2014年5月9日金曜日

ザ・コール 緊急通報指令室(2013)

ザ・コール[DVD]

~目には目を、歯には歯を、悪には?~

〇こんな話
 自分のミスにより通報者を死なせてしまったオペレーターである主人公。それがトラウマとなり、研修生の指導にあたることに勤めていた。ある時ケイシーという少女から通報が入る。最初は指示をするだけなのだが、なんやかんやあって主人公が対応することに。はてさて・・・。 

 警察と911オペレーター・ルームとの連携が、犯人を追い詰めていく包囲網みたいな描かれ方をし、犯人を含め登場人物たちの判断・行動が犯人へと繋がっていく感じを見事なスピード感で描きつつ、わかりやすさを殺さないからとてもワクワクする。実際はオペレーター・ルームは盲目(声のみ)でこの繋がりは直接的には見えてこず、映画ならではの観せ方ではあるのだが、現場・警察・オペレーター・ルーム全てに焦点が当てられているからでこその緊張感はすばらしい。

〇全体として(流れ)
 前半部は 「スピード感>緊張感」 で描かれ、後半は 「緊張感>スピード感」 で展開する。

 基本的に犯罪捜査(犯罪映画)というのは犯人と主人公とでスタート地点・時間が違う。犯人が先にスタートし、優位な立場に確実に立っている。その最初からある差をいかに埋めるのかといった追いかけっこが面白味で、これはその設定を見事に活かした作品である。

 前半部は警察、オペレータールーム、通報者との連携により、一気に犯人との差を詰めていく。しかし、犯人逮捕への最後の決め手に欠ける。そして後半部、前半部で得た情報の選別によりじわじわと犯人に迫りよる。この前半部と後半部の対比及び緩急があるからまた飽きさせない。実際であったらスピード解決してほしいところではあるが、これは映画なので。 

 つまり、犯人に常に先を行かれざるを得ない主人公が、どうやって犯人に迫っていくのか、といったところが見どころで、さらには常に後手でありながら、その差を埋めるための犯人の描かれ方がまたミソで・・・、それは次の項で。 

〇(典型的な)サイコパスの描かれ方
 ・今は亡き愛する姉の影を追いかけているという男。

 ・犯行はある程度のスパンを置いており、その欲求充足が満たされる度合いやら期間があるという 設定を活かし、主人公のトラウマとなる誘拐事件と今回の事件をうまくつなげる。

  ・一見すると計画的に見えた犯行でも予想外の事態に陥ると対処しきれず、常軌を逸した行動(計画には無かった行動、つまりミス)に出てしまいすぐさま計画が破綻する。それを繰り返すことで証拠等が露呈し身元が暴かれていく。 

〇ENDについて
 まず前提・掟としてあること 
 ・オペレーターはPR(通報者)に感情移入しない 
 ・オペレーターは事件の結果が見えない

 ある事象のただの経過(仲介者)でしかない。 ハリソン・フォード的であれば法で裁かれるべき犯人をハリソン・フォードが痛い目にあわせる。まあ、殺すんですが・・・。この映画は殺すのではなく、そこで苦しみ朽ち果てろ的なエンドをどう見るのか?

 主人公VS犯人と観ると判断が難しい。しかし、被害者VS犯人と観るとちょっと違った見え方ができると思う。この事件の犯人は主人公がミスを犯し、トラウマとなっていた誘拐事件の犯人と同一人物であり、この主人公もまた被害者なのである。本来であれば主人公の職柄上、ラストは犯罪を犯した者は法により裁かれるべきではある。しかし、そんなのはただ法律で決められているに過ぎない。被害者の気持ちなど知れずに。なぜ法を犯す者に対して、こちらだけが法に従わなければならないのか? 法を犯しているものに対して法を適用する必要がどこにあるのか? そいつを裁く権利があるのは同じ土俵に立つべくものだけではないだろうか。それを被害者が請け負ったっていいじゃないか。誰が損をするわけじゃない。

 ・・・とまあ、思ってしまう自分がいるわけで。犯人と被害者間だけですっきり解決できればそれでいいのだが、そうもいかないことがあるわけで。別に宗教的な考えではないのだけれど、このような憎しみの連鎖を断ち切るには、どこかで赦すという行動に誰かが出て終止符を打つしかない。しかし、その見地に立てるのはある種絶対的な信仰心を持ったものだけであろう。その人物の行動を終始観察し、それらについて正当な審判を下せるものの存在を信じるもの。まぁそれに近いことを裁判という場で行うわけではあるのだが、犯人に対して同等の対価が課せられているのだろうか? 仮に課せられたとしてもその事象は消えない。どこにこの憤りを昇華すればよいのだろうか? と考え出すと、この世はなんと理不尽な不合理な世界なんだと感じてしまう。同じように感じる人は多いのではないだろうか。だからこそ、悪には悪を、法を適用しない悪への制裁を行う内容が痛快に思えるし、好まれる傾向にあるのだろう。 アメリカは悪に対して絶対的力をもって制圧をする。我が国が正義だと言わんばかりに。映画の影響が強いのだが、悪には悪をという考えがやはり強い気がする。

〇人間の行動分析
 異常事態を目撃した者たちの行動の違いについての描かれ方に納得させられた。人によっては事の重大性や判断の適切性が異なる。異常事態に陥った時、目撃した時あなたはどのような行動を起こすのだろう。すぐに911に連絡するかもしれない、しかし必ずしも911に連絡するとは限らない。当事者間での解決を図る人もいるかもしれない。考えさせられた。なるほど。 連絡したものの親切心が裏目にでる可能性も。それが母親である女性は連絡。ある程度の地位に就いている男は当事者間とこれはまたなにか狙っているのか? 

〇最後に
 最初にも書いたのだが、犯人へのつながりの描き方が見事。犯人自身からでる犯人へのつながり。それを通報者、警察、オペレータールームへとつなぐ。犯人に迫っていくのもうまく緩急をつけていて飽きさせない。最後は法を通して欲しかったところだが、やはりそれではインパクトに欠けていただろう。うん、おもしろかった。
 

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