2016年3月31日木曜日

ザ・ファントム(2014)

ザ・ファントム[DVD]


~支配~

〇はじめに
 ジャン・ロスタン日はく、科学は未熟な人間を神にした。


〇想起する作品
 「カンパニー・マン」(2002)
 「リベリオン」(2002)
 「GAMER」(2009)
 「デッド・シティ2055」(2015) 

〇こんな話
 GSコードなるものが制度化され、法執行機関による市民の追跡が常習化。犯罪率は80%以上軽減した。しかし問題点もちらほら。 陰謀を暴きだしてやる。


〇支配
 最初の強盗事件。犯人側の主従関係と、警察側(政府側?)の指揮系統をひたすらに見せようとする。指示する者と実行する者の存在。頭に対して、腕やら足やら体やら。これがメインとなるGSコードの縮図であるのだろう。

 さらにはその二者間の交渉か。決裂アボンとなるわけだが。力を持つ者が勝つわけだ。暴力という力、機転(頭脳)といった力・・・

 そして嘘発見器? センサーによると嘘はついてないどうのこうのと。如何に機械に頼り切っているのかというところか。これが機械と人間との関係・・・??

 そんな中でひたすらにかっこよくアクションを観せようとする。逃走及び追跡中に無駄なアクロバットを披露する。よ~わからん。

 このアクションの位置づけをもうちょっと練れば良かったのに。「デモリションマン」はその点うまかったよね。


 おそらくそれぞれの力というものを、支配する側とされる側ってなところにつなげたいのであろう。GSコードによるマインドコントロール。男と女(DV?)、痛みがどうとかとも言っていたな。

 皆が全てを支配され、決められた道を歩めば争いも起こらないだろう。格差も今よりも軽減される。しかしそれが人間として生きることなのかどうなのか。自由意志とは何なのか・・・ってなところなのか・・・ マクロな視点とミクロな視点とでそれぞれ違って見えてくるわけで。戦争が起きないからといって、個人の充実度や幸福度は果たして上がるのかどうなのか。

 結局のところ誰かしらが利益を被るシステムなわけでね。GSコードによる支配が完了し、平和な世界を築いたとしても、それを誰が制御しているのかと。誰かしらが実権を握っているという、支配と隷属の関係が築かれている。それが見えなくなるだけで。何か必ず裏があると思っておくと。

 GSコードの法案を廃止し、自由を勝ち取ったというエンドなわけだが・・・。最後とある人間たちによって「次どうする~?」ってな話し合いが行われている。これの繰り返しなんですよね。別に廃止されても・・・、というより廃止されることもシステムの一環でして。ブーム、流行りと一緒なんですよ。姿カタチを変えるだけで、根本的なところは結局同じ。如何にそれを見えにくくし、新しいものだと見せるかってなところが要でして。


 直面する事態に対しての特効薬は決して万能薬ではない。

 とまとめておこう・・・ 何か突飛になってしまった・・・


〇最後に
 この手のレベルの作品にありがちなんだけど、どうもアクションとストーリーが別パートな気が・・・ 伝わりますかね~・・・

 ではでは・・・


 



2016年3月29日火曜日

ディーパンの闘い(2015)

字幕翻訳:丸山垂穂


~足~ 

〇はじめに 
 「グラン・トリノ」は別段想起しなかった。


〇こんな話
 他国へ逃れるために疑似家族を形成した者たちのお話。


〇足 
 フランスに移住してからのとある場面。洗面器に足をつけているディーパン。これは足を洗っていたのだろうか? 彼は元解放軍の戦士であった。解放の虎? 何かしら罪の意識を感じているようにも見えた。 

 過去のしがらみからも結局逃れられず、とある覚悟をし、ゴロツキたちのアジトに踏み込んでいく場面。階段における銃撃戦にて、登っていく彼の足が映し出されていた。登るというのも彼の覚悟の現れなのだろう。 

 最初と最後では象が挿入されている。これはとある宗教における神ということなのだろう。そして最後が夢なのか現実なのか?というもしかしたら彼らはこのような運命を辿ったかもしれないという曖昧な描かれ方。そこから考えるに「足を洗う」というところを意識したと読み取れるか・・・ 


〇難民・移民  
 全体的に、何をしているのか、何が起こっているのか、何を作っているのか? などがわからない場面から入り始める。頭の上のリボンが光っているのなんて、何ともシュールに感じた。一見では判断がつかないんだ。最初の文字(字幕)が透けて作品が見えていくというのも狙ってか。後に何かしらの答えが提示されたりする。  

