2014年8月22日金曜日

氷の処刑人(2012)

氷の処刑人[DVD]


~二重生活~

〇はじめに 
 リチャード・ククリンスキーという実際の殺し屋に基づく物語。 自分のしたことを後悔しているかという問いがポイントかな。 

〇こんな話 
 気に食わない奴は殺してきた。そんな性格の主人公。ある時マフィアのボス?にスカウトされる。家族のためもあり殺し屋家業を生業とし、何不自由ない生活を送っていた。しかしとあるミスによりある日引退することに。お金が稼げない。家族を養えない。はてさて・・・。 

〇二重生活 
 家庭では良き父親である一方、冷酷な殺し屋。そんな生活を続けていた。殺し屋というのは請負になるから、結局関係者の都合に振り回されるハメになる。いろいろとうまく回らなくなっていくわけです。そこから崩れていく二重生活。 
 片方の職業が殺し屋というだけで、二重生活なんていくらでも存在するよな~と。冷徹な殺し屋が一見幸せな家庭を築いていることに驚きを隠せないということなのだろう。しかし、よく考えてみてください。家族は本当にあなたのことを全て知っていますか。あなたは家族のことを知っていますか。家族に隠している事はありませんか。隠されていることはありませんか。バレずに浮気や不倫していませんか。繰り返していませんか。密かな楽しみ、生きがいは無いですか。知られていないからこそ楽しめるもの、ストレスの発散方法は無いですか。「あ、やべ!家族の前だった」と隠していることがたまに漏れませんか。言葉遣いや言葉選び間違えてしまいませんか。そんなことを考えると、彼の二重生活は実際に自分ができるかどうかは別として、あり得るなと思ってしまうのです。ただ単に基準が違うだけで。

〇最後に
 家族を傷つけたことを後悔しているという発言が最後に為される。彼にとって家族を傷つけるという行為はどこから始まっていたのか、どこを指しているのか。殺し屋を始めた時か、家族を持ったときか、家族に直接手を出した時か、出された時か、殺し屋として逮捕された時か・・・。

 それにしてもマイケル・シャノン、うまいなぁ。

2014年8月15日金曜日

プランゼット(2010)

プランゼット[DVD]


~スパルタ教育のすすめ~ 

〇こんな話 
 ある日FOSという生命体に地球は侵略されてしまう。地球側は惑星統一を図りPDFAを組織。さぁ~、抵抗するぞ~。 はてさて・・・。

〇弾薬 
 空中戦を繰り広げる機体に対して、ライフルや自動小銃といった武器を採用するのはどうなのであろう。追尾ミサイルやレーザー等に費やす予算が機体それぞれに充てられなかったのかもしれないが、どうも解せない。ある人物が標的にライフルで狙いをすますシーンで風が強すぎて照準が合わないと言う。そりゃそうでしょうよとしか言いようがなくないだろうか。つまり風の吹き荒れる中の戦闘を想定しているにも関わらず、一直線にしか飛んでいかない弾薬を一番頼りとなる武器にするのはどうなのかと。

 一人当たり宇宙船一隻を作れる費用を注ぎ込んだ兵士二人が、初戦で弾切れや弾詰まりが原因で死亡する。う~む初歩的なミスではないか。まぁどんなに訓練しようと、人類の希望であろうと、実戦経験の無い冬獅朗だからな。仕方が無いか。 

〇侵略者 
 人類は滅亡の危機にあった。それほどまでに追い込まれ、侵略完了まであと一歩のところであった(とおもわれる)。最後の頼みの綱、プランゼットまで失敗しあきらめていたところにカイロスという最終兵器登場。これで特攻だと母船に挑む。今までに無いレーザー光線や防御手段など目白押し。そんな最終兵器に対し、母船は地球への特攻作戦に移行する。「え?」っとならないだろうか。確認するが、侵略完了まであと一歩であったのだ。なぜ全精力をそんな人間に対して注ぐ選択をとるのか。武士道精神からだろうか。侵略者も切羽詰まっていたのだろうか。「あぁ~、じれったい」と何かがはじけたのだろうか。 

