~よい。~
〇こんな話
とある夫婦のこれまでとこれから。
〇一歩引く
終始流れに乗り切らないというか、どこか途切れ途切れというか。ラストも主題歌を直で挿れても良かったんじゃないかと。そしたらもっと感傷に浸れただろうに。要は全体的に微妙なのである。入り込めないのである。その辺がひたすらに気になったわけだが、これはわざとであったのだろうと思うことにした。
そもそも作家志望の人間のブログが書籍化や映画化に漕ぎつけているという事実に何か胡散臭さを感じてしまう。
しかしそこは元ネタを活かし、全体的に何か軽い文章で、真面目な話でありながらどこかふざけているように見せる。そして文章の最後に括弧をつけて補足説明するかのように、2人が過去回想に関してウソかホントかと突っ込みを入れていくカタチで、ブログの文章と過去回想における違いを示すことで解消しているのだと思われる。そして書かれていることよりも書かれていないことの方がどうのと、出版社に持って行った際にある1人に「何か(ウリは)無いの?」と突っ込まれたりしているのも関連させたいのだと思われる。
この二人が過去の自分たちを眺め、ウソホントの議論だけでなく、その当時どのように見えたのか、見られていたのかといった感想が入る場面もある。つまりこの作品は彼らが過去の自分たちを一歩引いて観ていたように、彼らと同じ視点ではなくさらに一歩引いて眺めてみなさいということだったのではなかろうか。
そこがどこか素直に感情移入させず、感動しきれないものの、元ネタのブログというものがどのようなもので、どのような場所にあるのかというところを考えさせたかったのではなかろうかと。これが多くの真実味のある情報が行き交うネットに関する見方ってことなのではなかろうかと。ネット社会におけるひとつの情報の最先端ではあるが、その事実や真実はどのようなもので、どのように発信され、そんなものに我々はどのように接し、どのように受け止めるのかと。そんなメッセージと受け取れなくもない。
妻の病や死という事実を受け止められず、嘘をつくことで保っていたと言った話が入ったりもする。そこに死んだ者をすぐにネタに、出しにすることを不謹慎であるといった雰囲気や、夫である親であることへの責任云々と絡めたりしている。
この作品は情報の前後はあれど、何かしら疑問や課題となったことがどこかしらで補おうとされている。防衛線を常に築いている。誤解の無きようにと、括弧で説明が付け足しされていくようにだ。それが何とも見難いのである。
〇最後に
「とりあえずみんなと会えてよかった」というメモで、「よかった」を☓して「よい」としてるところは何とも突き刺さった。
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