 これこそが彼らの目線・視点だったのではなかろうか。未知や異質なものに我々はどのような感情を抱くのか。不良がたむろする様を見て恐怖を覚えたり、皆と同じことをすればいいんだと興味を抱いたり、逆に不安で仕方がなかったり。自国(の文化)との比較が為されたりもしている。それによって安心を得、また逆に不安を抱く。

 そんな演出を踏まえ、最後の件を観せられ、結局のところどうなったのか・・・ これからどうなろうとしているのか・・・

 これは我々が考えるべきところなのか。備えるべきところか



〇最後に
 結局家族というところがどうも不鮮明になってった気がするが・・・

 ではでは・・・



2016年3月28日月曜日

精霊の守り人 第1回

~逃亡劇~


〇はじめに
 とある番組にて宣伝していたので興味をそそられ鑑賞。木村文乃も出てるワ~イくらいの勢い。

 基本的に連続ドラマは第一話において相当に力を入れるはずであるがお見事。つまらない。ここまでとは。

 中世の王朝ものっていうのかな? こんなんばっかだよな~・・・



〇想起する作品
 「もののけ姫」
 「オズ はじまりの戦い」
 「TRICK」シリーズ
 「ベルセルク」


〇こんな話
 バルサとチャグムがなんだかんだ逃げることに・・・
 

〇逃亡劇?
 逃亡劇のおもしろさとは何か?

 逃亡する者の焦りだったり恐怖だったり。要は緊張感だ。それは捕まるかもしれない、追いつかれるかもしれない、気付かれるかもしれない、周りのどこに敵が、追手がいるかわからないといったものによりもたらされる。その中での緩急として逃亡者同士の心の溝埋めが行われていく。ここで和むわけである。「マーキュリー・ライジング」(1998)参照。ここはまぁ~この作品も文化の違いで描いていたか。

 その上で重要となってくるのが逃亡者と追手との距離感である。どこから逃亡したのか、追ってくるのか。今時間はどれくらい経過してどのあたりにいるのか。どこまで敵の力は浸透しているのか。これがこの作品はひたすらにわからない。地理的なものや勢力図が見えないのである。それも町全体を映す画はない、さらにはその街の特徴をまるで描き出さないからである。国という大きな括りを持ち出していても、映し出されるのはそれぞれの人物のアップや個室だか小部屋。これで物語の流れを把握しろといわれてもね。それぞれのシチュエーションを繋げるのがいくらなんでも下手すぎやしないか。ぶつ切りな感じが否めない。

 どこにいてどういう状況なのかというのを台詞だけで説明されても何が何やら・・・ 私バカなのでね・・・

 どういう世界観なのかというところを浸らせての第2回で、さらに深めていく的なノリなはずなんだけどな~、この手の作品は。


 描きたいものと私のノリがズレているだけなんでしょう、きっと。



〇疑問
 川に落ちた王子をバルサが救ったわけだが、逆にバルサが精霊だかに救われたということにもなっているのだろうか。ここら辺の関係性が今後活きてくるのか・・・

 [バルサチャグム] [ジグロ―バルサ] この関係性が後々どう響いてくるのか・・・

 藤原竜也が玉転がしているのはネタ?



〇余談
 じゅんいちダビッドソンでも出せばいいのに。まぁ~彼が行ってからはまだ対戦してないけど。そもそもCL出れてないからな・・・


〇最後に
 第2回が楽しみで仕方がない!

 ではでは・・・



2016年3月27日日曜日

スター・ウォーズ/フォースの覚醒(2015)

字幕翻訳:林完治


~試練~


〇はじめに
 「スター・ウォーズ」シリーズはエピソードⅠが好きだ。クワイ=ガン・ジンが堪らなくツボなんですよね。

 レイ役のデイジー・リドリーが何とも初々しくてすばらしい。


〇こんな話
 何かのはじまりはじまり


〇試練
 まぁ~シリーズ全てを見ないとどうも判断しようがないのだが・・・ 気になったところを1つ・・・

 
 カイロ・レンの試練として1つなんやかんやあるわけなのだが・・・



 彼の父親の死は果たして、

 暗黒面へと完全に染まる上での彼の中に残る唯一の光からの解放を意味するのか

 それとも絶対的なもの(光)として永遠に彼に刻み込まれたとするのか


 続きが気になる。来年はスピンオフかぁ〜・・・



〇余談
 対ライトセーバー武器なんか知らんが、トンファー型の武器めっちゃかっこよかったな~

 BB-8のモーションをよく考えるよ。ただの鑑餅じゃねえかよ。なんでいちいちかわいく見えるんだろうか。



〇最後に
 最後まで観られるか・・・ 見届けたいものだ・・・

 ではでは・・・

2016年3月26日土曜日

名探偵コナン 探偵たちの鎮魂歌(2006)

