2015年6月17日水曜日

予告犯(2015)

~それだけ~ 

〇はじめに 
 小松菜奈かわいい。毎日通いたい。いや、。雨の日しか行かない。傘なんて差していかない。ま、びしょ濡れで帰りますけどね。
・・・エピローグ的要素で、雨の日に傘差さないで傘返しに行って、タオル渡されるとかやってほしかったな~。

〇想起する作品
 「ブラックサイト」(2008)

〇こんな話 
 m9「昨日の朝飯を教えてやる」 
 ・・・「何食べたっけ??」 

 最近流行った事件やワードが散りばめられているので、非常に入りやすいと思う。これが今という時代ですよと。


〇戸田恵梨香 
 刑事の役どころが戸田恵梨香ありきになっている気がする。戸田恵梨香が強すぎる。キャラ的にツンツンツンデレツンデレデレな感じなのだが、劇中で彼女にもっと突っ込んで、掘って良かった。このギャップが足らないのである。故にゲイツとの対比も薄く感じてしまうのである。ある衝撃を与えようとしているのは感じたが(給食費未納、友達いない、男と女、エリートと落ちこぼれ)。
 あと早口苦手そうですよね。舌の回らない感じが若干エリート要素の足を引っ張っている気もする。 
 
 彼女に、ケツにアナルバイブを突っ込まれたどうのと発言させることで、女ではなく刑事であることを強調させる。しかし、ゲイツを執拗に追いかける、何かしらの執念を演出するのに女と汚水を結びつけさせようとするのである。ここが何とも中途半端に感じてしまう(特にコンプレックスは描かれてなかったよな・・・)。 
――― 
 あ~ここはこの場面での2人の越えられない壁だったり、立ち位置や状況だったりのところなのか。後に彼女は彼の辿った道を追いかけることになる。それとともに見えてくる彼の人間像と、彼を全く見ていない周囲の人間たち(環境)に気付いていくわけで。この画は二人に対しての背景が意味を持っているのか。  
――― 
 どうせなら、性玩具の名前をもっと連呼させてもよかった。プレイ内容を事細かに言わせても良かった。いやそこはストレートにものを言う感じを示すところだからこれで良かったのか。職歴における差別に対する男女差別を持ち出しても良かった気もするが、そうすると盛り込みすぎになるのか。彼女の優秀さを示し、今のポジションにいることを公安の同期を持ち出すことで演出としては事足りているのか。
 
 いや、でも堪んないっすわ。薄っすら陰る感じの貌うまいですよね。


〇生放送 
 もっと生放送はふざけて良かった。例えばバイトテロへの制裁。ただの天ぷらではなく、ゴキブリ団子やゴキブリメンチとかにしても良かった。そしてアナル拡張もだ。尿道云々までやっちまえばよかった。

 
 警察という1つの正義の象徴と、正論を吐きネット上で評価される1つの正義の対立は割と早く訪れ、その衝突がメインになっていくのかと思いきや、予告犯側の背景に尺を持っていかれる。これにより美談が響くのは良い。しかしそこにもっと何かしらの疑問符を浮かべさせても良かった。 

 社会的な迫害を受けた人物が、その迫害をしている者たちすら救済するカタチになるわけだが、そこは観ていて何ともすがすがしい。エリートである公安の捜査能力のひけらかし、エリート思考でしか、その価値観でしかものを測れない、捜査できない者たちが馬鹿に見えてくるのだが、意味があったのだと汲み取る。たったそれだけのためという理由かもしれない。しかし見つけられる能力を持ちながら、そうでもしないと動かない力があるのは事実。同僚の刑事が、1人の政治家が狙われるだけでこれだけの人間が動くのかと言う。どこの馬の骨ともわからんヒョロ1人には動かねえよというお話になるわけで。 あるべき場所に必要なものが無い。適材適所を誰が見極め、誰が供給するのか。そんな完結したシステムなどこの世には無い。そもそもあるべきではない。過不足があるからこそ経済は、社会は廻るわけで・・・・まぁいいや。  

