〇こんな話
MWをめぐる、男(Man)と女(Woman)の物語。
〇むむむ
最初のクリーニングシューターの件を全て観せる必要あるか??
・・・正確には結城美智雄がクリーニングシューターを覗きこむシーン。
警察側が主人公の作品ならば問題無いのかもしれない(いや知らんけど)。とある2人が主人公なわけで。そしてそれを最初に映し出しているのだから、彼らが有利に展開することは明白。ならば警察側が全ての場所に展開する様子を観せることで、出し抜かれることは確定するではないか。わざわざその場その場で振り回されているように描いているのだし。そこはどんなトリックでという演出よりも、如何に犯人側が有能なのかということを警察を馬鹿にする、嘲笑うことで演出するべきだろう?? 違うのか?? そうすれば唯一彼らと対等に渡り合うことのできる存在をもっと際立たせられるではないか。う~む、わからん。刑事ももっといやらしくて良いんだけどな~。笑えるくらいに。
2人の復讐の動機となる事件においてもですよ。いきなり崩壊した様を観せられてもピンと来ないと言うか。謎が先行してしまうんですよね。別に構わないんですけど。いや、2人の原動力としては物足りなく感じてしまう次第で。事の大きさがわかりづらいというか。彼らが立ち向かう悪の大きさが把握できない分、彼ら自体を小さくしているというか。如何に凄惨なシーンを映し出そうと、すでに崩壊した様を観せるよりは、彼らの慣れ親しんだ平穏な日常が崩壊していく様を観せた方が効果的だったんではないかと。尺の問題もあるので、そううまくはいかないのかもしれないが。それならば兄弟や姉妹を増やしてそれらが目の前で死んでいくとかはダメだったのだろうか。友人でも良い。彼らが追いかけられる様を映し出すことでだって、もっと恐怖を煽れたはずなのに。そうか、子どもが死ぬシーンというのが問題なわけか。
〇余談
玉木宏終始かっけぇな。
〇最後に
MWとは、何だったのだろうか・・・。
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