名探偵コナン 探偵たちの鎮魂歌[DVD]


~無関心~ 

〇はじめに 
 劇場版第10作目 


〇こんな話 
 光彦:「元太君、ドラゴンボールって知ってますか?」
 元太:「光彦なんだよそれ?」
 光彦:「7個集めると願いが叶うらしいんですよ。」
 元太:「おいそれすっげえな!!」
―――後日―――

 元太:「おい、コナン! ゴールデンボールって知ってるか?
 コナン:「ふふふw ゴールデンボールってのはだな~・・・通称・・・ペラペラ・・・」
 元太:「え? ってことは今もう4つあるってことか・・・」
   :「光彦を呼んで、え~っとえ~っと・・・・あと・・・1つ・・・」
   :「おい、あゆみ~!!」


 歩美:「もうやだ、元太く~ん///」
 灰原:「バカね。」

―――とある日―――

 元太:「あれ? なんだ!??」
   :「2つしか揃ってないのに神龍が出てきたぞ!?」
   :「おい、あゆみ~!!」 


 キャッチコピーは「鎮まれ! 俺のスーパースネーク!!」



〇待ち時間 
 光彦のスーパースネークを待つ時間の計算について。光彦日はく、3時間半くらいとのこと。 

 三人並ぶのに1mだと言う。しかしこの画の描き方だと、先頭から計算すると確かに1mに3人並ぶというのは良いのだが、そこからは2mに5人、3mに7人と1mに2人ずつ追加されていくことになる。ちょっと計算をやり直してみよう。
 



 最初の1mに3人。あとの149mには2人ずつ。計301人と。それを1回の乗車人数の22で割る。=13.6・・・≒14。14回に掛けることの1回の乗降者時間の10分。2時間20分ですね。


 どうでもよかったな・・・



ひとつの真実 
~他人(ひと)は他人(ひと)に無関心~

 灰原は自らの待ち当番の時に先を譲り、待ち時間を延ばして時間稼ぎをするわけであるが、前後の待ち人が変わっていることに帰ってきた者たちは気づかないものだろうか。それほどまでに他人に関心が無いということを表現したかったのだろうか。 

 それよりもだ。蘭さん、あなたは子供たちの保護者役を仰せつかっているのでしょう。灰原一人に列で待たせるというのはまだわかる。何せ灰原一人よりも探偵団の三人の方が厄介だからだ。探偵団3人の方を優先してついて行くのは然りであるとは思う。しかしですよ、子供たちを置いて園子とケーキの食べ放題に行こうとするのはどうなのだろう。小学一年生ですよ。灰原一人しっかりしてるから大丈夫だよとそそのかす園子も園子だが、それにのっかりケーキ食~べよっ、となる蘭も蘭だ。ま、言うて蘭は高校二年生なんですよね。劇中で描かれる行動が大人っぽく描かれてるだけで。 


 あとIDについてだよ。千葉刑事さ~、数あってるじゃねえよ(笑) もっと人を見なさい、人を。数字ばかりに固執する人間が多すぎるぞ。しかも今回C4ついてんだろ。もっと慎重にだな~。


 視覚に障害のあった犯人が、コナンを指紋で工藤新一と認識するのが皮肉になっているのだろう。視覚以外を頼りとするところで、本質が見えてくる場合があると。ま、蘭は見た目重視ですからね。

