~救い~
〇はじめに
申し訳ないが合わなかった。ま~そんな次元で語るべきテーマでは無いが。
全てを台詞でやり取りしようとする舞台チックな観せ方がどうもまどろっこしく感じてしまう。このトーン、流れ、役者の立ち回りに耐えられない。話しながら為される全ての所作が無駄に見えてしまう。
しかし日常をこの観せ方で執拗に見せておく必要はあった。それも全てあの最初の原爆の恐ろしさを印象付けたいがためであろう。一瞬にして、日々築いてきた日常が吹っ飛んだんだ。消えたんだ。そしてそれは事後尚、被害者を、遺族を苦しめている。
〇想起する作品
「パッセンジャーズ」(2008)
〇こんな話
母と息子と・・・
〇救い
救いの映画なのだろう。
ラストのたった1人で死んでいって寂しかったねと、隣人。かわいそう・・・だったかな? 勝手に補っちゃったかな・・・ これなんだろうな。
他人には見えていなかったが、そして現実か夢かは定かではないが、彼女はここ何日か、何カ月か息子と一緒にいたんだ。過ごしていたんだ。そして一緒に旅立っていった。そこに我々は何を見出すのか。
生きているだけで良い、生きていることが申し訳ない、
死を覚悟して死んだ、死を覚悟して生き残った
戦争へ行った者、帰りを待つ者
帰って来た者、帰って来たかった者
生死を分けた運、運命的なところも述べられていた。天候、時間、体調等々。しかし原爆は人的なもので運命などでは無いとも。
戦争の被害者とその遺族と・・・。そこに救いがあるのかと。いったいどこに。
この作品が1つの救いのカタチとなるのか。
・補足
息子とその母親のやり取り。それを知らない一方的な同情を寄せる隣人。全てを観ていた我々。モヤモヤする方はこの辺の構図を頭に入れて、ラストの解釈をしていただければ良いのではないだろうか?
申し訳ないが最後の表現はあまりにも突然だったので笑ってしまった。
死者が見えるという現象。
はじめのあきらめたという言葉。死に近づいているから見えているのか、死者が彼女を死へと誘ったのか。
ここはどんなニュアンスを持たせたかったのか。気にする必要は特に無いのか。クリスチャンという割り切りか。
〇余談
一部のジャニーズタレントファンが舞台挨拶にて問題を起こしたそうで・・・ せっかくなので真に受けて乗っかります。おそらく彼らは問題とさえ思っていないだろうが。
何が滑稽かって彼らはいったい何を追いかけているのかですよね。自分の愛するべきタレントがこの作品に関して言及したわけでしょ? メッセージを送ったわけでしょ? それを聴き分けられない耳の持ち主たち。彼らには何が見え、何が聴こえているのか。見えていて、聴こえているとして、いったいどのように見え、聴こえているのか。その世界を是非とも堪能したくある。
私が鑑賞した時なんか、30代くらいの夫婦?バカップル?がですよ、何席か隣に座っていたが、ひたっすらにおしゃべりしてましたからね。どこに質問する要素があったの? 解説する要素があったの? いったい彼らは何を観ていたの? 見えていたの? 携帯度々観察してるし。
何しに来たのマジで???????
なんかかわいそうになってくる。そんなにも周りを気にせず2人の世界に閉じこもり、世界の見方を狭めて、日々何を想い、何を感じ生きているのだろうか。
ま~、それはそれで、幸せなのかな・・・
マナー、モラル、常識なんて言葉を知らんのだろうな。自分は適用外という都合の良い判断が為される連中が多すぎるよ。ま~私もどこかで、やってしまっているんだろうな。気をつけよう。
〇最後に
・自分で疑問に想った事を自分の中でまず昇華しようとせず、すぐ人に聞いてしま
う人、それに得意気に答える人
・手持無沙汰になると何かをすぐいじる人、我慢を知らない人
・エンドロールを最後まで観ずに、ずけずけと帰って行く人
この手の作品には耐えられないだろう。鑑賞しない方が良い。周りに迷惑。理解しようとしなくて良い。どうせわからん。期待してないし。
残念ながら、私を含めほとんどの人間がこの手の作品がウけるような社会で生きてはない。いや生き方をしていないとするのが正しいか。悲しきかな。そこに忘れ去られようとしているなにかしらの事実、歴史を感じればまだ救いなのか・・・
ではでは・・・
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