2015年12月27日日曜日

野火(2014)

~戦争~ 

〇はじめに 
 「わからない」「伝わってこない」 
こんなレビューを見かけた。当にこれだろう、この作品の全ては。何と戦っているのか、何のために戦っているのか、どこにいるのか、どこを目指しているのか。戦況、情勢、因果関係、わかるわけがない、伝わってくるわけがない。彼らにもわかっていないのだから。そんな中、その結果、どんな状況に行きついたのか。これを受け止めるべきなのだろう。そこに至るまで、別にうまく観せる必要なんてない、観てやる必要なんてない。しかし惨く汚い目を背けたくなる戦争という事実を、見つめ直さなければならない。 


〇戦争 
 明確な敵が描かれない。その上で、直接的な人間の死をまざまざと映し出す。戦争映画における1つの目標(終わり)。敵の殲滅による戦争の一時的な収束。この希望やはっきりしているものが何もない中で見せられる凄惨な光景に何を見出すのか。この状況に陥った原因は、誰が悪いのか、誰にその怒りや憎しみをぶつければいいのか、どうしたら救われるのか。敵と味方との命を天秤にかけていた。今まではそんな思いで戦争映画を観てきた。いや観せられていたんだ。 

最近鑑賞した戦争映画で・・・ 
 「アメリカン・スナイパー」も敵は何者だったのかというテーマを含んでいた。しかし、その時点での倒すべき敵を描いていた。いやそんな描写があってこその映画であることは重々に承知している。それを踏まえて何者を殺していたのかというのを想わせる作品なのだから。
 「日本の一番長い日」は原田監督ならではであろうが、人間ドラマに焦点を当て、泥臭さを一切に排除し、見られる(見やすい)作品にしてしまっていた。いやそこがすばらしいところなのだが。 
 どちらも素晴らしい作品であることには変わりないのだが、どちらも戦争という事実より、戦後という結果から浮き彫りになった何かしらを見つめる作品であるということが、「野火」を観て想うところとなった。 

 戦争映画でやられがちなのが、戦後ならではの、客観的に事実や結果を眺めたことによる、因果関係を明確にした上での反戦の価値観を含ませること。そんな作品が多い中、この盲目的な戦況にいる兵士を描く「野火」。観ていられない、見たくない。惨い、グロい。衝撃だった。ここまでやるのかと。いや現実にもっと悲惨だったのだろう。 

 人間の尊厳を冒してまで、我々はいったい何と戦おうとしていたのか、戦おうとしているのか・・・ 


〇野火
 火は何の象徴だったのか。


 たき火にしろ、狼煙による合図にしろ意図的に起こされた火。これは人の存在を意味するのか。そして生では食べられない芋を蒸かす役目もある。緊張や不安、混乱をもたらすものであり、しかし希望でもある。

 火を求め、マッチを求め、原住民を殺してしまう。しかし火を起こす技術があれば・・・
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 国が違う、言葉が違うという緊張感もある。身近で言うなら、日本という日本語が話される国においてホームであるにも関わらず、英語で話しかけられただけでテンパってしまう。そんな人が多いのではなかろうか。
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 爆撃や病院の火事、手榴弾も火の位置づけなんだろうかね。

 最後彼は何を見ていたのだろうか。



 マイク・タイソンを育てたカス・ダマト氏の名言を最近かじったので取り上げてみる。

以下引用
 「恐怖心というのは人生の一番の友人であると同時に敵でもある。ちょうど火のようなものだ。火は上手に扱えば、冬には身を暖めてくれるし、腹が空いた時には料理を手助けしてくれる。暗闇では明かりともなり、エネルギーになる。だが、一旦コントロールを失うと、火傷をするし、死んでしまうかもしれない。もし、恐怖心をコントロールできれば芝生にやって来る鹿のように用心深くなることができる。」
引用終わり

 この言葉がしっくり来たんだ。



〇芋 
 自然の異様に明るい色と、人間の薄汚い色の対比が目についた。森の緑と兵服の緑など。

 芋が何かを暗示していたのか。 土にまみれた芋を食す兵士たち。そんな芋は土の中でなっているものの、地上では青々とした綺麗な葉を茂らせる。土にまみれた芋が彼らだとしたら、地上の葉は何者なのか。それを掘り返すということにもまた意味が含まれていたのか。


〇戦後世代
 おそらく彼もおかしくなったのだろう。

 少ない食糧を仲間内で争いはじめる。食糧が無くなったらどこへ行きつくのか。そして餓死、野垂れ死に、自決といくつかの末路を見せていた。

 最後妻が彼の食事の前の“何か”を眺めるシーンがある。それは全容が移されることなく、何の行いなのか明かされることなく、妻の目線で後ろから映されている。これはいったい何を意味していたのだろうか。

 戦争を経験した者と経験していない者の差。これから世界を支えていくのは誰なのか。同じ過ちを起こそうとはしていないだろうか。


〇最後に
 とある劇場の舞台挨拶にて、塚本監督のお話を聴くことができた。印象に残ったのは、戦争で生き残った人たちは少なからず何かしらをしているということ。被害者の観点から語ることは多いが、加害者の観点から語られることは少ないと。伝えられていない事実があると。

 この作品に出会うまでに知らなかった、見ようとしていなかった事実があった。まだまだ知らない、明かされていない事実がある。そんな私のような人間がいずれ日本を、世界を覆い尽くす。そこに危機感を覚えるとともに、それは逆に幸せなことかもしれないとも感じてしまう。しかし人は何かを忘れた時、それを再び思い出さなければいけなくなる。





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