 あと「お金に目が眩む」ってのもテーマでしたからね。





 好きの反対は無関心と言われる。蘭の子どもたちへの無関心は誰かさんへの気持ちの反動ともとれるのかもしれない。



〇余談 
 スナイパーは銃身を窓から出さないと「ザ・シューター 極大射程」で聞いた。つまりライフルを乱射した犯人の描写でトーシロだとわかるわけか。

 怪盗キッドが白馬探に変装しきれるのも、「まじっく快斗」の方でひたすらじゃれあってるからなんですよね。


 これは峰不二子意識してるのかな・・・





〇メモ
 灰原哀は蛇が嫌い。蛇は〇〇の象徴だったりする・・・、つまり・・・

 スーパースネークに鎮魂歌(ちんこんか)・・・か。狙ってるなゼッタイ。↑のスナイパーの銃身を出すってのもアレなんだろな・・・。ビルの窓=社会の窓なんでしょどうせ。そしてスネークがスーパーになってることを決定づけるもので、それを鎮めるってな下心が組み込まれていると。卑猥だな。

 あと外で爆発ってのも何かな~・・・ 中で爆発ってな表現はね~・・・ もう口を閉じるか。




〇最後に
 今回は悩みました。誰で行こうかと。乗っかりましょう、製作者の思惑に。





















 萌えぇ~


 このギャップ良いよね。



 

 ではでは・・・


 あっ、灰原が元太の握ってる(*´艸`)・・・





2016年3月25日金曜日

家族はつらいよ(2016)

~コメディ~ 

〇はじめに 
 まず謝罪から。いつもとは違う劇場で鑑賞した。なんだろうおかしい。映画が始まるまでの予告編の感覚が違う。間が違うんだ。やられた。目を開けると家族会議が始まっていた。 


〇想起する作品 
 「愛しき人生のつくりかた」(2015)  


〇ジャパニーズコメディ  
 誰もが何かしらどこかしらで経験した事象があるのではなかろうか。それを狙って見事に笑いに換えてくれる。

 フランス映画でユーモア溢れる作品として描かれる舞台を、日本に移してみると見事なまでにコメディになるという・・・ そんな作品に感じた。  

 しかしこれだから良いんだ。離婚問題における最後の件。言葉に出さなきゃだめだという言葉を真摯(というか渋々というか)に受け止め、不器用なりに 
「~~・・・さんきゅー!」 
と。さすがだったね。橋爪功が堪らない。これは日本でしか撮れない気がする。日本人にしかわからないかもしれない。涙が出たね。

 フランス映画だとね、ものすごく綺麗にまとめちゃうのよね。それがまた何とも素敵ではあるのだけれどね・・・ 参照映画として上に挙げたのでね、観比べてみてほしくある。 


〇最後に 
 予告編で寝てしまった。やってくれるぜ。あの劇場には二度と行かない。いや、行かざるを得なくなってしまったわけだが・・・ ではでは・・・

2016年3月24日木曜日

僕だけがいない街(2016)

~無限ループ~

〇はじめに
 18年というタイムスリップに違和感をもたらさない石田ゆり子はさすがだ。キャスティングに拍手。こういうセンスは大好き。

 それよりも驚いたのが子役の2人ね。特には雛月加代を演じた鈴木梨央。いや~すばらしかった。ほんとに、マジで、ほんまに。どこか大橋のぞみに似てるね。「リトルプリンス 星の王子様と私」の吹替えやった子か~。これから注目ですわ。これまでも追ってみるか。
 ・・・あ~ジャイ子の娘もかぁ~。これはイラついたな~笑



〇想起する作品
 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズ
 「オーロラの彼方へ」(2000)
 「バタフライ・エフェクト」(2004)
 「ゾディアック」(2006)
 「NEXT」(2007)
 「バタフライ・エフェクト3/最後の選択」(2009)
  ・・・ミステリー・サスペンス部門としてはこれが一番近い。
 「ミッション:8ミニッツ」(2011)
 「江ノ島プリズム」(2013)
 「オッド・トーマス 死神と奇妙な救世主」(2013)
 「プリズナーズ」(2013)
 「オール・ユー・ニード・イズ・キル」(2014)
 「白い沈黙」(2014) 

 「さっきよりもいい人」 世にも奇妙な物語にて鑑賞
 「デイブレイク~奪われた明日」

 「はたらく魔王さま!」
 「名探偵コナン」
 「もやしもん」
 

〇こんな話
 オシリスの天空竜、無限の手札、生還の宝札、ディフェンド・スライム・・・・



〇騙される心理
 後出しじゃんけんと言われればそれまでだが、犯人の描き方がうまかったので、私はこうして犯人に辿りついたという自慢とともに演出に関して少し言及したい。

