~認識~
〇はじめに
マギーって「ゾンビランド」(2009)の女の子(妹?)か。丸みを帯びてきたな・・・ 元々丸顔だったっけ??
〇想起する作品
「スリーデイズ・ボディ 彼女がゾンビになるまでの3日間」(2013)
「インフェニ」(2014)
「ライフ・アフター・ベス」(2014)
「アフターデイズ・ボディ 彼女がゾンビと化した世界」(2015)
〇こんな話
愛する娘がゾンビ化。
〇認識
人は他人(ひと)に対してそれぞれの認識を持っている。ざっくりとはかっこいい・かわいいといった容姿(性別)や、優しい・厳しいといった中身(性格)を考慮判断したことによる距離感の構築が主だが、それは親子に始まる赤の他人へと通ずる関係性と言って良いだろう。
ではその自分との距離感及び関係性はいったいどこまで許容されるのだろうか。これを1つゾンビを題材に親子愛(家族愛)をベースに観せる。
娘なのか?ゾンビなのか?
ゾンビ化への猶予が与えられていることでこの境界をひたすらに曖昧にする。
感染し凶暴化(ゾンビ化)したらそれは一体ナニモノになるのか?
ゾンビへと変貌しようと娘と言えるのか
なんとしてでも見つけ出す、なんとしてでも助け出す、今まで不可能を可能にしてきた男アーノルド・シュワルツェネッガーだからこそ、父親として娘に何もしてやれない無力感が沁みる。
ゾンビを定義することで…というのがこのジャンルの主体だが、人間からゾンビへの一方的なアプローチだけでなくラストそれをほんの少し逆転させて観せたのもよかった。やるせなさが先行する中でほんの少し救いが見える。
〇最後に
「グランド・ジョー」(2013)のニコラス・ケイジといい、シュワちゃんにもこの路線で行ってほしいな。無理にアクションで体に鞭打つのではなく。今までのシュワちゃんありきで十分に彼の演技は活きると思うけどな。
ではでは・・・
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