〇リーサル・ウェポン 
 搭乗者の感情が連動するとかどうとか。「助けて、お父さん!!」と叫ぶと妄想の父親に息子はぶたれる始末。どっかのヘタレパイロットとは違います。てめぇらでどうにかしろと。俺は死んだんだ、おとなしく寝かせろと。そこから発起し感情を爆発させてどうにかします。鋼の心を作るのはやはりスパルタ教育ですか。あれ、FOSが出現する前までは甘やかしていたような・・・。キャラチェンジかな? いや、コイツは一回妹を殴っているんだ。それの帳尻だな、うん。  

〇最後に 
 ツンデレ上司、妹、田舎っぺ巨乳後輩か。この要素を満たしたことで、この映画は満足しちゃったのかな。もっといろんな人物の関係性が見たかったな。でもそれを描いちゃうと映画の枠では収まらないもんな。しかもこの作品一時間ちょいだし。う~む、どうも物足りないな・・・。

2014年8月8日金曜日

エンド・オブ・ザ・アース(2013)



~神≒人~ 

〇はじめに 
 ふざけた世界観にアナ・ケンドリックが映えるなぁ。彼女の呆れ顔ほんっとに好っきやわ~。 




〇こんな話 
 聖書だか予言だか通りに、世界の終末に向けて現実に事が起こっていく。 

 終末世界にて全力で描かれる渾身のギャグが見もの。

〇神に似せて人は創られた 
 神は自らに似せて人を創りたもうた。劇中でもモノマネというかたちで神自らそれを強調してくる。神自らが「俺に似せてお前たち人間を創ったのだから、俺がお前らのモノマネをして似てないはずがない」などと言うのだ。
 神様の言葉を基に神と悪魔が肉弾戦を繰り広げるという演出を考えてみる。 この渾身のギャグというか皮肉をご理解いただけるだろうか。天使VS悪魔といった戦いは今までの作品でもいくらでも描かれていたと思う。しかし神自らが肉弾戦を繰り広げたのは私が鑑賞した映画の中では無かった・・・多分。 
 いくら高度に技術が発達しようと、人間は生身であれば争いの上で決着をつけるのはやはり肉弾戦。お話で解決できる分には良いが、うまくいかないと必ずと言っていいほど手が出る。神は人に似ているということを、人間の愚かさという部分と照らし合わせて本質的に同じであると見事に皮肉っている。この場面は本当に笑いが止まらなかった。最後には神と悪魔がジャグジーで戯れて、仲良く御臨終。死ぬ時は一緒よ、というお互いを愛し合う者たちのようだった・・・。いわゆる心中ですな。 

 神も悪魔もどっちも死ぬ。ジャグジーで感電死する。神なら予測できていたのではと言う問い。神ですら運命に逆らえないということなのか。でなければ神ともあろうものがジャグジーで感電死など選ぶはずがなかろう。そして神の死によって救われたとされる、天に召された者たちはどうなったのか、疑問で仕方がない。神がいなくとも天国は存在し得るのか。神の存在が天国や地獄といった概念を肯定していたわけで、それがいなくなったとなれば信仰というもの自体が無くなり・・・?? 神がいるから信仰が生まれるのではなく、信仰する者がいるから神が創られるのか。人が存在する限り神は存在するか。いや真の信仰者とされる者たちは全て天に召されており、地上に残ったのは無神論者ばかりだから、真に神は消えたと言えるのか、新たに出現しない限り。あれ、でもこの世界はキリスト教の概念においてだけだから、別の宗教における神は存在しているのか・・・。


〇余談 
 芝刈り機に乗るゾンビがいた。個人的にはセグウェイ出してほしかったな。セグウェイゾンビ。おもしろいと思うけどな。もうどっかでやってるのかな、この演出。 

 イエス・キリストをレーザー光線で撃ち落とすとか・・・。悪魔倒した後のパニック状態で空から何か来たら、キリストだろうがなんだろうが恐怖でしかないよなぁ~(白目)

〇最後に
 本当にバカで下品な映画。下ネタのオンパレード。きれいなイメージなどまったく無い作品。しかし、それが堪らなくおもしろいのである。

2014年8月6日水曜日

壊滅暴風圏 カテゴリー6(2004)

壊滅暴風圏 カテゴリー6[DVD]


~想定外~ 

〇はじめに 
 異常気象がテーマ。カオス理論(バタフライ効果)を取り上げている。 
 
 この映画で取り扱う気象現象は竜巻であり、それのスケールを表すのは藤田スケールと呼ばれるもので、この映画の邦題の副題のカテゴリーとは熱帯低気圧において用いられる。原題は「CATEGORY6」。そしてカテゴリーは1~5までしか存在しない。竜巻とハリケーンが重なり合うことでカテゴリー6なる規模の竜巻が発生するらしい。 