 母親の死を防ぐ、という代償が最後の件なわけだが、これにはじまりところどころに散りばめられた要素の見せ方が何ともうまい。あからさまな部分もあるが。いや、あからさまな部分が圧倒的に多いかもしれない。だがしかし、邦画におけるミステリー・サスペンス分野ではトップクラスだろう。

 一番は子どもから見た先生(教師)という存在だろう。何かあればすぐに「先生に言うからね」という切り札を使ったことがなかっただろうかと。それほどまでに頼りになる存在。簡単に言えば子どもにとっての1つの答えなのだ。答えを持っている者。相談と言う必然性をうまく盛り込んだ。

 ここでほぼ確実に情報が先生を介することに気付くんだ。そこに主人公が過去を変えようとしても、結果的に変えられないという情報を突き付けられ我々はどのような思考に陥れば良いのか。犯人像を見出だせばいいのか。

 一番に情報を得られる者、得ている者を考えるんだ。そうすると・・・
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 ミステリー・サスペンス作品が好きな方なら、児相に関する情報が先生の口からのみ発せられたものだと最初のシーンで気付いてほしい。

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 さらにうまかったのは、母親が息子の考えていることを察しているだろうほのめかしとでも言おうか。これは石田ゆり子の賜物なのだが。息子を尾けていたとする場面だったり、加代を送る場面でひたすらに念を押す姿だったり、息子が何かしらを企んでいることに気付いていないはずが無いことを、事前にそうだろうと想起するように観せている。

 退院祝いだかで片桐君を誘うか~ら~の~、かのじょ~??? ってな冷やかし 向こうは満更でもないよぉ〜 母親だからわかる匂いとでもいうのか。

 ま~これがね~、マイナスの方向にも働いてるんだけどね。彼女には実は何の秘密も無い。

 これを観せておいての教壇から子どもたちの顔を伺う先生を観せる。彼らの陰りに気付かないはずがない。2人の表情もしっかりと映し出している。ここでおそらくほとんどの人が犯人を確信することだろう。お見事。


 気付く人は最初のメガネというイメージを残しておくと、1人しかいないのよね。


 原作を読んでいないので何とも言えないが・・・

 ここからこの作品をさらにおもしろく観せるとするならば。おそらく過去を変えたことによって未来にもたらされる変化の証として、過去からのアイテムが存在し(今作で言えば青い手袋)、これに身を包まれていく主人公ということで、ヒーローというところにつなげようとするのではないか。このアイテムこそが彼が、彼の手で助け出した者たちという・・・、彼の力であるという・・・、今作のラストで君のためだ(君たちのためだ)と繋げたように。

 これを踏まえて最後にシャッターを切ったのも、カメラに写ったものを捉えるという意味で、全編を通して手で掴むだとか何とか言っていたヒーローの件と掛かってたりしてまして、この辺の使い方は「エヴェレスト 神々の山嶺」より格段にうまかった。


 あとはリバイバルという能力の条件か。特には範囲設定。最初にリバイバルという現象を説明するための小規模のもの。これはどの程度の範囲で行われるものなのか。時間的なもの(前後する時間)。そして大きくはその現象が効く場所的な範囲である。目の届くところなのか(視野)、時間的に足で届くところなのかという・・・
 これが犯人を追う場面と掛かってくるのかと思いきやそうでもなかったので、原作では何かしら言及があるのだろうか・・・


 自らが違和感を探し出し対処するというものに、では他者が阻止したら・・・というところをもっと深めていってもいい。

 あとは能力の遺伝や敵対する人間のリバイバル・・・ 母親も能力者なのかと思った・・・ そのための意味深な表情や察しがあったりなかったり・・・ ここまで行くともうSFの分野にガッツリ突っ込むからこれは無しかだったのかな。 

 最近流行りの共犯という路線にしても良かった。犯人が複数いる。子どもたちの行動でそれの示唆は十分できていたわけでして。囮とするよりも共犯関係の方が、共犯者の存在があったほうが絶対おもしろかったと思うけどな。勝手に補完し、感動したのよね。ミスリードだったか~って。そしたら見事に先生だけ犯人(´・ω・`)




