~混同~
〇想起する作品
・「13F」(1999)
・「マトリックス」 (1999)
・「インセプション」(2010)
〇こんな話
イグジステンズ(eXtenZ)というヴァーチャルゲームをプレイすることになった複数名。ゲームをプレイ中の発明者がいきなり襲撃される。そこから始まる逃亡劇、という名のゲーム。はてさて・・・。
・ネタバレ
描かれる世界(現実とされていた)が最初からゲームの中だったというオチ。これは「13F」に通ずる二階層システム。やりおる。劇中の人物含め鑑賞者も最初に描かれている世界が現実だと思わせてしまっていたわけで。ここから最後の台詞につながる。現実とゲームの区別がつかなくなっていたと。
〇ゲーム設定
そのゲームをプレイするとキャラクターの人格及び台詞が勝手に出てくる。二重人格になった感じと言っていた。流れに身を任せることでゲームは進んでいく。ゲーム中のキャラクターは返答してくれる内容も定められており、そうでない内容であれば待機モードとなる。
〇境界
ゲームの制作者を殺害する二人。いきなり叫び始める。最後こいつら何言ってんの?となるかもしれないが、中国人と思われる人物の言葉でああ、なるほどと納得する。
「これはまだゲームの世界?」
現実とゲームの人格の区別がつかなくなるとともに、現実とゲームの区別がつかなくなりはじめているという暗示。現実に対して今の世界がリアルであるのかという疑念が生まれるようになる。まだ夢を見てるのか?みたいな感じだろうか。
~区別がつかなくなることでもたらされるものとは?~
ゲームの世界のリアリティ(現実感)が増すほどに区別はつきずらくなる。ファミコンであった某ゲームの、きのこで身体が大きくなるというのを現実に信じ込む人はいないだろう。土管に入っていくとか・・・。ヤッフー!!
現実に近いということで、その現実感を活かし現実にはできないことを試すことが可能となる。現実(のスペック)では絶対に不可能であることと、やろうと思えばできるが世間的・社会的に害となることでできないものが存在する。そんな欲求やストレスを、仮想現実という限りなく現実に近付けた世界で実行することができたら。そしてそれは現実に近ければ近いほど、現実に起こりうる興奮を覚えることとなるだろう。しかしそれはおそらく欲求や衝動を一時的に満たしているにすぎない。もしそれがゲームの世界だけで満足できなくなったら・・・?
〇余談
最後の最後でTRANSCENDENCEという言葉が出てくる。字幕はトランスセンデンスと訳され、吹替えでもそう読んでいる。2014年の「トランセンデンス」という映画。スが入ってない。ただそれだけ。
〇最後に
現実と妄想(ゲーム世界)の混同。それは子供のころに経験するであろう、なんとかごっこといった憧れからくる事象だったはずである。しかし、それが全部が全部ではないが、現実に近づいているであろうハイテクゲーム等が流行り始め、実際には行えない欲求や衝動を体現するに至っている。現実と妄想とで割り切れれば良い。どちらかだけに浸っているだけなら良い。でもそれを許してくれない社会や自分がいる。そこで生まれる新たなる欲求や衝動といったストレス。あなたはどう解消しているだろうか? 解消していくのだろうか?
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