2016年5月14日土曜日

テルマエ・ロマエ(2012)

テルマエ・ロマエ[DVD]


~異文化交流~

〇はじめに
 ローマ人の誇りと堕落とディスりと、絶妙だ。

 現代人でももしかしたら味わったことが無いのではという技術(システム)が登場するが、そういったものがあるだろうと想像できる、あると知っているという現代に生きる我々だからこそ感じられる、古代ローマ人との思考のギャップは中々におもしろい。そして逆にも作用するわけか。我々が誇る、今となっては当たり前の技術。いや文化とするか。そこを彼とのギャップで再確認・再自覚するわけか。おもしろかった。

 作品外でいろいろと問題があったようだが・・・


〇こんな話
 お風呂を起点にアプローチする現代の日本文化。


〇もう少しサービスしてくれても良いんだよ

 くっ、ここが・・・ピークだったか・・・
 


















 かわいい。

















 やらしい。
















 
 阿部寛良い身体やな。


〇最後に
 次作ではあれですか? 上戸彩が実践でお風呂の入り方講座でもやってくれるんですか? 早く観なきゃ!!

 ではでは・・・

2016年5月12日木曜日

あずみ2 Death or Love(2004)

あずみ2[DVD]


~上戸彩2~

〇はじめに
 おいお前前作で死んだだろ、キャラ同じだし。あ~小栗旬出すためね・・・

 う~んあずみ上戦い以外の面で無防備を演出しなきゃダメな気がするがな~・・・

 前田愛出てる~ みゆき~


〇こんな話
 まだまだあずみは戦う。



〇上戸彩2
 使命、使命、使命・・・と使命に憑りつかれているこずえ。これが前作にて危惧していたあずみたちの境遇の1つの成れの果てだったわけだ。

 1人の忍は自ら張った糸に雁字搦めになる。これもまた・・・

 誰かのためにと戦う。それがまた戦いを引き起こすという戦乱の世。

 ま、んなこたどうだっていい。

 あずみじゃあずみじゃ!!


 不快な方いらっしゃるかもしれませんので、だい~ぶ下に書きますので、ご注意くだされ。





































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 もう少しですよ




















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 ですからね~、こういうシーンをですね~、もっと魅せていかないとですね~、ダメなのですよ。
































































 指摘しているのはエロさとかチラリズムとかそういうものではなくてですね。あずみならではの無防備さなのですよ。ここを是非とも製作陣には理解していただきたかった。

 至極残念である。





〇最後に
 今となってはだが、あずみは麻美ゆま全盛期にやるべきだったのだろうな・・・

 ではでは・・・


あずみ(2003)

あずみ[DVD]


~上戸彩~

〇はじめに
 あずみが裸で滝(川)に飛び込むシーン無いんか~い。

 原作のあずみの純粋さから来る馬鹿っぽさとは雰囲気が多少異なるが、とりあえず上戸彩好き。

 上戸彩の動きの拙さもうまくカバーされておりアクションとしても中々に観られる仕上がりではないか。というよりカバーせざるを得なかったとも言える。まぁ期待はしない方が良い。

 上戸彩見たさならどの要素も何の支障も無い。

 とりあえずかわいい。

 あとオダギリジョーはさすが。上戸彩映画なのにその中でひとり異次元だった。あと竹中直人か。出演時間が短いながら存在感は抜群。


〇想起する作品
 「ウォンテッド」(2008)


〇こんな話
 天下取りを企む者、戦を起こす者たちを根絶やしにする。太平の世を築くのじゃ。刺客たちを育てよ。



〇平和と犠牲
 太平の世を築く、この大義のための小さな犠牲。見逃される小悪。

 太平の世とは逆の親しき者同士で殺し合えという最後の試練。

 彼ら汚れ役のおかげで(仮に)築かれた太平の世とはいったい・・・


 これからの世を築くための若者たちが刺客として育てられ、天下を左右できるほどの力を身に付けたことがまた問題で。

 彼らはずっと山籠もりをしていたことで世の中というものを知らない。故に外の世界の善悪及び情勢の分別が曖昧。最初に小悪を見逃すシーンにて葛藤を描き、その後も暗殺対象における疑問や、異国という物理的な世界の広さまで提示していく。そして劇中でひたすらに繰り広げられる殺し合い。復讐、殺し、殺され・・・

 天下という大義のためとはいえ悪用される危険もある。いやすでに悪用されているという可能性も。世間知らずに力を持ち力を振るう者の危うさ。

 このあたりのコンセプトはうまく描けていた。



〇あずみちゃ~ん


















 このだらしない口元は好き嫌い分かれるところよね~




















 守りたい、この笑顔




















〇余談
 最初にカラスの瞳にあずみと母親を映したのはね、カラスって記憶力良いのよね。ただそれだけでしょ。後々回想出てくるだろうことはね、わかってたさ。特に意味が無かった気がするが。
 

〇最後に
 そうか、これ北村龍平か。どうりでかっこいいと思ってる事象が所々違うわけだ。「ルパン三世」の違和感とまんま同じモノを感じたのよね。ま~私の場合全て上戸彩がボカしてくれたけど。

 ではでは・・・



〇おまけ








 こういうシーンをだな~、もっと散りばめるとだな~


 ↑ これは本人なのだろうか? 