〇動機
 ラストがどうしても気になる。

 犯人の動機としては「解放」というものだったのだが・・・

 「男性教師=小児性愛者」ってな偏見というか~、まぁ~ほぼほぼ事実なわけだが・・・  さきほどの先生という存在を位置付けてのこれは、なかなかに妙だと思う。

 犯人の心理としてはおそらく支配欲というものがあって、ここをもっと何かしら掘り下げても良かったのではないかと思ってしまう。教師になれば誰からも「先生」と呼ばれるわけで、少なからず慕われる。現在においても市議だっけ?で先生と呼ばれていたではないか。この辺の犯罪心理に関する点がジャポンは弱いのよね・・・

 これを踏まえ先ほどの共犯関係とすればもっと深まるのよね・・・


〇余談
 せっかくのヒロインをいじるところが無かったのでここで少し・・・

 いや~可愛かったひたすらに。あいりで良いよ~♡ ここツボね、うん。

 チョキチョキチョキて。薄い膜が何だって?? かすみちゃんにもまだあるんですかないんですかどうなんですか。すみませんすみませんすみませんorz

 



〇最後に
 ミステリー・サスペンス分野としての評価をしたので、最後にドラマ部分に関して・・・

 俺一人いなくなったって・・・ という自分を過小評価している最初の件よ。ここがおそらく作品として本来掛かってくるところなのでしょうよ。そこから過去へ戻りーの、虐待だったり、誘拐事件だったりという問題を絡めて人と繋がっていき・・・ 

 小学生時の同級生に「お前変わったな」と言われる。そしてあいりちゃんの彼を信じている、いや信じたいという件よ。ここなんでしょ、最重要ポイント。彼という存在を見ている人物がいるという演出・・・、物足りなかったんだよな。ここら辺をな~、もっとくどくどやらんといけんのよね。そうするとね、漫画の件がまた活きてくるよのね。

 尺が足りんかったか。ドラマじゃ受けないだろうし、そもそも繋げられる人がいない気がする。残念だ。 

 いずれアニメや原作を読むことにする。多分、たぶん・・・

 ではでは・・・




2016年3月23日水曜日

ヘイトフル・エイト(2015)

字幕翻訳:松浦美奈


~ピント~


〇はじめに
 密室ミステリーとの謳い文句により鑑賞。しかしタラちゃんはどうも合わない・・・。タラちゃん臭の薄いとされる「ジャンゴ 繋がれざる者」が唯一楽しめた作品だ。

 「パルプ・フィクション」も普通に観れたなそういえば。

 
〇想起する作品
 推理小説とか推理漫画とかでよくありますねこういうの。




〇こんな話
 探偵Kは言う

 「これは、密室殺人だ!!」


〇ピント
 画面の中で誰かしらが必ず動いている。ピントの合わない部分でも何かしらのやりとりが為されている。これがどうも気になったんだ。いや敢えて気にさせるように見せていたのだろうと解釈する。それが後々の謎解きとして見せる部分と掛かっていたのだろう。勝手にうまいなと感心した。この役者陣だからこそできるものなのかもしれない。

 同時刻に複数の事が起こっていると。その世界は繋がっていると。これにて横幅を見せる。コーヒーの件がまず慣らしだったのか。そして時間を前後してといった具合に奥行きにもつなげはじめる。謎解きの観せ方としては秀逸だったと思う。

 しかしどうも謎解きに至るまでのひたすらに会話に次ぐ会話がダルい。ここが良さなのはわかる。謎解きにちょくちょく関連してくるであろうことも理解していた。それぞれの登場人物をひたすらに掘り下げていくことが、謎解きの観せ方として、横幅や奥行きを観せていく上で重要となることも。タラちゃんだからこそできるものなのだろうよ・・・

 しかし目を開けていられなかった・・・


〇最後に
 DVDが出てら体調を整えて鑑賞することにする。

 ではでは・・・

2016年3月20日日曜日

ゾンビスクール!(2014)

字幕翻訳:種市譲二


~食の安全~


〇はじめに
 やり尽くされているであろうネタを、学校のしかも教師という職業に準えてうまく観せていたように思う。

 アナログ思考が良いんだとか言って、化粧をし、携帯をいじり、教師に悪態をついていた生徒たちが、ゾンビになって学校中を走りまわる様は笑えた。


〇想起する作品
 「ザ・フィースト」(2005)
 「コンテイジョン」(2011)
 「デタッチメント 優しい無関心」(2011)
 

 「キングオブコメディの風紀委員のやつ」


〇こんな話
 白熱! ゾンビ教室!!



