2014年7月6日日曜日

ヘッドハント(2011)

ヘッドハント[DVD]

~二大巨頭~

〇はじめに 
 この作品は残虐的な描写が多めなので、苦手な方は無理に観る必要はない。しかし、その残虐的な描写を最後見事に活かしてくるというなかなかに凝った作品であるので、嫌いでない方は観てみたらいかがか。 

〇こんな話 
 レッドという男が殺人を犯したとのことで逮捕される(連続殺人鬼として)。様々な報道が為され、彼は服役することに。なんやかんやあって脱獄する。そしてレッドによりある場所に集められた複数名。彼らはレッドが服役するに至るまでに関わった人物たちであった。はてさて・・・。

〇演出 
 これでもかというほどに観せられる残虐的な描写。閉じ込められている者たちにとっては指示に従わないとこうなるという見せしめとして機能する。さらには反抗するなという抑止力。恐怖を植え付けるのにこれ以上のものは無いだろう。もう痛々しくて仕方がない。そして我々はというと、残虐描写をただ楽しむというだけに思えてしまう(楽しむという表現を誤解されたくはないので少し説明しておくと、決して残虐描写を好んで視聴するというわけではなく、映画の表現のあり方の一つとして理解するみたいな感じ)。 違うんだよなぁ~、ふふん、とさっきまでの自分に言ってやりたくなる。残虐描写を痛々しくも楽しみつつ、最後のシーンを観せられるとあら不思議、先ほどまではただの恐怖の対象でしかなかった連続殺人鬼が、これ以上無いってぐらいに頼もしく見えてしまう。た、助けてください。 


 連続殺人鬼ではないということを証明するために、レッドは最終的に真犯人を突き止めるとともに連続殺人鬼になっている。鑑賞者である我々は、レッドが連続殺人鬼になる様を現在進行形で残虐描写を通して目撃することになる。まあ彼も人体実験の被害者であり、単純に彼を悪と見せないのもまたこの演出のミソ。 

 仮に、殺人鬼とされる(言伝で聞いた)人物と、実際に人を殺す様子を見せられた人物とどちらを信用するだろう。信用という言葉だと少し誤解を生むかもしれない。ある強敵を前にしたとき、殺人鬼が味方になるとして、どちらを選ぶだろうとした方がいいか。さあ、どっち? 

・状況の近似 
 わかりにくい方もいらっしゃることだろう。自己満足とともにさらなる解説をしていきたい。なるべく多く例を挙げてみよう。 

一、「ターミネーター」「ターミネーター2」 
 シュワちゃんが敵から味方になる感じ。1でのシュワちゃんの圧倒的な強さ、恐ろしさを知っているからこその、2での味方になっての頼もしさ。現実のシュワちゃんの役柄を知っているからこその頼もしさ・安心感というのもあるか。 

一、「エイリアンVSプレデター」 
 シュワちゃんには敗れるものの、その残忍性は十二分に評価されているプレデター。エイリアンに惨殺されるしかない状況で、たとえ敵であろうと頼らざる・利用せざるをえない。 劇中の登場人物には知る由もない事実だが、鑑賞者としてはこれ以上無い最大の武器を手に入れたという状況に、何か期待せずにはいられない。

一、「フレディVSジェイソン」
 「エルム街の悪夢」「13日の金曜日」で余りある恐怖を提供してくれたお二方。どっちが生き残ってもうれしくないはないが、二人相手はちと荷が重い。二人でやりあわせよう。あわよくば相討ちねらい的な。

 良くも悪くもある二大スターの敵対、共演と言った方が良いか。実力を知っている二者にどう決着をつけるのか。そんなところにワクワクを感じざるを得ない。

〇選択肢 
 自分の無実を証明するために、殺人鬼でないということを証明するために殺人さえも行う。何という矛盾、何という理不尽。こんなことが許されるのか。確かに検挙された事件に関して彼は殺人を犯していない。自分の無実を証明するのに法が機能しないとなれば、自分で事を起こすしかない。彼がとったのは一つの方法であることに変わりはない。普通であれば選択肢としてはあっても選ばない、消去法ですぐに消えてしまう方法であっただけ。 

〇最後に 
 何の目的かも知らされないまま、ただただ仕事を強いられる。仕事の意味としては、事件の真相と真犯人を挙げることだった。それを理解し且つ真犯人を突き止めるに至る優秀な人物が最後生き残ることとなる。

 物事に関して真意を知らずに生きている人は数多くいるだろう。何も考えず、何の意味も見出さず、ただ前例と同じように自分の意思を介せず物事に接する。肯定的に言うなれば、常に最新版を好む、周りが皆やってる、もってるからなどといった理由で行動する。流行に乗っかる、取り入れるってところか。

 この映画は仕事への取り組み方且つ結果の良し悪しにおける、その待遇の格差を描いている。待遇の度合いはこれ以上はないであろう、生か死かだ(解雇が死に相当する)。レッドの頭がイカれていることから、選別はどんどん行われていく。使えない奴は足手まといだと言わんばかりに。この劇中の仕事で求められる成果は、事件の真犯人の特定とレッドの無実の証明であり、そこに至るにはどうしても個人の(考えの)介入が必要になる。捜査や推理といった行動に移すためだ。つまりレッドに与えられた支持を淡々とこなしているだけでは成果は挙げられない。自分で考えろと。

 彼女のような、組織という人間の集団の中において、自分という存在の立ち位置を(自分の意思とは関係なく)自覚した者が生き残れる。そんな世界・社会が広がっている。そりゃストレス堪りますよ。捌け口が必要なのもわかります。仕事ができる、できない、大いに結構。でも捌け口において人様に迷惑をかけるのは違うと思います。

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