 いろんなところが盛り上がるわけなんだよ。

 失敬。







2016年5月11日水曜日

アイヒマン・ショー/歴史を写した男たち(2015)

字幕翻訳:松岡葉子

~偏見~


〇はじめに
 この作品はどこまでを見つめるものなのだろうか。ショーとは何なのか・・・


〇想起する作品
 「ブリッジ・オブ・スパイ」がチラつく。

〇こんな話
 アイヒマン裁判を映した者たち。


〇偏見
 アイヒマン実験、ミルグラム実験として、ごく普通の人間でも残虐行為をするのかどうなのかといった心理実験は存在するが、果たして裁判自体の研究は行われているのだろうか。

 レオはアイヒマンに対し、なぜ毎日被害者の証言を見聞きできるのかと困惑し怒りを露わにする。
 
 ここで1つ気になったんだ。防弾ガラスにアイヒマンは囲われていた。この防弾ガラスが彼の心理にはたらきかける作用は無かったのかと。

 あのガラスは何のためにあったのか。被害者であるユダヤ人の裁判関係者に囲まれ且つ大勢の傍聴人がいる中で、防弾ガラスはいったいどのように機能するのか。

 彼を守っているのである。彼にはもしかしたら守られているという実感があったのではないのか。それに伴う証言の影響は考慮されなかったのだろうか。

 偽名を使い逃亡生活を送っていたことですでに彼には罪の意識があったのでは?ということは考慮されたのか。

 人間と相対するのに、たったガラス1枚あるだけで心の持ち様は変わるのではなかろうか。証人との間を隔てるものの存在。極端な話画面の向こう側の世界である。我々がTVを観るのと同じだ。我々とは住んでいる世界が違う。我々にとってのリアルではないわけである。この作品とて例外ではない。

 余裕があったら参照していただければと思うが、人が殺される様を「アメリカン・スナイパー」ではスコープ越しに、「ドローン・オブ・ウォー」では画面越しに行われる。人が人を殺しているという実感が、直接的でない分麻痺してくるのである。

 問題となってくる悪の凡庸さ。彼は命令を下しただけで直接手を下してはいない。上にやれと言われたからやっただけだと。私に責任は無い、と彼の口から放たれるわけであるが、これは彼が言ったのではなく、言わせてしまっていたのではなかろうか。

 この辺りの心理分析を専門家に詳しく聞いてみたい。


―――――
 話は少し逸れるが、まず彼に名を名乗らせていた。「私の名は、アドルフ・アイヒマン」だと。これは1つに人間としての尊厳であろう。与えられる権利だろう。人権だ。裁判にかけられることもまた1つだ。そんな中明らかになる身元不明の子供たち。少年には少女の、少女には少年の名札がかけられていたと。彼らにはそれが与えられなかった。

 これに対して、レオの名前がホテルにて間違えられたりしている。それを時折訂正するわけだが、私が私であるという証明なわけだ。後にその名前を間違えるおばあさんも自分に与えられた番号の話をすることになる。今までは口を開いても嘘だと言われたと。あなたのお陰であの時聞く耳を持たなかった人たちがラジオにかじりついていると。この辺りのドラマはさすがだ。
―――――

 とある者が言う。私はアイヒマンではないと。彼のようには決してならないと。偏見の目でアイヒマン裁判が映し出されようとしているのではないかと不安を煽られる。

 さらにはプロデューサーはガガーリンやキューバ危機との注目度競争を意識する。視聴者の求めているものを映し出したいと。

 それに対してレオはファシストはヒトラーが自殺したところで無くならないと。どこにでも存在しうるとして、一般人ともつなげようとする。それの確証はアイヒマンに人間性が浮き出ることで得られるはずだった。しかし彼もまたアイヒマンに囚われており、彼がアイヒマンに見たいものを見出そうとしていたのである。