〇コメディ
 とりあえず全体的にうるさい。ホラーとコメディのバランスをとるためであろうが。

 大音量で残虐な描写を、子どもゾンビの様を観せつける。その合間に繰り広げられる教師側の何とも子供じみたやりとり。ひたすらに汚い言葉を吐き、汚いことをさせたりする。それほどのストレスということか。そしてどこか冷静な様が笑えてくる。そんな場合や無い!!

 悠長に自販機に1ドル札入れてるんじゃないよww このネタは使い古されてるよね。

 保健の先生が堪らなくツボだ。キングオブコメディの今野を想起する。風紀委員のネタとかね。 会話入門を片手に・・・ww とりあえず言動はちゃめちゃ。


〇食の安全
 最初のチキンナゲットの製造工程を観てゾッとした。普段製造工程なんて気にせず食べ物口にしているわな。それほどの信用・信頼を築いている社会と見ていいのだろう。日本の価値観だが。

 特にミンチ系の食べ物なんて何が混ざってるかわからない。少しくらい変なものが混ざってても・・・。サバとさんま・・・ サイコロステーキなんて焼いてたらどんどん小さくなりますは・・・

 チキンの首ちょんぱもな~。ウジが湧いてるわ、ハエがたかってるわ。そんな環境下でチキンナゲットが作られていく。是非ファーストフード店で上映を。

 カップめんに虫が混入した事件が一世を風靡したなそういえば。それをはじめとし、食品の異物混入問題がフィーバーした。

 どこまで信用していいのかなんてのを探り出したらキリがありませんからね。そこをうまく解消するために、ここまでは大丈夫だろうという線引きをして我々は生活をしているわけでして。いつでもどこでも不安や恐怖に駆られているわけにはいきませんから。気にしだしたら何にも食べられなくなりますよ。何にもできなくなります。

 知らず知らずのうちに、無意識にこの思考が出来上がっているわけでして・・・ これがそもそもの問題なわけなのだが・・・

 賞味期限・消費期限が切れていようが自分が食べる分には問題は無い。自己責任。ただそれを商品化する、商売をするってなところが問題なわけで・・・ その状態では古くなろうとも、加工すればまた新しいものとして売り出せたりも・・・ そのまま売って開き直ってる方がおりましたね。



 そんなに心配ならと、究極自給自足をすれば良い。という結論に至ったとしましょう。では水はどこから引きますか。土は、肥料は・・・ 毎日の田畑の手入れはどこまでできますか。盗まれない可能性は無いですか。人間だけではありません。野生の動物への対処は。100%全てに目を光らせられますか・・・ 日々の労力、維持費等々・・・  ってな具合に、どこまでもどこまでも心配の種というのは尽きないわけです。

 これらを解消しようと頑張った結果、今の社会が築かれているわけです。ただその過程・経緯を忘れつつあるというだけ。

〇余談
 ところどころネタをぶっ込んできているのだろうけどわからない・・・、拾いきれない・・・

 「スピード2」はおもしろかった・・・

 蛙と毛虫の件は何だったん??


 教師という職業の位置づけにはじまり、女性の社会的地位? 同性愛者、闘鶏と鳥インフルエンザ等々のネタも満載なわけか。


〇最後に
 チキンナゲットの最初のシーン観て腹下したのよね。子どもたちの感染過程を大分見逃してしまった・・・ 気持ち悪くなる準備をしてね、鑑賞してください。

 ではでは・・・

2016年3月17日木曜日

エヴェレスト 神々の山嶺(2016)

~カメラ~

〇はじめに
 見どころは、さすが阿部寛と言ったところか。



〇想起する作品
 「クリフハンガー」(1993)
 「バーティカル・リミット」(2000)
 「デイ・アフター・トゥモロー」(2004)
 「エベレスト」(2015)
 
 「MOONLIGHT MILE」
 「孤高の人

〇こんな話
 頂上に立つ。

〇カメラ
 羽生という男。

 彼という人物像を前半部分で、他者の証言によりひたすらに形成する意図はわかる。後に直接出会うこととなる、実際の彼との比較させるためだ。この前半部分の見せ方はうまかった。しかし比較させるべき後半部分が何とも浅かったように思う。

 元パートナー、クライマーとして陰と陽の関係だった者、そして事故死した男の妹。その他もろもろ(いたかな?)が羽生という人物を語る。冷酷な人間か、自分本位な人間か、どのように羽生という人間が映ったことだろうか。