〇こんな話
 異常気象の原因究明をすることで根本原因を突き止め、その現象を解消するために何かしらの対策を講じるといった異常気象に挑む者たちではなく、異常気象に見舞われる者たちを描く。それを異常気象センター、政府、発電所(変電所)、マスコミ、一般人等に焦点を当てていく。特にインフラ関連の整備がテーマとなる。肝心の専門家たちは現象の観測と情報収集にとどまる。  

〇想定外
 天候の予測に関して、その現象に関する要因が絞り切れていないから天気を100%的中させるのは不可能。イレギュラーも起こる。より100%に近付けるために、現象に作用するであろう変数となるものを事細かに見ていくしかない。 
最近流行りのゲリラ豪雨・雷雨なども、起こるかもしれないという予測はできるが、何時何分何秒に起こるかまではわからない。

 最近では空ではないが、地面の方で地震による大きな被害があった。それにより地震大国日本でありながら、地震に対しての脆弱性が露呈する結果となった。津波による被害が大きかったのだが、地震と関連付けて考えられる・考え得る被害であった。なぜ大きな被害が出てしまったのか。キーワードとなるのが想定外という言葉だろう。

 某企業を擁護するのであれば、たまたま地震が起きて、たまたまシステムが機能しなくて・・・となり、言うなればタイミングが悪かった。地震が無ければ何もバれずに済んだわけで。その程度の杜撰な管理をしているところは某企業だけでなくいくらでもあるだろう。それがたまたま地震により一番被害の大きい形で露呈しただけだ。故に叩かれる。それを叩くというのも酷な話だろう。某企業が問題を起こさなければ、別の組織が晒され祭り上げられていたかもしれない。しかし何かしら、誰かしらを叩くことが他の組織に対する抑止力にもなるわけだから、そういった意味では某企業は良くも悪くも恰好の的だったわけだ。地震の恐ろしさを決定的に印象付ける良い機会にもなった。しかしそれも忘れ去られていくのだろう。こういう事があったという記憶ではなく記録に残るだけで・・・。

 地震の無い国の地震学者か何かが、講義中だかに地震に見舞われた際に、
「今のは何だ!?」
と驚いたとかいう話があったとか無かったとか・・・。おそらく思ったのと違ったみたいな感覚なのでしょう。これも想定外という言葉がお似合いです。地震ってのはそんな現象でもあるわけです。
 想定外というのはあって然りなのだが、現社会上ミスをしてはいけないところというのは存在しまして、しかしそれが自然を前にしたときは油断といった緩みを見せるのも事実で、人と相対するのと自然と相対するのとで、良くも悪くもある結果の見え方や現れる速度が違うということなのだろう。人間が自然に立ち向かうというのはどういうことか。もう一度考えていただきたいものです(自分も含め)。

〇余談 
 竜巻で吹っ飛んでいくランディ・クエイドって「インデペンデンス・デイ」の特攻親父か。 

 あんまり映画の内容に触れなかったな・・・。

〇最後に 
 毎年のように騒がれるようになってきた異常気象。今までに経験したことの無い、歴史的に見て観測されていない現象が全世界で多発している。これをどう見るのか。 
 地球は人類の母である(適当)。人間の体を構成するものは地球起源のものに由来する。起源と言うと不確かになるかな。つまり人間と地球を構成する物質とは似通っている。ということは・・・、自分の体というか体調を思い浮かべてみてほしい。一日として同じ日があったかどうかを。調子の良い日悪い日あったでしょう。今までに無く調子の良い日悪い日がそれぞれ更新されてきたでしょう。それと同じです。
・・・カテゴリー7に続きます。

ハプニング(2008)

ハプニング[DVD]


~全世界同時自殺衝動解放事件~ 

〇はじめに
 自然界の現象を理由づけて説明しても理論でしかない。人は理解を超えた力の存在を見落としがち。科学者は自然に畏敬の念をもて・・・と最初に宣言している。我々の理解ではこの映画内の現象の意味は説明できないと。 

