2014年7月11日金曜日

宇宙人ポール(2011)

宇宙人ポール[DVD]


~何しに来たの?~

〇こんな話
SFオタクの二人。一人は作家、一人はイラストレーター。よくゲイと間違われるくらいに仲が良い。そんな二人がキャンピングカーでSF聖地めぐりを始めた矢先、宇宙人と遭遇する。そこから始まる珍道中。宇宙人と言うタブーネタに勝手にテンパる二人が見もの。

〇エイリアン(地球外生命体)
エイリアン、SF好きの示すところの地球外生命体を、私は違法就労者でないと反論する者がいる。笑える。

~星間航行を可能とし、地球に来訪したエイリアンは友好的なのだろうか?~ 
人類よりはるかに発展した技術を有する存在が、地球に何をしに来るのか。映画でよく描かれるのが資源搾取。自分たちの惑星(ほし)の資源を掘りつくし、生存のため移住を試みる者たちが多数だろう。有名どころでは「インデペンデンス・デイ」や「アバター」など。共存の道などないと。資源に関する問題を人類の歴史的に見ると、共有よりも独占を選択するだろう。その心理が異種に働かないとは言い切れない。しかし、友好を目的としていないとも言い切れない。異種を受け入れるか受け入れないかは別として、我々から見たら異種の存在が宇宙人であるが、宇宙人視点で考えればと球人が宇宙人である。まぁどちらも宇宙人である。住んでる星や文化、種としての違いがあるだけ・・・。

~エイリアンと初めて遭遇した人間の反応は?~
敵対、友好、驚き、興味、恐怖・・・。 どれが当てはまるだろうか。全人類が必ずしも友好的だとは限らないし、敵対するとも限らない。だからこそ最初に出会う人物が重要であろう。関係を個人間で終わらすのか、種という大きな括りまで持って行くのか。人それぞれ、場合によりけりだし・・・。

スピルバーグが宇宙人っていう存在を意識させる、定着させるために「未知との遭遇」を撮ったというのは有名な話ですね。


〇異種間ギャップ 
宇宙人と地球人(の描かれ方) 
ジョーク、下ネタ、仲間思い、性格が見事に人間らしく描かれる(そういった行動をとる二足歩行動物を人間しか知らないという事実はあるが)。しかし、鳥をわざわざ生き返らせて食べてしまうなど、異種間ギャップも描かれる。地球人から言わせればそのギャップは受け入れがたいものかもしれないが、彼らには常識でそれらをどう受け入れていくかということが問題となるわけで。 この映画の場合は、最後の最後で異種のために自己犠牲精神をはたらかせるというところにつなげてくる。異種同士でも理解し合えるという演出。愛や友情は種という壁を越える。
ギャップに関しては地球人間にも言えること。ギャップという観点で一番好きな話が「釣りバカ日誌11」で描かれた、ペットとして飼ってほしくて預けたウサギが、おいしく食べられてしまうという地方間のギャップ。大事に育てたかわいいウサギさんがギャップにより食べられてしまうんですよ。笑っちゃいますけど、実際エグいですよね。最終的にこれは理解し合えた例となる。結婚という形で。映画ではあれど、個人間であれば割と理解しあえる。割り切れると言った方が正しいのだろうか。それがより大きな集団で、複数人が関わってくることでより混沌としてくる。  

〇余談 
シガニー・ウィーバーがエイリアンものに対してネタ化してしまっている感が否めない。それほどまでに「エイリアン」という作品は偉大だ。 

〇最後に 
同じ宇宙に、同じ時代に、地球という星以外に生命が存在するとして、それらが何かの巡り合わせで出会うことができたらどうなるのだろうか。地球という観点で見れば、同じホモ・サピエンスという種であるにも関わらず、ほんの些細な違いで衝突が起き、差別し、排除する。そんなことが個人間から国家間までひたすらに行われている。そんな日常を続けている種であれば、それを宇宙間という大きさまで持って行くのは、容易だろう。はてさてそれでいいのか。個人間では異種とされる者との友好が可能だとしても、少し大きなコミュニティでは不可能となることもある。はてさてそれは何でなのか。う~む、難しい問題である・・・。

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