~理解~
〇はじめに
怪物と戦うものは自らが怪物とならぬよう・・・
深淵をのぞくとき、深淵もまたのぞき返している
〇想起する作品
「セブン」(1995)
「人質」(1999)
「サウンド・オブ・サイレンス」(2001)
「マイレージ、マイライフ」(2009)
「サイド・エフェクト」(2013)
〇こんな話
引退まじかの調査官と新人調査官。
〇騙される心理
米国で登録されている性犯罪者の数は50万人。監察官の数は1人辺り1000人を見る計算だそうだ。女性や子供が2分に1人性的暴行を受けている。
これをまず踏まえさせられる。
サスペンスの要素としては我々の固定観念や偏見をついてくるわけだが、
男と女を比べた場合に確実に思い浮かぶ構図が
男>女
という力関係である。男が女を支配している。男が加害者で女は被害者である。
劇中エロル・バベッチが監視対象者と面会していくわけだが、一切の同情が見られない。男VS男、男VS女の構図どちらでもだ。質問表には無い質問までして対象者を追い込んでいく。どこかいたぶるのを楽しんでいるともとれる。なぜ執拗にそこまでと。
そこに新人のアリスンである。鑑賞者の目線が彼女だ。エロルの様子を観せられ、対象者に同情の念を抱かせられる。女VS女という構図でビオラに同情する姿を描いたのがそれを助長する。そしてとあるダイナーでのバベッチの暴走。彼女は仲裁に入れず、警官が彼を取り押さえるのを見ているしかない。女VS男という構図である。そんな場当たり的な対応を観せられるのである。必然的に男と女の関係が固まっていく。
これが最後アリスンの決意を固めるところに掛かってくるのである。我々の表面的なモノの見方を突きつけられるのである。あと車の運転席と助手席の件と、複数犯というところとの兼ね合いもあるのよね。この観せ方はうまかった。
潜在的脅威を見定める。
良く言えば確信をつく、人を見抜く問答。悪く言えばプライベートに、懐にズケズケ入り込んで来る不愉快極まりない態度。彼は外堀を埋めてから、人との距離を測ってから関係性を築くのではなく、いきなり内側のものを抉り出そうとする。とあるバーでの一幕。好意を持ち寄ってきてくれた女性に性犯罪者と同じ質問を開始する。ここでの彼女の態度が普通であろう。しかし形式上監視者は逃げられない。これを逆手にとっているわけだ。
一方的な質問を繰り返すバベッチと、相手の言葉を聞いてやるアリスンでもそれを映し出した。バベッチの執拗な献身性は効果が無かろうとひたすらに新聞に丸をつけ警察に報告をしている姿でも描かれている。
性犯罪者は嘘の塊だと。一見普通に見える。装ってくる。これが表面的な質問だと見えないわけだ。相手の虚をつく質問でないと。動揺させるようなものでないと。
この辺りの線引きは難しいところ。「サウンド・オブ・サイレンス」や「サイド・エフェクト」という作品があるのだが、これは精神病を装い医師を騙す姿が描かれる。医師ですら(とすると過大評価になるのであまり言いたくないのだが)、騙されるのである。そしてこの最後は「人質」という映画も想起される。「セブン」も付け足しとくか。
怪物と戦うものは自らが怪物とならぬよう・・・
深淵をのぞくとき、深淵もまたのぞき返している
おそらくバベッチだけだったなら最後撃っていたのではなかろうか。しかし彼にはアリスンが駆けつけた。己の欲望に忠実になるということ。あの場で殺していたら彼らと同じになっていたということ。
バベッチの執拗な行為はその人物を見抜く、いや理解するという彼らへの接近を意味している。ここが肝心なのである。
ではアリスンの共感及び同情とする行為はそれに当たらないのかと。
当たらなくはない。しかしその同情及び共感は何を基にしたものなのかを考えなければならない。バベッチは彼らの内面をのぞき込み理解することで潜在的脅威を見極めようとしている。アリスンは監視対象者の上辺だけの言葉(情報)で理解を示しているわけである。
これを踏まえラストを観るのである・・・
バベッチはどこへ向かおうとしていたのか・・・
アリスンは果たしてどこへ向かうのだろうか・・・
バベッチはどこへ向かおうとしていたのか・・・
アリスンは果たしてどこへ向かうのだろうか・・・
〇最後に
目の周り黒くすると印象がぐんと変わるよね。別にこの人のこと知らないけど。
ではでは・・・
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