~偽物~
〇はじめに
試写会にて鑑賞。
〇こんな話
「Home」とは何なのだろうか?
家という空間なのか、家族という人なのか。それとも駅のホーム??なのか。 さらには家族とは何なのか。血のつながりなのか、体のつながりなのか、心のつながりなのか。 ちょっと考えてみよ。
〇家族
前半は疑似家族の違和感というか危うさのお披露目だった。
一見ありふれた一家団欒。交わされる言葉の節々に違和感を感じる。そしてお気楽な感じ。しかしその後の様子で、危険な橋を渡る父親の仕事ぶりが描かれる。さらに長男は偽造パスポート作り。母さんは結婚詐欺。何故彼は、彼らは罪を犯すのか、重ねるのか。動機となる部分は明かされはするが、そこまでに彼らを突き動かすものがここではまだ見えない。それは後半へと。ここの問題提起の仕方はうまい。
後半はひたすらに比較だった。
前半で描かれた疑似家族の背景をひたすらに映し出す。彼らは何を抱え、どのようにして出会い、なぜ家族となったのか。
育児放棄・虐待をする親 と その状況から救い出してくれた泥棒という犯罪者。
性を弄ぶ父親? と 生を救ってくれた女。
殺す価値も無い家族 と 助ける価値があると判断した初対面の男。
家の水もか。
子どもを亡くした男。日常的に暴力を振るわれていた女。肉親よりも彼らとの生活を望んだ子どもたち。いったい彼らの関係はどこに行きつくのか・・・
最後の父さんの出所まで(刑期)はどれぐらいだったのかと。 ここは具体的な数字を出さないところは良かった。時間の経過を、就職しかたぎとなった長男(次男もかな)と、荒れ果てた家で観せる。そしてそれとともに変わったけれども変わらない家族という対比が何ともシャレている。
〇ニセモノ
偽造パスポート、偽札を見抜かれるのではないかという不安・心配をする長男が描かれていた。それに対して本物がどうのじゃなく、どれだけ自然かどうかなのだと。そんな様なことを言われる。自然にというのは疑う余地を見出させないというところか。それっぽくしてれば、全部それなんですよ。
偽物ってのは何なのかと。この偽造の工程を見てみると、偽物のクオリティを判断する者の存在を認識する。誰かがそのものを、偽物か本物かと調べるのだ。調べなければ、知識が無ければ特にばれることもない。
終盤偽札を特に調べもせず本物と認識する男が描かれる。家族という存在の見られ方もそんなものではなかろうか。大人と子どもが一緒にいれば、大体が親子であろうと。良い歳の男女が一緒にいたら夫婦(カップル)だろうと。必要以上にその関係に介入はしない。しかしその関係性を不安に思ってしまうからこそ自ら偽物とばらしてしまう危険性を孕み、且つ家族と言う関係を見つめ直すことができると。血や体のつながりのある当然な関係の家族と、全員が他人同士の家族という関係を当然のように見せたいと奮闘している者たち。どちらが・・・・
一見綺麗なスノードームもこわれやすいという危うさも持っている。二男の不注意から落としてしまったスノードームをキャッチする長男が描かれたりする。家族という関係の均衡感とでも言いましょうか。こういうのも好き。
〇少しだけ文句
全体的におしゃれすぎる。作文で語られる幸せで笑顔溢れる幸せな家族像と、暗い過去を同時に映し出す様。綺麗に整頓された家と後に映し出される散らかった家にはじまり、とある状況があって、その状況に至るにはこのような過程を辿りましたという背景を後々観せていくのはうまいとは感じる。しかしそこまでの落差を感じない。もっと凄惨な様を映しだしても良かったのではなかろうか。エンタメ性は下がるが。彼らが最後笑顔であることの幸せは感じる。しかしそこは笑顔である奇跡にまで押し上げてほしかった。
いや、これで十分だな。竹野内豊の若干のコメディ要素もシリアスな場面と良い対比になってるし。残虐な描写が逝き過ぎると、痛快ものを期待してしまうからな。この作品を観て、のさばる悪を排除する思考がはたらいてはダメなんだ。そういう作品じゃないんだ。
・・・ババ抜きでの件はそうなるとわかっていながら涙が出たよ。ここの2人のところうまいんだよな。自殺を止める女性を描いてからの、その女性の背景。自殺志願者が自殺志願者を止める。その女性の体は傷だらけ。その傷の画が身体的なものだけでないのだとすぐにでも連想させられる。
〇余談
字幕翻訳にチャド・マレーンって名前があったのだが、どこだったのか。
芸人さんが出てる~。
〇最後に
家族って・・・何なんだろう・・・
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