2016年11月30日水曜日

怒り(2016)

~信じる~


〇はじめに
 衝動的に、突発的に怒りという感情が沸いて出るときがある。突如自分という存在の無力感に不安を覚え、恐怖にかられどうしようもなくなるときがある。その感情に果たして理由をつけることができるのか。動機を明確に説明できるのか。

 



〇こんな話
 吉田修一ではエンタメに振れた部類・・・多分。



〇信じる
 映像化の利を活かしたすばらしい作品だ。殺人事件における犯人像の展開。松山ケンイチ、綾野剛、森山未來の3人全てに犯人を演じさせていた?のが秀逸だった。容姿や仕草から誰にでも見えるようにしている。最初から我々は誰かしらが犯人であろうと疑ってかかるわけだ。いや正確には違う。誰かしらが犯人であると信じてかかるわけだ。では我々は何を基に犯人だとアプローチしようとしているのだろうか?
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  犯人だと疑う=犯人だと信じる

  犯人だと疑う=犯人ではないということを疑わない=犯人だと信じる

 こんなニュアンスかな?

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 信じるという行為は何もプラスな面だけではない。信用のおける人間というのは自らの大切なものをまかせられるといったようなニュアンスを持つわけであるが、例えばあいつは確実に裏切るだろうとした場合には、その人を疑うという行為はもちろんであるが、裏切るという行為において信用を置いていることにもなるわけである。故にその人が裏切るということを信じる。その人を信じる。となる。

 そんな面持ちで我々は3人の男に、作品にアプローチさせられる。ミステリー・サスペンス調なのはこのためだ。それぞれの人間が見えてくる、いや見えてこない。


 何でも器用にこなす人間がいたとする。なぜこんなところへと陽の目を見ないところにいたとする。その人はいったいどんな経験を積んできたなのだろうかと想いを巡らせる。

 何でもやらなければならない状況に身を置いたということを前提として、ではなぜそういった状況に陥ったのかと。何かをしたことで何でもやらなければならなかったのか、何でもやってきたのにと何かをしてしまったのか。これが実は宮崎あおい演じる愛子の風俗堕ちとも繋がるのである。お客の要望に何でも答えてしまう。

 人を見るというところ、評価するというところ。なんでもできる答えることに目を向けるのか、そこに至った経緯に重きを置くのか。



 情報の又聞きを意識させるのもうまい。

  田代 → 愛子 ― 明日香 ― おとうちゃん

 おとうちゃんが手にしていた田代の情報は、愛子から聞いたものもあれば、明日香を通して聞いたものもある。田代の紹介状の存在もこれと関連してだろう。

 そして愛子。田代の情報に関して直接聞いたことと、おとうちゃんと明日香の水差しで揺れる。明日香と愛子とのやり取りが、明日香のおとうちゃんへの報告のみというのも意図してだろう。おとうちゃんにしてみれば知るところではないのである。明日香の口から発せられる情報から状況を判断する他無いのである。

 ではどこに、誰に信用を置くのか?




 原作では気付かなかったことを少々・・・

 人の内というところ。「怒」という漢字が奴の心と書くわけであるが、人の心とはそうそう見えるものではない。これを1つ家というもので演出している。他人様の家になんて滅多なことでは入らない。我々がいつも捉えているのは外観のみである。人間でいえば外面。知り合いの家にはよく入るという人もいるだろうが、いつもの生活観ありきで家を解放できる人がどれだけいるだろうかということも念頭に置いてほしい。客人を招くというとき、何かしらを取り繕おうとしないだろうか。

 そんな中、警察は家宅捜索で何度か家に侵入していた。侵入は語弊があるか。了承を得ているものもあるわけだから。潜伏先としていたところ。愛子と田代のアパート。

 そして何より八王子の被害者宅にて門の開閉を観せた演出がすばらしい。その門は誰にでも開かれているものではない。家に入るというそれぞれの演出に関して、自らの家なのか、招き入れられたのか、強引に侵入したのか。という違いが見て取れる。

 この点で田中(森山未來)だけが1人家を築いていることに気付く。田代と直人はどちらもとあるコミュニティに招かれるという構図になっている。田代は玄関にておとうちゃんに「入れ」と許可をもらっているし、直人は優馬に家に来るか?と誘われる。そして昼もいていいぞと。それに対し田中が泉と辰哉を招いていたのは、玄関先か庭先である。彼らは一切家の中には入っていなかった。

 これを踏まえさせられ「怒」というものを決定づけているからこそ本当に恐ろしいのである。人の内など見えるのかと。ほんの壁一つ隔てたところに知らぬ何かが存在している。潜在している。それが見えない。これは泉の叫ぶ本気というところにも繋がっている。






 愛という事象。田代のエピソードにおいておとうちゃんが愛子を連れ戻すところから始まり、愛子が田代を連れ戻すという対比で終わるわけだが、これは子孫を残すという観点からの繋がりである。世間でいうノーマルな状態。親子愛に始まり、男女愛に繋がり、また親子が家族が形成される。これがひたすらに繰り返される。


 これを踏まえ同性愛はどうなのかと。1つに子作りという目的の下行われる性行為をどう位置づけるのか。愛子の風俗堕ちもこれと関連してだ。果たしてただの快楽依存と成り果てているのかどうなのか。そして泉の強姦事件。レイプは果たしてどうなのか。





〇余談1
 田代失踪の件は理由を補っても良かった。


 原作にて辰哉の動機説明のところは蛇足だと感じていたわけだが、映像化に伴いはしょったのは良い判断だと思う。サスペンスというところを立たせる上での判断なのかもしれないが、ここの部分を散りばめられた情報を基に補うことをさせたからこそ他の2つのエピソードに繋がるモノがある。

 直人が公園でってのはね~。その事実を優馬は知ってたんだよね。直人が殺人犯ではないと信じていたならば公園をすぐに探し行ったはずなんだよ。発見者が優馬だったかもしれないんだよね。






〇余談2
 宮崎あおいの天然感はどんぴしゃだが、愛子はもっとぼんやりしている印象が好ましい。れこそ体型だけで言えば池脇千鶴でよかった。しかしよく留めたと思う。

 渡辺謙だと父親として強すぎる。雰囲気としてはピエール瀧が妥当だと感じていたが、渡辺謙だからとも思えたので結果としてはよかった。

 綾野剛はうまい。原作で結末を知っているが故だが、彼の表情が堪らない。

 妻夫木くんはなんだかんだ真面目だよね。

 広瀬すずもな~、同世代でここまでできる人がいないから辛いのだが、強すぎるんだよね。凛々しすぎるというか。もうちょっと薄くてぐちゃぐちゃになれる人が好ましいのだが。薄いってのも透明感とはまた違うのよね。




〇最後に
 原作贔屓はあるがよくぞここまで映像化できたなと感動した。本当にすばらしい作品だと感じる。
 

 ではでは・・・



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