~酸素~
〇はじめに
リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読んどくといいかもしれない。
〇想起する作品
「CUBE ZERO」(2004)
「CARGO」(2009)
「パンドラム」(2009)
〇こんな話
人類存続のため外気の浄化を待ち眠りにつく文明の継承者たちを限りある酸素の中で生き永らえながら守る2人のお話。
〇酸素
人類全体の目的としては文明を途絶えさせないこと。これのために科学者技術者がスリープさせられている。人類の「未来」のために彼らは存在している。
そんな者たちを管理しているのが劇中の2人。彼らはスリーパーを生かしている。逆にスリーパーは彼らに生かされていると言っていい。そして何より彼らは人類の未来を築くだろう存在たちのために「現在(今)」を生きているのである。
この未来と現在という葛藤に対して、
・・・とその前に把握しておくべきことを、
酸素は我々の呼吸に欠かせないものだが実は毒性がある。睡眠から覚める際に酸素中毒の話が為されている。
半年ごとに目覚め任務をこなすわけだが、その際には残存酸素量が彼らの行動を制限する。
これを踏まえると彼ら2人もまた酸素に生かされていることがわかる。
スリーパーは2人に生かされ、スリーパーを生かしている2人は酸素に生かされている。
シェルター内の酸素の存在と、これからの人類のための外気の浄化と、これが人類存続のカギとなるわけなのだが・・・
シェルター内の酸素が無くなることで、今を生きる彼らに問われるのである。
・ 人類のために、後世のために、究極自己犠牲精神を働かせる必要があるかもしれない人類存続の責任か、
・ 今我々が生きなければという究極自らを生かすことが人類存続に繋がるという生存本能か。
これがバウアーとカートライトとで示されるわけだが、ここで問題はだ。カートライトの責任能力だ。大統領の声明と彼らの仕事というところで責任と定義したわけだが、彼の下していた決断は決して人類という責任を負ってのものではなく、ただ愛する者を守りたいというエゴであった。バウアーも世界が終わる前にそれを味わっていたようだ。バウワーは言う。家族は俺だろと。長年2人で、たった2人で任務を遂行してきた仲だろと。スリープ状態にある彼女か、今を共に歩んできた者か。未来を託された人間か、それを守るために存在する現在の人間か。
結局どちらもエゴなのである。
ここで比べたいのは、自らの命かわいさと、愛する者の命を守るというところなのだろう。エゴ(本能)の適用範囲とでもしておくか。
まとめると・・・
まず前提として、種の存続が生物にとっての目的である、とする。そして我々人類はただのDNAにとっての情報媒体である、とする。
その中で、「個」の生存本能・防衛本能と、人類という「種全体」の種の存続という目的での本能とで、どちらが優先・重要視されるのか。他者を省みず自らが生き残ること。自己犠牲にて他者を生かすこと。どちらも種の存続というところで欠かせないものである。
・・・とまとめたかったのだが、利己的な遺伝子という本をかじったのでそれを少し適用してみる。
「責任」と「生存本能」として、種VS個というところで対立させたわけだが、リチャード・ドーキンスはどうやらそう定義はしておらず、個と遺伝子という対立があるようなのである。これをうまく利己的と利他的として説明しているが私には全く以てさっぱりだ。
ほんとにざっくりだが・・・
判断のつかない彼が頻りに映し出されている。スリープしているはずの彼女がひたすらにカートライトに話しかけている。
つまり、カートライトとバウアーの対比に目が行きがちなのだが、実はカートライトのところでも対立があるわけだ。
種VS個 → 個VS遺伝子 利他的VS利己的
だめだ、もうわからん。「利己的な遺伝子」をうまく解釈している人にあとは頼もう。どこまで想定されているのかがもう見えない。
ラストはどこまで勘繰る必要があるのか。システムは独立しており、彼らの精神を保つための情報を与えていた。そんな計器が外気の毒素は無くなったと示していたわけだが・・・ 間に合わせの突貫工事の件とここを関連させたのはうまかった。
補足として・・・
マスターベーションの位置づけは何だったのか。人類存続のための1つの手段である生殖を意識させる。そのための男2人だったのだろう。任務遂行におけるリスクの回避。男女ペアであればできるものができてしまう可能性がある。そして今回の場合それが不可能であると見せたんだ。
女2人ではなぜいけなかったのか? 男2人の経緯がわからないので詳しくは言及できないが、女性は母体となるが故に少なからず男よりは行動が本能的なところに起因する。おそらくはこれだろう。
その上での選択というところが活きてくる・・・多分。
これも多分別に意図してるところがあるんだろうな~・・・ 遺伝子なんかな~
〇最後に
地球が人類に適した惑星ではなくなる可能性は0ではない。いったいどうするのだろうか・・・ 現実味を帯びないとどうも行動しにくい。期限が迫らないと重い腰を上げない人間は多くいる。例えば夏休みの宿題を夏休み中に終わらせられる人間はいったい地球上にどのくらいいるのかと。具体的な状況がわかってこないと判断できないことがあるから一概には言えないのだが。あらゆる状況を考慮すればいいってもんでもないからね、コスト的に。ま、いいか。
ではでは・・・
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