〇こんな話
 ある日突然同時多発自殺が起きる。この説明のつかない自殺衝動を、テロ行為などと数々の憶測が飛び交い、それに翻弄され逃げまどう様を描く。 

 神経に何かしらの作用をする物質が関係しているのは確か・・・なはず。劇中では植物の能力としていた。植物が身の危険を感じて、神経毒素を出し人間を自殺に導いたと。地球上で誰も我々を裁けない。だから警告したと。しかも自分で命を絶たせるという仕打ち。 実際原因やなぜかといったことは不明のまま。ズバリ、これは理論でしかない。

〇裁き
 地球には人類を裁く存在がいない。人類は人類を人類視点でしか裁くことはできない。地球の頂点に君臨していると錯覚し、本能の赴くままに発展を遂げてきた人類。この映画はそんな人類への警鐘・制裁だという理解でよろしいのか。

~人類の存在は地球にとって悪なのか?~ 
 地球は自己調節機能をもったひとつの生命体であると誰かが言った。地球ガイア仮説だったかな。ざっくりだがそれによると、地球環境は乱されたところで、元に戻ろうとすると。生物が地球に適応していくのではなく、地球が生物に適応していくと。そんな感じだった気がする。人類の出現と生存による環境破壊は予定調和であり、人類の影響など些細なものだと。 
 これの逆にメデア仮説なるものがある。それが今回のこの映画に当てはまる方であろう。 これは生命が自己破壊的に進むという。地球に適応できないものが排除されていく。淘汰である。地球が生物に適応していくのではなく、生物が地球に適応していかなければならない。その淘汰を地球の人間に対する裁きと捉えているのだろう。

・ガイア仮説で考えてみる 
 人間よいしょ説である。ジャイアン説とも(適当) 。

 資源を貪り尽くし好き勝手やっているのは確かに人間である。人間が関与しなければ変化しなかった環境は確かに存在する。しかし資源を作り出したのは誰だ、地球である。科学界のあらゆる法則が関与してではあるが。それは偶然なのか、必然なのか。人間はそれらを発見し、使用したにすぎない。そしてそれに手を出したからこそ発展を遂げてきた。その事実を見つめると、資源の存在はまるで人間様に対して、生物の発展に使ってくれと言っているようなものではないか。故に人類は今の境地に至る。地球が準備をしてくれていた材料を使って遂げるべき進化を遂げてきたに過ぎない。全ては地球の想定内。人間が勝手にのたまわっている環境破壊も含めてだ。このまま人間勝手に生きていこう。全部地球が調整してくれる。住みやすい地球万歳。

 ざっくりと言えば、人間の独裁政権。


・メデア仮説で考えてみる
 地球よいしょ説。 

 地球が資源を作り出した、それは変わらない。人間は、地球の頂点に君臨している我々が地球の資源を使用して何が悪いと言う。しかし地球からしてみたら、おまいら人間が使っていいとは誰も言ってない。たまたま発見しただけだろ。私(地球)や他の種にちゃんと許可を取ったんですか。取ったとしたら、何時何分何秒何曜日、地球が何回回った時。そして使用したならしたで用途をちゃんと明記しましたか。号泣したって許しませんよ。何勝手に使ってくれちゃってんの。訴えてやる、というより裁いてやる。鉄拳制裁!! 私(地球)が正義である。故に命令に従わないものは排除するのみ。ってな感じになっているわけです。

 ざっくり言えば、地球の独裁政権。


〇最後に
 地球が我々を裁いているにしろ、いないにしろ、この映画でおもしろいのは自ら命を絶つように仕向けていること。要は自殺である。死ぬ方法は様々でわざわざこんな死に方をするかというものまである。先ほどは地球の裁きというように書いたが、ここでもう一度考える。人間の排除のされ方が自殺というものであることを。自殺とは自らが自らで命を絶つ選択をするという行為である。地球が裁きを下しているという体で、精神を操作され死へ誘われているといえば考える余地は無くなるのだが、自らの罪を認め人類は死すべきなのであるという見解からの行動だとしたらどうだろうか。無意識・無自覚なものではなく、意識・自覚により現れる自殺という衝動。そしてそれを自殺という行動に移すまでの強い意思。我々は滅びたいのだろうか・・・。

2014年8月5日火曜日

ワンチャンス(2013)

ワンチャンス[DVD]


