2015年12月15日火曜日

クロスロード Crossroads(2015)


~ボランテイア~


〇はじめに
 この作品こそ偽善で自己満なのではないだろうか・・・

 いや、この作品に感銘を受け、飛び立つ者たちを否定する気はさらさら無い。


〇こんな話
 海外青年協力隊の広報映画。


〇ボランティア
 別にボランティア精神を否定も馬鹿にもしない。ただ善意の一方通行に気付かず、それに満足し自分に酔っている人間がいけ好かないだけだ。ここをもっと言及してほしかった・・・ 
 いやそちらの方が幸せなのかもしれない。一方通行は受け手が気付かないという場合の方が多いのだから。


 最後の沢田樹の「ボランティアとは?」(だっけ?)に対する答え。これを彼に言われてからでなく、自分の言葉として出てきた鑑賞者はどれだけいるのだろうか。

 2人の男の対比。これがボランティアにおける価値観の対立。この対比を協力隊の派遣前と、実際に派遣されてからのアプローチの違いで意味を深めていくわけであるが、ここをもう少し後々の和解におけるやり取りでなく、言葉でまとめるのではなく、観せておくべきだったのではなかろうか。

 体当たりで地元民の中に入っていき交流を深めていく男と、慎重に状況を整理し必要なものを見わけ外側からアプローチする男。自らの積極的な地元民へのアプローチと、地元民から消極的な彼らへのアプローチ。

 これはすぐわかるんだけどさぁ~・・・、何かね~モヤモヤするんよね~・・・、崖の件とかさ~

 いや、自分で行って確かめてこい、考えてこいということなのか。




 そもそもこの作品は答えありきで作りすぎている。別に1つの答えの提示に関しては何ら構いはしない。思考の操作や誘導もあって然りだとさえ思う。しかし粗さが目立つんだ。全体的に感じてしまうものがあったんだ。

 この手の作品は別に綺麗に観せる必要は決して無い。粗さを見せつけてこそでもあるのだろう。しかしこれは違う。あざとすぎる。建前が前面に出過ぎている。


 協力隊が途上国に行き何かしらの手助けをするという構図。

 そこに必要であるものは何なのか、足りないものは何なのか。これを見極め補う活動。このスタンスはわかる。しかしここがどうも作品として馴染まない。とある環境において必要となるものを探り当てているのではなく、〇〇をどうしてもしたいから、この〇〇が必要となる環境を作っているという風に感じてしまうのだ。

 不足分を補おうとしているのではない、欠陥品を用意している。わざわざ既存の欠陥品があるにも関わらず、そちらはほっといてはめたい部品に合う欠陥品を新しく創り出している。

 私が納得するためにもう少し・・・

 欠落したパズルのピースに合うような代替物を作るのではなく、先にピースを作っておいて、そのピースがハマるようにわざと欠落した都合の良いモノを創り出している。・・・こんな感じかな。

 
 彼らはいったい誰を救おうとしているのか。カメラを教えていた人間はその国におけるどんな層の人間だったのか。どんな偏見や差別があったのか。ここをサラっとだけでなく疑問を呈してほしくあった。主人公の心境の変化に繋がるだけで十分なのか。その後の活動とその影響を見れば尚十分か。


 なぜここまでに捻くれた見方をしてしまうのか。

 主人公のカメラマン設定もある。「気持ち」「心に訴えかける」写真を撮りたいのだとか。この熱意を持っている人間は、被写体よりも写真を観る者を意識している。これが念頭にあると、この作品こそが創り上げられた、ある方向性に思考を持っていこうとするいやらしさを感じてしまうんだ。


 全体的にどうも凝り固まった思考・思想を感じる。

 先ほども書いたが、ボランティアが偽善だと感じるのは端から見て善意が一方通行に感じるからであって。決してボランティア活動自体を批難しているわけではない(結果的にそうなるとんちんかんな方はいるが)。

 需要と供給のバランスと言ったらアレだけど、必要としている時に必要なだけ供給すると。まぁその合図が発信できないことがまた問題なのだけれども。この損得勘定を介しないところが、ボランティアにおける、人間におけるすばらしいところでもあるわけなのだが・・・

 まぁ何が言いたいかって~と、どこかしらにそのボランティアにおけるしわ寄せは来るでしょと。作品では主人公の家族がうんたらかんたら。そしてとあるシステムを構築したらしたで、任期が過ぎればほったらかしで地元民だけでこれから何とかしてくださいと。いやそれが本来あるべきカタチではあるわけだが・・・

 ダメだまた逸れた。まぁ全ては損得勘定の所為なのか。全てが全てそこまで割り切れる人ではないわけで。自分の活動がどのように影響を与えているのか悩む姿もあるからそれは解消されるのかな~。まとまらん・・・う~む・・・


 根本にある思想の違いよね。協力隊に行って何かしらを変えたいという。

 ・周りは変わらない → 自分が変わる (妥協的)

 ・周りを変える    → 自分を変える  (希望的)

 この思考の違いをどう見極め認識するかなんじゃないのかな~(テキトウ)。もう少しこの辺をほじくってほしいんだよな~。な~んか薄っぺらいんですよね~。それこそ偽善や自己満と感じてしまうくらいに・・・

 何もまとまっていないがこの辺で・・・




〇余談  
 「握手」というものの位置づけを何かしらもっと強調しても良かった気がする。崖の上下だけでなく。和解だったり、協力だったり様々な意味を持つわけでしょ。国際的に手と手を合わせることにはどんな意味があるのか。歴史的にどのようなパフォーマンスとして活用されているのかなどなど。ここは我々鑑賞者の共通理念に任せたのか。


 アンジェラ役の子は有名なコスプレイヤーだそうな。どうも日本受けする顔を選んでいる気がする。観せ方に気を使っている。だんだんと胸を強調していったのも気になった。この辺からも邪な想いを感じる。

 
〇最後に
 ボランティアは別に無償ではない。そして善意に付け込んで悪さをする連中がいる。そんな側面が見えてしまうとどうも疑ってかかってしまう。損得勘定が先行してしまう。JICAも何かしら問題起こしましたよねと。文句垂れるよりもやってみろって言われればそうなんですがね。どうも理屈をこねたがる性分でして。失礼しました。

 ではでは・・・



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