 これをどう捉えればいいのだろうか。


 その前に防弾ガラスの件を少し解消しよう。

 彼らが行ってきた残虐非道な行いの数々を映し出したドキュメンタリーをアイヒマンに見せるというところでそれは語られる。アイヒマンの鎧にヒビを入れてやると。この鎧を防弾ガラスのことと関連させているのではないのかと。彼が守られているという実感は、その場において安全であると認識していることと同義であり、そんな場所において彼に罪を認めさせることこそが、一番に信頼に足る自白なのではないのかと。
―――――
・補足
 「スペシャリスト/自覚なき殺戮者」を鑑賞し、少し違う考えに至るようになった。裁判自体に違和感を感じるのである。あの防弾ガラスは彼を守る障壁ではなく、彼を見せしめるための箱だったのではなかろうかと。要は見世物小屋だ。

 その辺りはハンナ・アーレントが何か指摘しているようだ。「スペシャリスト/自覚なき殺戮者」及び「ハンナ・アーレント」のどちらかで取り上げたい。
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 この作品はおそらくこの作品単体だけでは語れない。

 我々が認識している歴史にまで目を向けさせたかったのではないのか。例えば歴史の教科書の記載内容は新たな事実が浮かび上がってきたところで改変されたりする。墨塗り教科書を想起してもらってもいい。何かしらの意思が介入しているのである。

 この作品にも実はこれが言えるのではないだろうか。

 この作品に関連する、ナチスを題材とした作品は多くある。そして彼らが犯した罪に関しても様々な情報が出回っている。しかしそれらはどのようにして伝えられたのだろうか。何を通して、誰を、どんな意思を介して我々の元に辿り着いたものなのだろうか。

 1つに偏見である。

 最初の車の中でのプロデューサーがスピーチの練習をするシーン。何度か言い直したりしている。これはどう話せば、どういった話し方が人に影響を与えるのかといった印象操作である。日本ではあまり浸透していないかもしれないが、一時期アメリカ大統領選かなんかで話題にならなかっただろうか。スピーチにおける話し方や身振り手振りまでひたすらに指導され練習すると。

 またプロデューサーではあるのだが、脅迫電話・脅迫状が届いたことで彼は疑心暗鬼になっていた。晒された状況下では、身元が確認できるまでは誰も彼もが怪しく見えるのである。見慣れない者は自分を狙いに来た者ではないのかと。警察バッヂを確認することで安堵していた。逆にその状況下に無ければ疑わなかっただろう。

 思考や印象操作など容易いのである。そんな事象がいくらでも身の回りにはある。見方見え方なんていくらでも変わってくるのである。

 そして先ほどの三者の裁判に関する捉え方の違い。


 これらを含め、この作品にて一番肝心なのは、裁判映像もまた編集されているということだろう。何番のカメラを映せとタイミングを指示する姿が幾度となく映し出されている。途中で指示者が変わったりもしている。

 真実(事実)を映し出すとされるそれもまた、何かしらの意図を以て映し出されたものであるということだ。

 とある事象と我々とを繋ぐ間には様々なものが介する。それを我々はどう判断し、どう受け止めていくのか。


 何よりも衝撃的だったことがある。このアイヒマン裁判は1961年だ。1945年に戦争は終わったこととなっているが。今よりもまだ記憶に新しいだろう。

 しかしレオの息子は裁判を目にし彼に問う。これは本当の事?と。

 誰もナチスによる被害を真実として受け止めなかった件と関連するのだろうが、すでに歴史が、戦争の記憶が薄れ始めているという危機感を煽る表現に思えてならない。

 だからこそのこういった作品の意義なんだ。

 そしてこの作品もまた真に受けてはならない。悪の凡庸さ、である。





〇最後に
 もしかしたらこの作品を称賛している人間よりも、否定的に捉えている人の方が確信をついているのかもしれない。


 ではでは・・・




2016年5月10日火曜日

緑はよみがえる(2014)

字幕翻訳:鈴木昭裕

~見えない~


〇はじめに
 最初に外の広大な景色を、自由に動き回る動物たちを観せておくことで、塹壕内の画が利いてくる。

〇想起する作品
 「戦火の馬」(2011)