~才能の認証~ 

〇はじめに 
 ワンチャンスとは、たった一度きりしかなかったチャンスではなく、ポールが人生を大きく変えることとなった数多くあったチャンスの中の一つ。 

〇こんな話 
 ポール・ポッツの半生に基づくお話。

〇才能の認証 
 この映画において感動の要素としてあるのが、審査員のアマンダという人の存在。ポールの歌を聴き、才能を目の当たりにするとともにその才能を認証し、感心する姿が表に現れてしまう。そこで我々はポール・ポッツという才能が世間に認められたのだと理解する。そこに我々は感動を覚えるのである。我々は誰もが何かしらの才能を持っているのだろう。それが発現・発見されるかの問題だけで。そしてそこに感動は生まれない。感動を生むのは、その才能の発現からの他者の認証、認識によるものが大きい。才能があるのにタイミングや環境などにより日の目を見ることがない。それがある日突然何かの巡り合わせで認められ、日の目をみることとなる。自分には才能が無いのかもというある種あきらめの感情や、日々の何かしらの努力がある日突然認められる。自分では当たり前と化していた行為(無価値とは言わないまでもある種義務化されたもの)が他者に理解され、認められる行為と言うのは何とも感動すること必至。あなたには価値があると、(自分だけでは不確かだった)自分の価値を認められているととれるからだ。この世の中において誰かに認められるという行為に飢えている人間が数多くいる。それの代償行為としてこういった映画は感動を生む。

 先に観客の歓声が巻き起こり、スタンディングオベーションするではないかと、そこで感動するのだという人もいるだろう。それも確かにある。しかし、世間一般の人々よりも世間から認められているある種異質な存在、御墨付きとでもいおうか。さらに言えば認められたという対価が必要になる。それは成功を約束された道か、莫大なる収益か、その他の何かかというのは人それぞれである。いや、私はポールの才能をいち早く見抜き、最初の一声で鳥肌が立ったと言う人もいることだろう。人はそれぞれに感性があり、感動するポイントも思うところも違う。それの基準となるのが感動するポイントに説明を加えたものだ。わかりやすく言いかえれば芸術家たちの作品に価値をもたらす鑑定人。とそれにお金を出すものの関係。それだけの価値があると認められることで初めてお金を出せる。一見どこがすごいのかなどわからないものが多数ある。そんなものに価値を与えてきた存在。それが浸透している・浸透させられた世界に生き、選別してきた者たち。そんな存在の認証こそが、一番に信用足るものいう意識が浸透してはいないだろうか。そんな者による才能の認証がもたらす我々への影響は、感動していいんだという了解と、感動すべきという誘導、さらには自分の知らない世界への介入や、非現実への誘いか。これが一番に我々に対して夢を膨らませる事象であることは間違いないだろう。故にこの映画では審査員による才能の認証が一番の感動のポイントと言える(私的見解ではある)。

〇疑念 
 最後の番組内の様子が当時のものとの併用(・・・多分)で違和感を感じざるをえない。盛り上がりに欠けるというか、噛み合いがないというか。映像的にも鮮明さが違うので尚更。もうどうせなら当時の映像全部埋め込めばよかったのにとも思ってしまうほどだった。 彼のドキュメンタリーは日本でも特集されているし、某動画投稿サイトにも蔓延している。それを何度も目にしている人にとっては、最後の最後で興ざめしてしまうのではなかろうか。ポール・ポッツの生きざまを描くのと、ポール・ポッツを演じたものの生きざまを描くのとごちゃごちゃにしてしまった感がある(わかりにくいかな・・・)。 
 あとはエンディング。ポール・ポッツご本人の映像を流してくれることに期待しすぎていて、観終わった後あっけらかんとしてしまった。 

〇最後に 
 ポールは数多くあったチャンスの中の一つのチャンスで成功者の階段を駆け上がった。誰しもがこのようなチャンスを大なり小なり経験しているのではなかろうか。さらには彼よりチャンスが多いかもしれないし、少ないかもしれない。そういった意味ではチャンスとは誰しもに平等に訪れるものとして何とも公平感が漂う。だからこそ希望を見出す。しかし、そのチャンスが過ぎさってしまえば何とも差別的世界が広がる。成功者と失敗者、勝ち組と負け組の世界だ。そういった組み分けは負け組のやっかみだったり、勝ち組の優越感だったりというものもあるかもしれない。お金というものが支配する世界で綺麗事は意味を為さない。 ワンチャンス、果たして掴みとることができるだろうか。

アイアン・スカイ(2012)

アイアン・スカイ[DVD]


