2016年8月12日金曜日

秘密 THE TOP SECRET(2016)

~わけがわからない~


〇はじめに
 大掛かりにして結局どうしたいのかわからなくなるならもっと個人に絞って見せてくれていいんだよ。そっから広げるのを我々鑑賞者に委ねてくれれば・・・ なんでこうぜんぶぜんぶぜんぶって意識が先行しちゃうかな。

 観終わって思ったのが、大きなかぶを引っこ抜くのに全員が全員違う方向に引っ張ってたな~と。そもそも大きくなかったんですよね。そのかぶを引っこ抜くのに労した労力とかぶの大きさが全く見合わない結果に。いやそもそも抜けなかったのかな。




〇想起する作品
 「フラットライナーズ」(1990)
 「ザ・セル」(2000)
 「サウンド・オブ・サイレンス」(2001)
 「サスペクト・ゼロ」(2004)
 「隠された記憶」(2005)
 「消えた天使」(2007)
 「記憶探偵と鍵のかかった少女」(2013)
 「エビデンス-全滅-」(2013)
 「サイド・エフェクト」(2013)
 「マインド・エスケープ」(2014)
 「ゴーン・ガール」(2014)
 

〇こんな話
 よくわからない。

〇第九
 死者の脳に記憶されている映像を取り出すという技術に関して

 死者の脳と生者の脳を繋いで映像を取り出すとされていたわけだが、その映像はどうやら録画ができるようで・・・ ここが気になったので少し取り上げてみる。

 死者 → 生者 → (録画) → 検証

ってなカタチになっているわけだが、もうすこし掘り下げると、

 死者が主観的に見た映像
  → それを生者が主観的に見る
   → 録画された映像を各捜査員が主観的に判断する

ってな段階が踏まれていることに気付く。ここで不明なのは録画された映像が死者から取り出された映像なのか、生者を介して映像化されたものなのかということだ。ここは一切触れられることは無かった。ならいらんやろ・・・

 つまりはMRI捜査における主観的客観的というところに触れたいのだろうが、こういった後々意味を持たせられない不用意な設定が作品を意味不明にしている原因である。



 そもそもね、生者と死者繋ぐのにね、死者に対しての生者の設定が雑すぎるでしょ。それこそ裸の付き合いくらいのシャレを頼むよ。服は着てるわ時計は付けてるわ・・・はぁ↓↓

 この設定も別に何の意味も無いし。死んで全てを暴かれるってところと、隠すことのできる生者みたいな話があったならそこをもっと強調しろ。検死を女性で見せたのもそれを狙っていたのだろうが、どうせならもっと見せつけろ。ここで見せるべきは死体の奇妙さじゃねえんだよ。彼女にしてみたら本来見られたくない姿だったということでしょうが。遺族の声を入れたっていいじゃない。検死や解剖を望まぬ声もあるわけでしょ。そんな事実にも目を向けられていないんじゃないのか?



 そもそもそもそもね。こういう事象を取り扱うならば、ただ言葉のやり取り以外にも意志の疎通が図れる術を見せておくべきではないのか。何でも良い。海外だったらアメフトとかでサインプレーやトリックプレーになるのだろうか。その間だけで通じる感覚。究極はシンクロ。勘なのか経験則なのか別にそこは言及しなくてもいい。それか逆を示したって良い。長く連れ添った親しい間柄における関係性。虫の知らせなんて無かったと。通ずる感覚あるなしのどちらかでも見せれば逆も想起させられるでしょ・・・


 今作においてそれが示せる場にひとつ柔道があったわけだが、何も無いのよ・・・ 相手の呼吸を感じ取り動きを予見するとかそんな特殊な領域に踏み込んだっていいじゃない。筋肉の挙動くらい読みやすいでしょうが・・・ 何かいろいろ優秀な設定だったのだろ? 「はじめの一歩」くらい読めよ。真田知らないんか。あいつはその道の知識をボクシングに活かしたんだよ。それだけで応用力とか示せるでしょうに。ロバード・ダウニー・Jr主演の「シャーロック・ホームズ」の拳闘の様にしたっていいよ。こういうところが下手くそなんだよ。ぜ~んぶおしゃべりでかいけつ。ぺらぺらぺらぺら・・・・ 

 テンプレートだが将来を誓い合った二人の死亡フラグとか見せたってええやん。妊娠がわかった途端男死亡とかさ。共通認識とかを訴えないとさ~、主観なり客観なりってのは活きてこないと思うのだがな。

 要は人と人とが通じるというところを意識させられればいいのよ。その方法は会話だけではないでしょ。そして究極、禁忌としてのMRIなんでしょ。その手段がぜ~んぶ同じ位置にありますよこの作品は。

