~日常~
〇はじめに
日常というより、日常の中を描いていくのが本当に秀逸なんだ。
〇想起する作品
「クレイマー、クレイマー」(1979)
〇こんな話
樹木希林でやるからなんだろうな~ ロックンロ~ル♪
〇日常
よく台詞の応酬というものがある。発された言葉一言一句に的確に答える台詞が用意されている。私はあなたの話を聞いていると。そして相手も私の話を聞いていると。両者が互いにその言葉の本心を捉えているような。
この作品はただの台詞の羅列ではない。ものの見事に日常を映し出す。我々がその中にスッと入っていけるような。今までそこに存在していたかのように。
テキトウで曖昧なおぼろげな記憶を辿る日常会話にはじまり、何気ない言葉が誰かの胸には突き刺さったり、逆に真面目に話しているのに相手にされなかったり聞き流していたり。この辺りのギャップが、話し手と受け手とのほんの些細な差が見事に、ものの自然に映し出されていく。劇中繰り広げられるやり取りが本当に堪らない。
橋爪功のひと場面。無人の食卓というタイトルが出てこない。誰もいない・・・でしたっけ。この意図せず人と会ってしまった際のその場を取り繕うためにテキトウで曖昧な、雰囲気で記憶を辿る感じ。さすがとしか言いようがない。
さらには音楽鑑賞会だかの教室の場面。着飾っているものの違いや席の順番、帰路につく際の別れる方向。必死にアピールする前列の合間を縫っての質問。分譲だなんだと話されていた。
今良いこと言ったからメモしときなさいというのをあしらうわけだが、後にしっかり何やらメモをしている場面もあったりする。
固すぎるカルピスアイスの冷蔵庫の匂いや半年前のカレー。
布団を抱え後ろを通る時、冷蔵庫を開ける時に避ける仕草だったり、ペットボトルのジョウロだったり。
お風呂に浮いてるゴミ。ガムテープを服に張って準備しておくヤツね。
マックじゃなくてモスバーガーという見栄(笑) おかげで自分は食べられなくてやせ我慢するんだけど、夕食のカレーうどんにてお腹空いてたのね~と。そして半年前の件ね。
それで宝くじよ。真悟が言うんだよ。当たったら大きな家を買っておばあちゃんも一緒に住もうよと。そのやりとりがね、もう涙が止まらなかったよ。
誰かの、何かの役に立っている。池松壮亮が言う。良多さんには借りがあるんでと。しかし当の本人は自覚していない様子。この辺りのさりげなさが本当に堪らない。彼は父親であり、元夫であり、息子であり、先輩であり・・・
家で2人の母親の心配を余所に滑り台の2人の息子への場面転換も憎いんだよ。
真木よう子の棒読みというか低いトーンが今作は映える。現交際相手が元夫の本を読んだ時の目の見開きよ。でも勝負をする男、フルスイングを好む男にはテーマがボヤけていると。わからないんだ、フォアボールを狙う男の目線は。
尊敬する人物はお受験には身内はタブーだと。野球のプレイにしろ価値観にしろどこか押しつけがましく感じる。
そんな中での子どものちょっとした気配りよ。お金の心配。安いスパイクを選ぶ。モスバーガーにて食べなくていいの?と。バスにてボタンを押しているのは誰だったのか。おばあちゃんへの宝くじが当たったらの話を聞いたかよ。
3回言うと嘘くさいと。滑り台では本当だと3回+1回言い、最後の大丈夫だは1回なんだ。その前の墨をするときにほんの少し姿勢を正すのを見たか。父親のある一面を知ってからの。
いや~、ほんっとうにすばらしい作品だった。
いつも通りだが、何もまとまらず情報の羅列になってしまった。勘弁。
あ~そうそう。アパートでノックに怯える姿ってのは「TRICK」では逆の立場だったよねってのを狙ってたのかな。
〇最後に
池松壮亮はこの路線で行ってほしいな~
ではでは・・・