~人間ドラマは通ずるモノがある~
〇はじめに
所々ピンと来ない。アルゼンチンにおける国民性や文化、社会情勢等諸々に疎い私には厳しかった部分がある。
〇想起する作品
「パニック・ルーム」(2002)
「ブラインド・フィアー」(2013)
「クライム・スピード」(2014)
「バンクラッシュ」(2016)
・・・内容が完全にこれとダブルのだが最近何かあったのか?
〇こんな話
銀行強盗からお金をぶん盗る。
〇え~っと・・・
最近鑑賞した「バンクラッシュ」という作品もアルゼンチン産のものだが、この「エンド・オブ・トンネル」と同じく偽の情報に踊らされる人間たちを描くことをしている。退路が水浸しというのも共通するし、そしてことわざや教訓めいた話を持ち出してきてドヤと。それぞれ何かしらを暗示しているものがあるのだろうが、正直さっぱりである。あちらさんの映画スタイルというものが何かあるのだろうか・・・
同じくアルゼンチンの映画で「人生スイッチ」という作品があり、ぷっつんしてしまう者たちが描かれたわけだが、これは国民性の問題なのか、社会問題(経済状況等)として深刻なことなのかというのがそもそも理解できていない。
計画の裏で計画を立てる。これがミソなわけだよね。絶体絶命のピンチにおいて彼が手繰り寄せた好機は決して女と運などではなく、正確には外部から勝手にやってくるものではなく、彼が誰かしらに施したものが還ってきたに過ぎない。正確にはそれが起点となったとすべきか。つまりは忍耐や誠実さといったところを説こうとしているのではないかと勝手な妄想を膨らませている。
その反面銀行強盗の計画を知った上で通報しない主人公が気にかかる。これは銀行に何かしらの事情があるわけでしょ。国民をだまくらかして金を搾取しているとか、政治家の汚職があったりだとかってな話があるんだろう。これを身近に感じていないと何をどう揶揄しているのかというのは感じにくい。
「バンクラッシュ」の受け売りだが、「泥棒から盗む者は・・・」なんて諺があるようで。さらにはリオ銀行から50億円を奪ったフェルナンド・アラウホという人物が英雄扱いされていたりする背景もあるのだろう。
そんなところもあり、どうも感性にギャップを感じるのである・・・ 受け入れ難いというより、そもそも何を受け入れるべきなのかがわからない。
〇人間ドラマは見事見事
突然押し掛けてきた母娘の出現による主人公の変化の兆しと変化の描き方はすばらしかった。彼の過去の痕跡を様々なアイテムにて想起させるわけだが、中でもカシミーロという飼い犬に関しては唸った。
長年連れ添った(取り残された)カシミーロに対して歳だからと安楽死させようかと当初は悩んでいる(あきらめかけている)。ずっと寝たきりだからと。しかし彼のカシミーロへの姿勢はというのはベティへの最初の対応と同じだったのではなかろうかと連想させるのである。話しかけてこないからこちらも話さないというものだったのではなかろうかと。勝手に(一方的に)あきらめていたのではないかと。それを声を発しないベティのカシミーロへのアプローチで決定づける。これが主人公が過去に負った傷、さらにはベティの心の闇へと繋げているし、ドラマとしてリンクさせる構成は妙。
タバコの件もうまかったな。娘(ベティ)がいるからと主人公のタバコを気にする母親がいたわけだが彼氏が吸ってるんだよね。グッドマンという男が咳き込みながらもタバコを吸っているし。で、その場にベティが居合わせているっていう構図。片や主人公はなるべく外で吸うようにしたり、ベティが来たら吸うのをやめていたりね。
想いをただ伝えるってよりは、それが行動となって現れるとした人間模様を描けているからこそのラストだよね。情報に踊らされる強盗たち(の関係性)との対比も利いている。
よく過去を省みる鑑みるというのを回想というものでやっつけ早に行う作品が多いが、この作品は現在における過去の痕跡を進行形で紡ぎながら「エンド・オブ・トンネル」というこれからへと繋げうまく描き出したと思う。
そういえば「バンクラッシュ」も回想なく常に進行形だったな・・・多分。これが味(意図)なのかな。いや単純にジャンルの問題か??
〇最後に
主人公のその場その場での状況判断が見事だよね。これも全て情報を握っているからこそ。先ほどは誰かしらへの施しが還ってきたとしたが、本意はこちらかな。情報がモノを言う。そしてそれを的確に判断し行動に移す。旨味だけ掬い取ろうとする者たちへの揶揄と、被害に合っている合わんとしている(情報に踊らされようとする)者たちへのメッセージか。・・・として観れば痛快だもんね。
ではでは・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