 で、何が言いたいかって~と、犯人側が裁定者となり、とある罪に関して裁いていくことに関する疑問を、犯人自らで自分たちを罰するという彼らの償いというか覚悟というか、それにて補填してるのはうまいのだが、結局は自分勝手という見方をされてしまう。お騒がせしましたと、謝って済むなら警察はいらねえんだよと。小さな幸せのために、あらゆるところに被害をもたらしているという、損得勘定が先行するというか。人が生きる上で必ず抱いているであろう、自分と相手を比較し勝手に抱く妬みや僻み。 その辺がゲイツが言う自尊心の話に、彼の意図とは別のところでつながるわけで。それは次の項で・・・


〇自尊心
 ゲイツの自尊心に関する演説には何とも心を打たれた。しかしだ、この自尊心は何も(自称)弱者だけに適用されるものでは決してないことを見失っては困る。
 

 ゲイツと社長の場面で少し考えてみたい。

 あの場面、ゲイツは客観的に見て誰もが指示するであろう正論を吐いている。ここですでに私は偏った見方をしてしまっているのかもしれないが、それに対して社長が放ったのは、わからないことがあったら自分で聴こうよと。責任転嫁である。これはまだ良いか。

 問題はその前か。責任転嫁の仕方。彼は派遣社員と社長という上下関係を利用して、ゲイツ一人を悪としたのである。自分が正しいという、その場の雰囲気を作り上げたのである。立場を利用することは何ら悪ではない。社長が悪だったのは、立場を利用して論点(ここでは善悪の基準)をずらしたことにある。いや、議論すらしようとしなかったことである。

 ではなぜ彼がそのような行動をとったのか。いやとらざるを得なかったのか。彼にもまた自尊心があったからだ。どうやって築いたかは知らないが、社長にまで登り詰めた(起業したのかは知らんが)彼なりの自尊心があったからだ。自らの自尊心を守るために、ゲイツの自尊心を奪い取るしか方法がなかった。知らなかったのである。そして周囲の者もまた自らの自尊心を守るために社長に迎合し、ゲイツを傷つけることになった。彼らも必死だったのだ。今のポジションにしがみついていたのだ。その中の1人がゲイツと同じ道を辿ろうとしている様が描かれていたことが「何か」の問題提起だろう。そして集団や雰囲気、空気を重んじる日本は特にこの現象が顕著なのだろう。


・・・とこのような議論をしてみるとわかるのだが、自尊心に関して大きさの概念が介入してくる。プライドと言い換えた方が良いか。で、予告犯たちの動機となる部分につながるわけであるが、これもまた大きい小さいと、劇中では「それだけ」ってな単語が顔を出すわけで。

 共感できないという言葉が目に付いた。この話は何も共感云々で議論すべき内容ではないことに気付いていただきたい。じゃあ感動させようとするなよって意見が出てくるだろうが・・・。

 そもそも賛否が分かれない事象など存在しない。捉えている、理解している情報の違いに起因するわけだが。意見の衝突はどちらかが倒れることでしか立つことは無い。そして正しかろうが、間違っていようが、なぜだか大きい方の意見が勝つ。そんな様をいくらでも見てきたはずだ。さらにそこに言論弾圧や言論統制(いやそういうシステムに敢えてしてるんだけど)。そこが何とも不思議なのである。この現象を思考させるために警察と予告犯という二つの正義の衝突を描き出したのである。まぁ共感云々を持ち出しちゃうと、その思考すべき現象に当てはまっちゃうんですよ。現象の中にに入ってしまうわけで。いや外なんてないんですけど。もう面倒くさいな。
・・・てな感じに勝手に納得している。まぁ共感した者の戯言に過ぎないんですがね。


 まとまらんかった。

 要は、「それだけ」というところを如何に許容できるかがこの物語の鍵だ。世の中の不公平をどれだけ受け入れているか。どう感じているか。そもそもそんなことを考えてすらいないか。観終わってモヤモヤを抱えない人はいないのではないか。むしろそのモヤモヤがなぜなのかと考えさせることが狙いなのだろう。
 

〇余談 
 予告編に使われていた曲が無かった。予告犯の二面性を描く上で、あの音楽の変化は絶妙だったように思うがな~。サントラに入っているのだろうか? 

 m9「昨日の朝飯を教えてやる」
 ⇒ これおもんないかな~?。パロったんだけどな~。まだ起こっておらずこれから確
    定させる予告と、実際に起こったことなのに不明確な朝飯。 


〇最後に
 マジで止めてくれ、荒川良々。涙が出たよ。取り調べや寿司の件大好きだよ。
 
 

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