〇はじめに
アナは雪の女王ではございません。
個人的に字幕推奨映画。アナの楽観的、おちゃらけ具合、世間知らず(要は馬鹿)だけど芯が通っている。表裏が無いが故に、咄嗟に悪態をつく。雰囲気に流されるなどなど。総じて無知が故の純粋さ、詰まる所の現代語で言う「うざさ」ですかね(うざかわいい?)。そういった性格は日本人には出せない気がする。アメリカンコメディに出てくる雰囲気なんですよ。「フルハウス」を思い出します。日本でも一応浸透してはいるんだろうけど、どうも何か違う気がするんですよね。
歌の収録の関係上? DVDでは映像再生中に音声切り替えができません。 切り替える際はメニューに戻ってください。
(注、私は映画に対して字幕派、吹替派など一切偏見はございません)
〇こんな話
エルサ、アナを傷つける
アナ、エルサの能力の記憶を消されるとともに関係途絶
~時が経過~
エルサ、戴冠式のためアナと再会且つ能力がバレ逃亡・・・「レリゴ~」
アナ、エルサを追う
~なんやかんや~
アナとエルサ、真実の愛に目覚める
エルサ、なぜか国民の信頼回復
→愛が氷を溶かす、国民のエルサに対する氷の心も溶かします
アナ、もうひとつの愛にもご執心
めでたしめでたし
・・・終わり
〇真実の愛
少しはひねってるのかな。一目惚れ、運命、王子(権力者)との繋がり、要は勝ち組ロードを歩むことになる茶番劇に対しての皮肉。まぁ最初からアナは権力者組に属しているわけで、ここでどっかの王子とくっついったって物語上おもしろくも何ともない(今の時代誰が観たがるんですか? 金持ち権力者美女とイケメンの恋物語など)。貧乏男と真実の愛を築くんだろうなというのは容易に想像がつく(既定路線)。しかし氷を溶かすとされる真実の愛に関してはそうではなかった。が故にしっくりこないものがある。まぁ、姉妹愛(家族愛)の方に重点を置いているという事実は、同性愛という方にも目を向けさせたかったのかと想像してみる。愛にはいろんな形があります、はい。
〇余談
真実の愛に目覚めると、門は二度と閉ざされることは無いのだとか。
吹替えと字幕と両方で観たが、エンディングを日本独自のものにする必要があったのだろうか(字幕で観ても同じ状況に陥るわけであるが、そこは・・・)。吹替えで観せるのであれば、松たか子の「ありのままで」を聴かされているわけで、また日本語で「ありのままで」を聴く意味があるのだろうかと。
エルサの感情として「ありのままで」を聴くのと、「ありのままで」という歌として聴くのとで印象の違いを感じてほしかったのだろうか。しかし鑑賞者からしたらこの映画(の内容)にそんなものは求めていないのでは・・・。映画の楽しみ方は人それぞれであるのであまり言及はしたくはないのだが、評判を聞きつけて(流行に乗ろうとして)映画を見に来る人たちにしたら、エンドロールなどどうでもいいんですよ。皆席を立ち帰路につきます。DVDだってすぐ停止しますし。歌っている人は違えど、同じ歌を聴かせる行為はそれを助長するだけではないのか。そんな人たちを映画に浸らせる、余韻を味あわせるのであれば、印象の違いを決定づけるインパクトが必要なのでないだろうか。それを一番に示せるのが言語の違いだ。つまり、大衆受けするように映画の内容として単純明快に且つ性善説を全面におっぴろげて作っているのだから、最後は「ありのままで」ではなく「レット・イット・ゴー」を聴かせてもよかったのではないだろうかと。
よくよく考えてみると二回「ありのままで」を聴かせることで鑑賞者にしてみればフレーズは残りやすいか。記憶にフレーズを刻み込ませるのであれば(宣伝効果といった点に焦点を当てるのであれば)、商売としてはこっちの方がうまいと言えるか。う~む、難しいな。個人的には松たか子の「ありのままで」も十分にすばらしいとは思うのだが、「レット・イット・ゴー」で(も)聴いてほしいな。DVDやBDだと操作が面倒くさいけど・・・。
0 件のコメント:
コメントを投稿