 ロープを切ったか否かというところが1つポイントとなるわけだが・・・

 山岳会だかの連中がパートナーが宙づりになったらどうするのかという話し合いをしている中、羽生は独り「切る」と断言する。これをどう判断するかなんだ。ここに彼の冷酷さを垣間見るのか、それとも・・・

 問題は、「切らない」ではなく、「切れない」ということなんだ。切る切らないを議論している連中がいる中で、敢えて彼は「切る」と断言するのである。これこそ彼が常に何かを覚悟している証ととれるではないか。ひたすらに自分に言い聞かせていることがあるのではないかと。

 その状況になった時にどうするのかという選択肢を考えるのではない。その状況に陥った時にどのような行動をとるのかと覚悟を決めておくのである。しかしこれこそが彼の迷いでもあるのだ。この描き方はうまかったと思う。


 羽生という人物像をひたすらに観せ、揺らぎも示したのに、後々の登山における直接の彼らのやり取りの多さに少し疑問を抱く。このあたりは多少我々に判断させても良かった気がする。主に台詞での。深町の心の中での声もだ。彼らの一歩一歩の歩みを映し出す割にはその解釈が台詞に、彼らによってもたらされるものに頼ってしまっている。

 深町に関しても少し気になったことがある。山岳チームの2人が滑落したにも関わらずシャッターを切り続けるほどの人物。彼が編集社に羽生の生存を知らせるわけだが、彼はなぜ納得させる、信用させるべき鍵となる、羽生の生存の証拠となる、彼の武器である写真を撮らなかったのかと。ここで抜け目なさを示せば、彼の実力提示は一発じゃないか。シャッターチャンスは常に逃さないと。序盤で深町という人間に疑問が湧いてしまったんだ。後の羽生を心配しカメラをぶん投げるシーンが活きない。マロリーとアーヴィンが登頂したのか否かという証拠とも絡めてここはしっかり描いた方が良かったと思うが・・・。




 マロリーとアーヴィンがエヴェレストに登頂したのか否か。これの鍵となるのがカメラになるわけだが・・・ カメラとは何だったのか・・・

 何かを成し遂げるということ。それは誰が証明するのか。自分という存在がまず第一。これだけで本来十分な訳だが・・・ それを確かなものとするのが他者の存在である。それを成し遂げたという証拠を承認する存在。これにより個人は自らの功績が周知されることを欲するのである。それが自らの大きさに繋がるからである。正確には自らが成し遂げたという実感が他者によってしかもたらされなくなっている、とするか。この辺りが「なぜ山に登るのか」ってなところとの兼ね合いでもあるわけで。

 1つにカメラという存在があった。公にされている初登頂は別の人物。しかしカメラに残されたフィルムによってはそれが覆されることとなる。

 そして羽生という存在と相対する人物において示されたスポンサーという存在。活動を評価し援助する。

 そして羽生の彼女(尾野真千子)。彼を愛しうんたらかんたら。家族という形態も見せたし、兄妹という関係も・・・

 前半の証言ベースもそれだ。羽生という男の評価。

 最初のキーとなるマロリーのカメラからはじまり、おそらくここら辺がなんやかんや全体に掛かっているわけだが、この作品は特によくわからない。


 最終的なところで結局羽生は登頂したのか否か。


 これがまた我々がこの作品に何を見るのかという評価なわけだが・・・。

 よ~わからん。総じて力不足。


 羽生と深町の関係をマロリーとアーヴィンとの関係に照らし合わせているのだろうよ。2人とも遭難したのに対し、深町は羽生と同じ道を辿り、羽生が辿れなかった道を辿るってな感じ・・・ それがカメラという存在とも関連してましてね・・・


 先ほど少し書いた、迷いや決意を台詞として描いてしまっているというのが、判断基準をぐちゃぐちゃにしている要因でもあるのかもしれない。それぞれの役者がうまいが故にそれに拍車がかかっている。・・・とまとめておこう。




〇最後に
 尾野真千子が出演してなかったら観なかった。

 ではでは・・・





悪女 AKUJO(2017)

~アクションは爽快~ 〇はじめに  韓国ではこの方はイケメンの部類なの? 〇想起する作品  「ニキータ」  「アンダーワールド」(2003)  「KITE」(2014)  「ハードコア」(2016)  「レッド・スパロー」(2018)...