2014年7月28日月曜日

GODZILLA ゴジラ(2014)

~主体と客体~ 

〇はじめに 
 ゴジラ(というより怪獣対決)を自然災害として扱ったディザスターパニック映画に仕上がっている。 

〇想起する作品
 「モンスターズ/地球外生命体」  監督の前作品

 「クローバー・フィールド」 
 「インデペンデンス・デイ」 
 「サラマンダー」 
 「宇宙戦争」 
 ・・・などなど 

〇演出 
・POV 
 POV方式を主人公視点や全容解明のための主体としてのものではなく、客体として観せられる報道関係に使用するという演出。最前線の映像はもちろん迫力満点に描かれる。これにより当事者且つ傍観者としてゴジラという現象を観せられることになる。 

 これは実際の震災や災害という事象や現象に直面する我々そのものではないか。現象に直面する者たちは生を求め逃げまどい、助け合い、戦いを強いられる。一方TVに映し出されるその事象や現象は現実に起こっていることだが、それがいかに非日常であろうと、被害が傍観者に対して直接的にしろ間接的にしろ結び付くことが無い限り普段の生活は続く。TVの前とTVの中(向こう側)では絶対的な壁がある。しかしそれは時として容易に崩れ去ることもある。明日、いや次の瞬間は我が身かもしれない。教訓として学ぶべきことは過去にあった。しかしそれを人間は忘れてしまうのである。故に同じかそれ以上の過ちを犯してしまう。 

 この映画事態のシチュエーションが要因としては大きいのだが、昨今起きた震災が頭をよぎった。それを狙っていたのかもしれない。実際の現象をカメラを通してではあるが、リアルタイムで観せられているにしても何か夢見心地や映画感覚。被害を被っている人がいるにも関わらず、映画のような世界と興奮する自分もいるという始末。行方不明者、死亡者が多かろうが心配している余所でどこか他人事。9・11の時もそんな感覚だった。日々報道される事件や事故に対してもだ。見聞きしている当初は怒りや憤りを覚えるが、時間が経てばそれも薄れ、いつも通りの生活に戻っていく。そんな日常を見事に味わわされた。結局ゴジラも人類にとってはそんな記録や記憶を呼び覚ますための(呼び覚ますべき)定期イベントでしかない。しかしそれが人類にとって過ちを犯さない、繰り返さないための大きなものである。


 POVの話のまとめに入ると、怪獣対決において最前線の映像と傍観者視点となる報道・TVによる映像が使い分けられることで、リアルタイムで全容を知り得る人物がいないという現実感を見事に演出している。TV・報道を通しての事後・結果報告。その時に何が起きたのかという断片的な映像にとどまる怪獣対決は見事。危機に陥ってもどうやって助かったのかなど描かれないことも含めて。さあ、はじまるぞ、はじめようかぁってなところでTVによる事後報告なんてことがこの映画には存在する。あれれ、コマ飛んじゃったのかな。「HUNTER×HUNTER」のヒソカVSカストロ戦(アニメver)を思い出した方も多いのではないだろうか(コアすぎるか?)。結局全容なんてものはリアルタイムでは把握できない。事後になってあらゆる出来事を検証して初めて導き出せるもので、それが正しいとは限らないってのがまたやっかいなのではあるが・・・。この辺の演出が先ほどから書いているように、実際に非日常に見舞われる我々の視点を見事に再現しており、しかし日本人が望むようなゴジラゴジラしないという不満にも繋がることだろう。演出により中々に見られない怪獣対決。焦らされながらも最終的には大迫力の怪獣対決が見られる。それを最前線(主体)と傍観者(客体)の演出を踏まえて・慣らされて、どのように見え・感じるかでこの映画の評価は分かれるのではなかろうか。


・人間VS怪獣 
 怪獣たちと人間との対比(主に大きさ)の演出に話をうまく持って行く。 

 怪獣(ムートー)に電磁パルスという電子機器を使用不能にする攻撃を付加させるだけで、科学技術に包まれた人間を一気に丸裸にする。これがすばらしい。人間の強みは知恵を身につけたことであり、人間が地球上で頂点に君臨していると錯覚してしまうのは、科学技術による後付け・外付けオプションの力が大きい。つまりそれらを否が応にもはがされることで丸裸の人間(歩兵部隊)と怪獣という対比を演出することができる。裸の付き合いってやつですかね。 

・ゴジラ 
 歴史的に行われてきた核実験と称されたゴジラ殺害計画。この歴史が「ゴジラ=悪」であるという軍人さんの思考に結び付くのであろうが、なにか甘く・物足りなく感じてしまう。劇中のゴジラの行動を見ていれば、ゴジラを擁護する気持ちが(必ず?)湧くはずであるので、ゴジラの立ち位置を(人類視点から考えて)曖昧にしたかったのであれば、「ゴジラ=悪」というのをもっと決定的に印象付けても良かったのではなかろうか。 


〇GODZILLA 
 ゴジラが生態系維持における調整者として描かれる。ゴジラ=地球ってな感じか。 

ゴジラ(の自覚行動)による人類への被害はほぼ皆無。基本的な被害は人類がゴジラを悪と認定し攻撃を加えたことによる弊害が大きい。人類の行動が生態系に異常を来たし、それを調整しようとする人類自らの策がさらなる悪影響を及ぼす。これにより人類は自己破壊的に進むということが言えるのかもしれない・・・。 

神としてのゴジラ。 
「GODZILLA」に含まれる「GOD」の文字。これは誰に対する神なのか。ゴジラによる生態系維持のためとされる調整で利益を得るのは何を隠そう人類である。故にゴジラは人類に対する神と言える。そこがまた神に攻撃するのだから人類は被害を被って当たり前と皮肉っているのだろうか。 

〇余談 
 「ARMS」実写化してくれないかなぁ~。 

〇最後に 
 ゴジラさん観せるところ(アピールポイント)わかってるなぁ。猪突猛進具合だったり、本能や欲求に忠実だったりと、いくら体が大きく・強くても習性が抜けきらないというか・・・。 
 相手の怪獣は二対であり、二対一を強いられるゴジラ。ゴジラときたら一人に集中するとすぐにもう一匹の存在を忘れてしまう。周りが見えなくなっちゃうんですね。叫びたかったですよ「ゴジラ~、後ろ~!!」と。 
 戦い終わったら終わったで、「疲れたから寝るわ」といったような自由奔放ぶり。猫か、お前は・・・。そして起きたい時に起きる。からのゴジラ凱旋。その後ろからの画がまたおしりをフリフリさせてかわいいんですわ。 
 まとめますと、ゴジラならではの茶目っ気(本人にその自覚は無いだろうが醸し出てしまう)が見事な映画でした。

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