~恐怖~
〇はじめに
悪魔とは創り出されたものである。
〇想起する作品
「0:34」(2004)
〇こんな話
一般人 VS 信者 (VS 悪魔)
〇恐怖
とある男が言うのだが、悪魔や亡霊だのってのは人間の恐怖が見せるのだと、創り出すのだと。ここが重要でして。あれ、言ってなかったっけ? 暗闇に恐怖するというのはまぁ散々やってたわけで・・・ あの世がある証拠だとも何とも・・・
人間ってのは自らの命を脅かす脅威を回避するためにそれぞれ恐怖を感じるシステムというかプログラムが組み込まれている。避けるべき事象を感知する機能がついているわけだ。これを最初にその男が変人感知器と謳っているわけであるが。
要は死への恐怖だ。今のところ絶対に避けられないものはこれだけで。これを如何に解消するかってところで救済を説いたのが一括りに宗教であると私は考えているわけだが。以下これを基に私の持論というか屁理屈を・・・
まぁ死は生の終わりなわけだが、死後の世界を作っちまえば死は生の繋がりとして機能するわけで、幾分かは恐怖の軽減に繋がると踏んだわけだ。
で、ここからが問題で。死後の世界があるということは、また死後の世界の生があるわけで、生き方があるわけで、突き詰めると扱われ方があるわけで。
仏教では極楽(浄土)と地獄として生前の行いが死後の世界の住み分けとしてしか機能しないのに対し(はじめは輪廻からの解放だったのかな)、あちらの宗教はというと、死後また階級分けされており、優遇されたいがために信者が英雄になろうと躍起になるシステムを盛り込んでいるのである。まぁつまるところのお節介と言われるものなわけだが。別に救済なんか望んでねえのに強制的に巻き込もうとするわけで。
結局救済という名目で罪を解消しているんだよね。どこから派生したカルト(宗教)なのかはわからんが、キリストが十字架を背負ったことで今ある我々(正確には信者のみ)の罪は解消されており、ってのが前提であって、しかも殺人ではなく救済ってきたもんだからもうしっちゃかめっちゃかよ。生と死の概念が違うのよ。それも肉体と精神とか、そもそも父と子と精霊の三位一体っておま・・・ 勝手に自殺してくれ・・・ でも自殺ってのがまた引っ掛かって、薬の交換としてるんだよね。
彼らの杏仁豆腐具合、失礼イカレポンチ具合を簡単に説明しますと。イカレる工程とでもいうのかな・・・
世界というものの認識が違うわけです。
私は特に特定の宗教を信仰しているわけではないが、そんな人間の世界の捉え方は
(私のいる)世界 > 不特定多数の宗教(観)
となるのに対し、彼らは
宗教(観) > 迷える子羊たちの世界(私のいる世界)
という括りになるわけである。信者が知人にいるが良い人たちだと言及している人物がいた。このおおらかさもこの世界観から来ているわけである。
先ほどは救済としたわけだけど、まぁ究極的な布教活動なわけだよ彼らの行動は。信じる者は救われるってなところで皆さん信じましょうと布教するわけだが、最後の審判前でもまだ間に合うの!! 憑りつかれる前に我々に殺されればいいの!! 勘弁してくれ、うざいんだよ。
ここをさらに信じ込ませるために麦角菌を用いたと。この作品における宗教ってのはただの妄想・幻覚でして。恐怖を植え付けることでその解放を求め入信にも妄信にも繋がる。すばらしいビジネスだトホホ。
イマイチピンと来なかったのが・・・
最初のシャワーのシーンがどうやら事件後のようだが・・・
これ傷の場所合ってる?
別角度
まぁいいか・・・
電車というか乗り物全般だが、向いている方向によっては進んでいる方向が相対的には同じでも前にも後ろにも進んでいると感じるわけで。劇中時刻表示で繋げたりしている場面はあるものの時系列は同じではなかったり。地下鉄における緊急停止の経緯を遡ったりして観せたりしている。初っ端も後ろに進んでいく画から始まるのよね。
原題が「END OF THE LINE」で終点を意味するわけだが、この前後関係の描き方は事前に観せることで解消されているのか。
多分総じてPTSDとLSD(麦角菌?)を掛けたんだよね・・・
〇最後に
実際カルトで集団自殺が大きな話題になったりした過去がある。それを思うと特定の宗教を肯定するわけではないが、人の信じる力ってのはすごいんだなと感心する。一番に避けるべき事象からの回避というプログラムが組み込まれていながら、それを受け入れる体制を作り出してしまうわけですからね。薬や他の方法を用い洗脳という手段を講じているにしてもその人がそれを信じているということには変わりないわけで。
ではでは・・・
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