〇こんな話
 時は第一次大戦、とある戦場、とある塹壕。


〇罪
 中尉が言う、「人が人を赦せなければ、人間とは何なのか?」

 羊飼いが締める、「いずれこの地には緑がよみがえり、ここで起きたことは信じなくなる(忘れられる)」

 この両者を鑑みてみると何とも虚しく余韻を残す。


 戦争という忘れてはならない過ちをどこかで正さねばならない。繰り返してはならない。止めなければならない。そのためにも赦さなければならない。

 しかし人が人を赦すということ。これに一番貢献しているものは何なのか・・・ 忘却なのである。

 赦すとは罪が消えることではない。罪が薄れることなのだ。罪の意識が、薄れることなのだ。そして何より神が赦すのではない。人が人を赦すのである。


 戦争はなぜ繰り返されるのか。第一次世界大戦にて戦勝国であったイタリアで、なぜこのような作品が撮られたのか。


 忘れてはならない歴史がある。戦争の歴史が、罪が消えることは決して無い。しかしその記憶は薄れていく。正確には罪の意識が薄れていく。その罪の記憶がそのまま受け継がれることは決してない。何かしらの変化がもたらされ、伝えられていく。我々はどう受け止めていけば良いのだろうか・・・
―――――
 ざっくりとだが、生まれながらに~等は別にして、罪というのは加害者と被害者といったある間に生まれるもので。ここがまた何とも面倒くさく複雑になるわけだが。「ブロークン・アイデンティティ」にて少し議論したのだが。とある罪を犯したとして、その罪を認識する者がいなくなったら、それは罪ではなくなるのか?と。

 もう少し細かく見るのならば、その罪を実際に体験した者がいなくなったらその罪はどうなるのかと。当事者がいなくなったら。

 記録として残っているだろうと。では、記録として残っていない時代に起きた私怨による何かしらの事件での誰かの罪はどのように認識されているのだろうか。

 仮に記録として残っていて、その記録の1つでも必ず誰かが記憶しているのだろうかと。忘れ去られている事件が、ただ記録として埋まっているものがあるのではなかろうか。

 長くなるので、罪と記憶に関してはまた別にどこかで・・・
―――――



 逆に濃くなっていく場合もある。これこそがまた問題なのであるが。受け継がれない歴史がある。それ故に、その真実を知ったとき思い出すことがある。そのときの感情はほぼ一貫している。「怒り」なのである。なぜか、被害者感情が先行するからである。伝えられている歴史は戦争という加害であり、我々への被害であるからだ。我々の加害は含まれていない。いや含まれているとする思考にまで辿りつかないのである。

 岩波ホールにてポストイットに書かれた感想の中にとある政権を非難する内容が目についた。これは典型例だが、自らの罪の意識には繋がっていないわけである。私は悪くないと。戦争という罪に対して、諸悪の根源を定めたがっているのである。問題の簡易化である。そして最悪それを排除しようとする動きに繋がってしまうのである。思考の放棄である。

 ここ最近ヒーローもので語られることが多くなった正義に関しての難しい解釈がここにも見え隠れする。正義とは何なのか、悪とは何なのか・・・

 基本的に善悪の成立は単純である。他人が悪いから、誰かが悪いから、この時点で自らが正義として定まってしまうのである。そして被害者感情が増幅、爆発することによって対立は明確化する。攻撃対象が定まるからだ。

 悪の存在により憎悪が生まれるのではない、憎悪により悪が生み出されるのである。創り出されるのである。

 これが、人間と人間が対立する一番にシンプルな原因だ。反戦はもちろんであるが、第一に戦争反対と叫ぶ前に、人と人とが争うこととなる原因を自らの行動とリンクさせ、顧みて(省みて)いかねばなるまい。



〇見えない
 敵対するオーストリア軍は視認できないが、声が、歌が届くところにいる。さらには味方も見えない。通信したところで向こう側の声は聞こえない。孤立無援だ。そこの指揮官が見えない状況で、無理難題な命令を受け、何かしらを判断するしかない。


 現場と司令部の関係。司令部は現場の状況に関係なく椅子に座りただ地図をなぞるだけで命令を下す。大尉はこの命令は犯罪だと。

 塹壕が家であり、兵士は家族だと。大尉は家族を守るためなら命令など背いてやるというスタンスだった。命令に従いあっけなく死ぬ者、命令に背き自殺する者。それを目撃し彼は言う。「報告は死者の数ではなく、名前が知りたい」と。しかし軍規違反により彼は排除されることになる。

 彼は一番にその現場の状況を理解している人物でもあった。そんな人間を現場から放り出すのである。上層部が正確に情報を手に入れられるわけがない。大局が見えるわけがない。おそらくそれすらも知らないのだから。

 全員に無言で配給される食料に対して、郵便では名前が呼ばれていた。これが終盤何とも空しく響くんだ。





 先ほどまでキツネがいた場所に砲弾が、何年も佇んでいただろうカラマツが燃え上がる。違うカタチで黄金に・・・

 神の居場所なんてローマ教皇だって知らねえんだ。俺らに教えてくれるわけがないと。これを敬虔なキリスト教徒が撮ったんだ。



〇最後に
 人が人を赦すのである。人が人を殺すのである。

 ではでは・・・



悪女 AKUJO(2017)

~アクションは爽快~ 〇はじめに  韓国ではこの方はイケメンの部類なの? 〇想起する作品  「ニキータ」  「アンダーワールド」(2003)  「KITE」(2014)  「ハードコア」(2016)  「レッド・スパロー」(2018)...