~暗殺教室~
〇はじめに
暗殺とは何なのか・・・
そういや、山本舞香出てたんだっけか。こういった生徒一人一人を前作で認識させてないのがやはり致命的だよな・・・
〇こんな話
ぼくたち~、わたしたち~、・・・
〇暗殺教室
他校の生徒が女生徒を攫う件。E組の彼らは常に暗殺技術を教え込まれ殺せんせーを付け狙い実行してきたはず。そして考えること、工夫すること。それぞれの能力とそれに見合ったものをと進路指導でも示している。勝てるという算段を、成功率を高める方法をひたすらに探究してきたはずだ。そういった思考をひたすらにひたすらにしてきたはずの生徒たち。そんな彼らが真っ向から殴り込みをかけるのである。そして人質を取られる。すばらしい、これが殺せんせーの教育の成果である。
後のタイマンを張る件があるなら尚更考えるべきところだと思うのだがな・・・
解釈の違いにおける意見の相違や対立。自分たちで考えて考えて捻り出したものが実を結ぶ。成果を得る。はたまた対立をも生む。そしてどうするのか。何を選択するのか。どんな道を歩むのか。どこに辿りつくのか。飽くまでも彼らが主体なのだろ。
そしてそれを見てやる、気に掛けてやる、評価してやるというところを意識させたいのだろ。これを見ていい歳した大人がそう思えればいいのだろ。そしてこの時代を生きる子供たちが「そうだそうだ」と受け身になるのではなく、「そうなのか」と主体性を持てれば。この相乗効果が意味を持つのだろ教育というものは。
実際そううまくいくもんでもない。現行の制度がある、制約がある。掲げている方針や目標をいくら改めようと全ての人間をカバーすることはまず無い、不可能。だから仕方がないのだとあきらめるのか。違うだろと、まず自分からってな話なんだよ。
他人は変わらないと言う。だから自分が変われと。これは何も妥協案でも何でも無い。他人が変わらないからと自分も変わらないと意地を張るのでも、変わらないからその他人に期待をしないで自らを変えるのでもなく、他人が変わるかもしれないという期待から自らを変えるわけだろ。飽くまでも主体的にだ。要は変化というものに対し受動的にではなく能動的であれと。そこから他人が変わろうが変わるまいが大した問題では無いんだよ。自分がどうなったのかというところが大事なのであって。
まぁこれも気休めでしかないわけだけどね。実際に気になるもんは気になるし、イラつくもんはイラつく。でもそっからわかり合えないとするのは結局受動的な行動なんだよね。私は変わったからあなたも変われというのは。結局私が変わったこととあなたが変わることが結びつかなかったってな話なんだよねこの場合。ま、イラつくけどね・・・
殺せんせーの教育に関して・・・
例えばこんなところはどうだろうか。
未曾有の事態に陥った時、こいつはなんでずっと手に段ボールを持っているのか・・・ この時点で彼の優先事項はまだ段ボールにある。同級生だったものが触手に弄ばれているのにだ。それとも何か意味があるのかなこれって??
こういったところをどう見るかなんだよ、捉えるかなんだよ。
独り独りの生徒を見るということ。この作品の生徒たちを見て所詮中学生だと見るのか、されど中学生と見るのか。どういった見え方ができますかと。
こういった細かいことは見逃すべきじゃないお話だと思うのだがね。テーマはいったい何だったのか。ただの役者お披露目パーティじゃないんだから。
〇最後に
全体の流れはわかる。やりたいこともまぁわかる。しかし細かいところが気になってしまう。むしろそのやりたいことを見せる上でクリアすべき最低条件だからこそだろうのにだからである。舌が回らんよ。せめてもう少しメリハリをつけてほしい。ほんとに独り独りが、である。
まぁいろいろ書いたが、んなことぜんぶどうだっていいんだよ!! 橋本環奈をなぜ出さない・・・・ 実体化でもなんでもやってくれえええええええええええええええええええええ これを生身でやらんでどうする!!?
最後のクラス全員で暗殺の時もハブられてるし・・・ しっかりしてくれ・・・ これって何かどっかで補完されてるんか??
エンドロールの撮影風景がなんかみんな楽しそうだったからまぁいいか。
ではでは・・・
〇おまけ
ネタが無いのでひたすらに同じシーン貼りま~す、下心満載で・・・
こういう観せ方するなら上裸で見返り美人みたいにすればいいのに。それかスカートたくし上げとか・・・ 違う方面行っちゃうか。
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