~井の中の蛙~

〇はじめに 
世間的に浸透しているであろう複雑で混沌とした世界情勢を誰も明言しないし認めない。そんな世界情勢を、実際のところこんなんでしょと皮肉を加えて見事に代弁してくれる作品。なぜ誰も事実を伝えないのかという疑問に、皮肉を交えて答えてくれる。 

〇こんな話 
月の裏側に調査に行ってみると、そこにはナチス帝国が広がっていた。はてさて・・・。

〇鎖国 
チャップリンのナチスドイツに対する風刺映画を見事に都合の良い解釈に持って行くなど、制限された教育をされてきたが故に育つ無知な存在。固定観念により視野が狭くなっている。 無知の者を騙すのなんてそれっぽいことを言えば容易。地球侵略を目論むものの調査不足、情報不足。日本が鎖国において外国に置いていかれたように、彼ら月面のナチスドイツの者たちも見事に時代遅れ。おそらく各国同士の関係や争いにおいて技術革新等日々進歩を遂げる者たちとの比較を描きたかったのだろう。スマートフォンと巨大コンピュータの比較が良い例だ。しかし博士がスマホとコンピュータをつなぐモジュール(USB)を作るなど、いずれは彼らナチスドイツも辿りつく境地と言うことなのだろう。技術革新の速度が違うだけで。ちなみに、コンピュータをつなぐ装置はユニバーサル・システマティック・バインディング(USB)としている。 

ナチスドイツを徹底的にディスってはいるのだが、最終的にはそれを含め地球における各国の関係、偏見、差別等も皮肉っている。ナチスという共通の敵を倒す時には手を組み、倒したら倒したで、月の資源や利権もあり、再び争いを開始する。ナチスドイツに対しては、ナチスと言う一つの組織における小さい視野から見てるお前ら馬鹿じゃね、と地球側から皮肉っている形になるのだが、最終的に地球人同士で争いを開始する様を宇宙から地球を眺めさせる構図で見せることで、地球と言う小さい括りで考えてるお前ら馬鹿だよね、と皮肉っていることになるわけです。ナチスドイツが地球と言う括りで見た場合、井の中の蛙であったように、宇宙から見た場合地球全体が井の中の蛙なわけです。

〇信用度 
ナチスドイツ側で、月から地球に行き、戻ってきた者は一人もいないと言われている。それはどういうことか。地球の方が住みやすくナチスのことなど忘れ、幸せな生活を手に入れたのか、やはり死んだのか、それとも・・・。
地球はロズウエルやらアポロ計画やら陰謀論に溢れている。地球側のお偉いさん方の話の中では、月の裏側がどうのこうのと馬鹿にする発言が見受けられた。公に発言する者には知らされない事実があるという演出もあった。大統領は無知であるが、その側近の者は知っており、大統領に助言をするといったようなシーンだ。それを基に考えると、情報の制限が為されていると言っていいのだろう。公に出る者には知らされない事実がある。知らなければ不必要に、不用意に嘘をつくことはないといった対処である。
主人公がホームレスになり、月の裏側の事実とナチスの陰謀について叫びまわっているシーンがある。そういった発言の信用は立場ありきで考えられる。大統領といった者が発言するのと、ホームレスが発言をするのとでは格段に信用度が違う。どんなに声高に叫ぼうと誰が信用しよう。彼と同じようなことが月からの使者には起こっていたのではないだろうか。地球でナチスドイツが月の裏には存在するなどという突拍子もない発言をしようと受け入れられるわけはなく、そのままどこかへ消えてしまっていったのだろう。
真実を知るホームレスと、裏事情を何も聞かされていない大統領。あなたはどちらを信じるのか。我々に見えているものはホームレス、大統領といった立場、経歴だけだ。事実以外の要素(主に経歴)が介入することで、事実・真実が必ずしも信用されるとは限らないし、嘘がまかり通る場合もあるといった状況が発生する。そんな社会も見事に皮肉っている。

〇最後に
ナチスドイツをディスってるのかと思いきや、現代社会全体を見事に風刺しているという始末。頼む、もっとやってくれ。

悪女 AKUJO(2017)

~アクションは爽快~ 〇はじめに  韓国ではこの方はイケメンの部類なの? 〇想起する作品  「ニキータ」  「アンダーワールド」(2003)  「KITE」(2014)  「ハードコア」(2016)  「レッド・スパロー」(2018)...