 「マインド・エスケープ」という作品の方が全然うまかったよこの繋がりの見せ方は。

 いやほんとに些細なので良いんだよ、ただの目くばせでも表情を読み取るのでも。嫌悪感とかは一番に見えるものでしょ。それをテキトウにサイコパスの件で笑ったどうのとかやるからこんがらがってくるんだろうが・・・

 主観映像における幻覚等の大味なのも良いんだけどさ、こんなところから小さなズレはあるってのをさ~、徐々に見せていかないとさ~、ダメなんだけどな~、違うかな~・・・


 複数人の同時刻の記憶を辿ったときもそれぞれの解釈(見え方)に触れないのにはもう呆れ果てたよ・・・

 ぜ~いんがぜ~いんおなじせかいがみえとりますか?

 虹の色が国によって違うとかも知らないんじゃないかこれ作った人たちは・・・


〇オチ
 最後の盲導犬の記憶映像に落とすのならば事前に我々に植え付けておかねばならないことがあったはず。なぜ脳を題材にしてそれを一切考えないのか甚だ疑問である。

 まぁ簡単に言えば世の中そうネガティブな事ばかりじゃねえよということなんだが。

 しかしそこなんだよ問題は。なぜ我々はネガティブな情報ばかりを捉えてしまうのかと。ポジティブなことが見えなくなってしまっているのかと。ここをもう少し考えさせなければラストの映像は全く以て意味が無い。

 何でもいい。例えばテレビの見方や、そのメディアの情報の見せ方を挿んだって良いんだよ。最近話題沸騰でしょうよ。リハビリにおいて凄惨な事件がひたすらに報道されるわけだが、それだけでは弱いんだ。彼らが死体から詮索している情報がそもそもネガティブな情報なわけだが、これでも弱い。我々にまで落としてくれないと。

 我々が見るテレビにはいつもネガティブな情報が含まれている。これがポジティブに転じるところで邪魔が入りポジティブな情報が入らない様を見せつけてくれれば制限がもたらされるではないか。アラームやチャイムや人が介する様を見せつければ自然に行くだろうに。ポジティブなニュースにネガティブなニュース速報を入れたっていい。

 もっと必然的に見せるのならば、一面を飾るのはどんなニュースか。限られた時間において入ってくる情報は、入れるべき情報はどこにあると我々は判断して情報を仕入れているのか。見出しを見て中身を見ない案件がどれだけあるのか。事実無根の見出しがどれだけあるのか。そういったところを捉えていかないと・・・

 ここと関連させるべき刑事の取り調べも弱いんだよ。AV趣味はマイナスにネガティブに見られがちってなところよ。お前は仕事をする上で、書類整理する上でジャンル分けしないのか。自分が見やすいように整えないのか? ここで訴えるべきはそういった整頓能力ではなく趣味嗜好における偏りなんだよ。どんなジャンルをどの程度見ているのかという。ここで初めて偏見を見せないと、「刑事」の偏見を見せないと・・・ ほんとにわかってねえな・・・


 問題は目線やタイミングってところではないのか。ある情報に関して全く違った見え方ができる、アプローチできると我々に感じさせなければ意味が無いのではないのか。そのための、そこに繋ぐためのそれぞれの偏見だったりするんだろ? だからこその犬目線なのだろう? 単純に目という機能の捉え方の違い、見ている高さの違い。ここを意識するんだろ? 究極ネガティブな情報もポジティブに見えると。これらを繋げないとだめでしょうよ。


 眞鍋刑事と青木刑事?を最初に対比させた意味が全く無いよね。主観と偏見で真相を創り出す眞鍋刑事と、冷静沈着に得られた情報を客観的に分析いわゆるプロファイリングを披露した青木刑事。途中から怪しかったんだよ。なぜか眞鍋刑事の取り調べが何回も映し出される。これはすでに最初の青木刑事との対比で事足りてるはずなんだ。それなのにくどくどくどくど怒鳴りちらす。これに対して冷静さを見せる青木かと思いきやお前何少女に熱くなってんだよ・・・ キレるの早すぎ。これだからゆとりはとか言われるんだよ。頼むよおい。それ見せられての最後のベッドからのハイハイ。ナースコールで十分だろ・・・ 最悪点滴?生命維持装置?外せばさ・・・ それか事前に熱さを見せていない方が良いだろ・・・ 根性もあると見せるのならば・・・ 結局お前らは何だったの?ってキャラが多いんだよね。 

 あとね、ここの対比って単に2人だけのものじゃないんだよ。堅実なカタチじゃなかろうが地道に足で聴き取り調査して外堀から犯人像に迫っていく者たち(まぁ犯人像を創り出しちゃうわけなんだけど)と、死体の記憶映像から犯人を確定しての、要は答えありきで手がかりを探し始める内側からの捜査ってな対比があるわけなんだよ。ここで第九ってな機関が活きてくるのと、極端な話両者は同じことをしているわけで。それを受けての確実性とローコストなのでしょう? そこに頭が行けば主観と偏見というところでまたそれぞれ考えさせることができたでしょうに・・・



