~フォースと共にあらんことを~
〇はじめに
ライアン・ジョンソンって「LOOPER」(2012)でも感じたけど、子どもの表情というか眼差しというか眼光というか瞳というか…捉えるのはうまいよね。
〇想起する作品
「ハリー・ポッター」シリーズ
「メアリと魔女の花」(2017)
〇こんな話
すばらしい、全て間違っている・・・
〇フォース
スピンオフではあるが前作となる「ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー」(2016)にてレイア姫へと繋がれた“HOPE”が、時系列における隔たりはあれど今度はレイア姫から託されるという繋がりを見せたことでのルークのいいとこどりは良かったと思う・・・
人と人とのやり取りにおいてほぼ必ずといっていいほどにもたらされる“間”が気になって仕方が無かった。良く言えば猶予・余裕。悪く言えば無駄・ロス。
最初の艦隊戦におけるポーとハックス将軍、ポーと司令官(レイアだったっけかな?)のやり取りからすでに始まっているのだが、非常事態における指揮系統の乱れや迷い、命令違反等様々なカタチで描かれる“間”がありとあらゆるところに散見される。
戦闘に出向く際、ポーがBB―8に対し「先に行ってエンジンかけとけ!」と叫ぶ。これは発進までの時間的なロスを削るための判断なわけだが、BB-8が先行した矢先にハッチは爆撃される。ポーは縮めようとしたこのロスがあったから助かったことになる。
ルークの「すばらしい。全て間違っている」という台詞。これは上げて落とすという手法、ある種逆説的な表現によりもたらされる、落胆の前に一瞬期待させるという間作りである。
ルークによるレイへのフォース入門講座もこれ。「お~いえ~感じる!、お~いぇ~すこんなの初めて~!!」という件。ノリツッコミとでも言うのだろうか・・・
レイがライトセーバーで岩を切り落としてしまって、その落っこちた岩の先に・・・ってな件は笑いがあっておもしろかった。
あと仲間がこんがりと焼かれて食われそうになる(喰われる?)件とかもね。
ラストのルークの時間稼ぎの件なんてのもそうなんだよね。レンがルークの策にまんまとハマってしまう。
終始大枠で繰り広げた艦隊の追いかけっこもそういやそうだよねと・・・
その一瞬の“間”によってもたらされる???(はてな)や理解に感情の起伏、空気や雰囲気といったほんの些細な変化から究極は生と死、何かしらが転じるもしくは転じようとする兆しをこれでもかと印象付けている。
これらがルークの説くあらゆるモノの間にありバランスを保っているとするフォースのお話…フォースはジェダイだけのものではない…へと昇華されるのはナルホドとなった一方で、いやなにどうしてか作品全体の間が悪い・・・
そもそもこの間のもたらされ方にあざとさを感じていたわけだがそれは百歩譲ったとして、この間というところとは別にいらんところで無駄の蓄積が際立ち、所々で話として筋が通っておらず支離滅裂であるにも関わらず、混迷を極めていただろう戦いにひらめきや奇策によってあっさりと決着を見るという作りはナンセンスではないか。
名も無き〇〇という話へのオトしとするのならそれこそ人と人との関わりにおいて生じる“間”というものを積み重ねそれを土台にしてこそだ。しかしこの作品はその下積みを物の見事に蹴散らしていく。彼らの存在に意味が付加されない。いらなかったんじゃないかとさえ思わせる。人と人との小さいところでの変化と、大きくはファースト・オーダーとレジスタンスとの戦況の変化がリンクしてないところが何とも悲しくある。
立場の違いや見てきたものやってきたことの違い、画としての観点の違いからイチ個人というところにアプローチした「ローグ・ワン」に対しこの作品はどうだったよ?
〇最後に
これ次作どうするんだろうね・・・
ではでは・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