃうおバカさんだからこんなもんなのか。
でもね、最後なんかこれ印象付けてるじゃんか・・・
はぁ~????
これは当時も突っ込まれてたの??
これを描きたかっただろうだけに厳しいものがあるよな・・・
もう少し細かいところを気にしてほしいなぁ~
〇余談
園子がメタンハイドレートを知らないのが気になるんだよな。鈴木財閥は目を付けていないのか?
自転車も飲酒運転になります。
これはICPOを観せてからだったから銭形のネタなんだよね多分。
その割に
これ全く意味無かったよね・・・
〇最後に
今作は褐色系で責めたんですね~
ウェットスーツの下にビキニかなんか履いてるとかにしてくれると見応え変わってくるのにな~・・・
だってこれ下になんか着てますよね。観たいのは下の方なんだよなぁ
あともう少し陸と海とでの差を描いてくれると良いんですけどね~。濡れた感じをもっと出してくれると。海女さんではないんだけど、もう少し海に生きる女感を出してくれるとなぁ。
ではでは・・・
~他力本願他人任せ~
〇はじめに
劇場版第11作目
灰原の愛棒かぁ~、なるほど~
いやそのまま哀棒で良いのかなぐへへ
あのさ~、これってアン・ボニーって響きから相棒って単語導き出したんじゃないよな??
〇こんな話
俺の愛棒か? 欲しけりゃくれてやる。 濡らせ!!
キャッチコピーは
「また・・・しちゃった、アンボニー。」
「お前を雨に濡らすわけにはいかねぇんだよ。お前を濡らすのは、俺だから
な。」
〇ひとつの真実
~自分ができないことは他人にやらせればいい~
観光課長の岩永
「暗号わっかんね。旅行者に解いてもらおうっと。」
トレジャーハンター
「鮫やばば。女の子囮に使おうっと。」
人の能力というものには必ず限界がある。得手不得手がある。ならばそれができる人間に、得意な人間にやってもらえばいい。そりゃ鮫だって中年おじじよりJK喰いたいわ。
こういう人の能力を見抜ける人間が上に立つと良いんですけどね~。さらには人を使える人。こっちの方が重要なんですけどね実は。まぁでもやらされる側にもその能力の自覚が無いと厳しいものもあったりして。難しいですね~・・・
〇疑問1
コナン君はさ、なんでわざわざあの場所で蹴ったの???
蹴ってから蘭の元へ走っていったわけだけどさ、船室の傍で蹴れば問題なかったじゃん・・・
この距離感は何なんだよ・・・
この辺で蹴ればいいじゃん・・・
助走の問題ですか??
でも天井に蹴るんだからパントキック(持ち蹴り)の方が正確なんじゃないのか??
ってかさ、蘭が投げれば良かったじゃん。
〇疑問2
これが扉を開ける鍵だったわけだが・・・
こっちだったらどうなってたの?
周知されている海賊旗はこれでしょ??
トレジャーハンターとして国際(指名)手配されているほどの人間がこの海賊旗を見ていないはずがない。ここが基点だったはずだろ? そんなバカだったら逃げおおせていないでしょうに・・・
まぁでも最初に意味も無くこう配置しちゃうおバカさんだからこんなもんなのか。
でもね、最後なんかこれ印象付けてるじゃんか・・・
はぁ~????
これは当時も突っ込まれてたの??
これを描きたかっただろうだけに厳しいものがあるよな・・・
もう少し細かいところを気にしてほしいなぁ~
〇余談
園子がメタンハイドレートを知らないのが気になるんだよな。鈴木財閥は目を付けていないのか?
自転車も飲酒運転になります。
これはICPOを観せてからだったから銭形のネタなんだよね多分。
その割に
これ全く意味無かったよね・・・
〇最後に
今作は褐色系で責めたんですね~
ウェットスーツの下にビキニかなんか履いてるとかにしてくれると見応え変わってくるのにな~・・・
だってこれ下になんか着てますよね。観たいのは下の方なんだよなぁ
あともう少し陸と海とでの差を描いてくれると良いんですけどね~。濡れた感じをもっと出してくれると。海女さんではないんだけど、もう少し海に生きる女感を出してくれるとなぁ。
ではでは・・・
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