 記憶というのは五感との結びつきが強い。本来の記憶映像には音が付加されておらず、映像のみとなっているが、そこにビックリさせる異様に大きい効果音を敢えて付加させることで、その主観映像から我々が逃げられない仕様にしているのはうまい見せ方だろう。しかしそれゆえにラストが機能しないのである。我々の作品における音と記憶との結びつき。ここを少々グロテスクな映像と共に印象付けるわけであるが、それが最後の絹子の笑顔につながらない。全く以て無用な産物と化しているのである。なぜならそもそもの絹子の描き方だよ・・・ 

 次の項目へ・・・



〇絹子
 絹子はおそらく「渇き。」を観た印象の私の主観だが、おそらくは小松菜奈的な良く言えばスレンダー、悪く言えば華奢な人間がやるべきだった。ムチムチすぎ。お腹の膨らみとか意識させちゃダメなのよ。まぁこれは男と女の感覚の問題もあるわけだが、監督は男でしょうよ・・・。それができなくともせめてもう少し幼さ・幼稚さを見せるべきだった。というのも馬鹿という意味ではない。無垢ゆえの、というものである。貌もこう見せたいという意思が出過ぎ。表面的なビジュアルばかりに囚われ過ぎ。


 そもそも男>女という構図に一石投じるやり方をするのであれば男というイメージの先行の中では当然の配慮が為されるべきで。華奢な女性が男を支配するというところがサイコパス的な繋がりの簡易化にもなるし、そもそも加害者なのか被害者なのかという彼女の立ち位置が不明確になることに機能するのである。ここが肝心なんだよ。彼女が果たして被害者なのか加害者なのか。父親の記憶映像を観たことで家族を殺したという犯行においては彼女は加害者であるが、貝沼がどうとかってところでそこがブレはじめるわけで。

 しかしその曖昧さを魅せようとしているのだろうが、彼女が演じているそれは終始被害者のそれ。この矛盾はどうにかしてほしかった。犯行を見せるだけでその他のフォローが無い。この曖昧さがしっかりと描けていれば、最後の無垢な彼女の笑顔につながるはずなのである。彼女の実力を踏まえ、被害者であると逆に振り切れた中でのサイコパスとした方がしっくり来たかもしれない。

 男と女という観点は「消えた天使」や「ゴーン・ガール」を観ていただければと思う。



 百合の花畑・・・花言葉が純潔に無垢に・・・あ、そうですか・・・ いやそもそもの百合というところに意味があるのか・・・ ここを逆説的に捉えさせる?




〇その他項目分けが面倒くさいのでまとめてテキトウに


 生田斗真のタートルネックは過去と現在の区別だけのためかよ・・・ じゃあいらねえよ・・・

 技術的にいずれ胎児の記憶もってのは胎児の夢を狙ってたの?


 あとさ~、銃撃ち過ぎwwwwwwwwwwwwwww


 善意と悪意は紙一重っていう説法ね。これは善意に傾く前提で行われるものであるが、これもな~びっみょうだよね・・・



 絹子の取り調べにおけるやり取りね。考え過ぎ。相手の話聞きすぎ。あそこで描くべきは問答じゃないんだよ。淡々とした言葉攻めだけでも十分機能する。あのね、相手側が攻めに転じてるのは優位性が確保できてないからなんだよ。そこになぜ拍車をかけて勝手に取り乱してんだよ・・・ 
ロバート・K・レスラーの本でも読んでサイコパス研究した上で何か見せ方考えてください。実際に話聴きに行ったっていいじゃん。

 そもそも青木が取り乱すのが早すぎるんだよ。こいつの限界と挫折が早すぎる。だから眞鍋刑事への説得も無に帰すんだろ。別に彼だけならいいよ。これって最後薪が我々に語り掛けてくるメッセージの説得力にも直結してるわけなんだよ。だからしら~っとなる。もう寒いよね。


〇最後に
 まぁ私も最初に書き始めたことから脱線することがよくあり、結局何を言いたかったのかがわからなくなり、落としどころを見誤ったりすることがそれはそれは多々あるが、プロがこれをやってはいけないよ。どこかで気付くべきだよ。誰かが指摘するべきだよ。独りで映画作ってるんじゃないんだからさ。それこそこの作品のテーマとも関連することがあるんじゃないのか。そこをもっと追及するべきだよ。

 これにお金を出すのは勿体無い。何かもっと有意義に使ってください。

 ではでは・・・


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