2014年12月26日金曜日

マップ・トゥ・ザ・スターズ(2014)

字幕翻訳:風間綾平 
~個~ 

〇はじめに 
 ミア・ワシコウスカ・・・好きです。 

〇想起する作品
「ブラック・スワン」(2010)

〇こんな話
 ハリウッドの闇がどうたらこうたら・・・。

〇個 
 人は他者との比較の中で生きている。そして自分と他者とでの優劣にこだわる。集団の中に属する個という存在。自分は今どこに存在しているのか、立場や立ち位置、序列をひたすらに気にする。それが顕著に表れるのが人気や名声といったものが謳歌する、力を持つハリウッドという世界であろう。才能、努力、運、コネ、金、様々なものを介し、人気を獲得できれば老若男女誰でも富や名声を得ることができる。なんと夢や希望で満ち溢れた世界か。故に起きてしまう確執やしがらみ。それらを排除しようと世間一般とはかけ離れた常識やルールがまかり通る、適応されてしまう世界でもある。そんな奇妙な世界をこの作品は映し出す。 

 集団の中に属する個という存在を気にしすぎるがあまり、プライドがお高くとまる。そしてそれはストレスやプレッシャーとなって顔を出す。自分という個が他者にどれだけの影響を与えているのかが気になって仕方が無い。そしてそれは正の方にだけ働かない。自分の所為で誰かしらの恨みをかってしまったのでは、死に追いやったのではという罪の意識といった、負の感情にも向けられる。故に壊れだす精神。彼らは癒しや開放を求め、セラピーにはじまり、酒、ドラッグ、女、男に奔る。



 最後何ともスッキリしなかった方へ向けて、少しメッセージというか私的見解を述べさせていただく。我々は何かしらの作品を鑑賞した時に、何を一番に気にするのかというのを少し考えていほしい。作品全体の流れではないだろうか。個が所属する集団や社会がどこへ向かっていくのかという、兆しや方向性をエンディングに求めてはいないだろうか。主人公が、登場人物が社会に与えた影響がどれほどのものなのかという情報が欲しくはならないだろうか。そしてそれを自分に投影して、ひたすらにマスターベートする。

 自分という世界に縛られる、縛られざるを得ない人間たちが、普段は絶対に見えてこないものを見たがるという欲求からくるものだ。顕著な例を挙げれば、自己犠牲というドラマに感動を覚えることだろう。個の犠牲(死)が誰かしらを守る、守ったという人間ドラマ。しかしこれは客観的な視点による解釈でしかない。いや、死した者以外で語られると言った方が良いか。死した者には人間ドラマでも何でもないのである。死した者が自分だったらどうか。その前に自己犠牲精神を持ち、人間ドラマになるからと自らの命を投げ出せるか。お前の死が世界を救うと言われ、死ねるか。ってな問題になってくる。 この作品も同じで、彼らの世界はこれで終了及び完結している。社会どうのこうのなんてのはもう関係ない。んなもん知るかと。
・・・社会に何かしらの影響を与えたかもしれない。それに法に触れることをやっているわけで、それがどのように取り上げられ、もてあそばれるのかの度合いはわからないが、ある程度の方向性は示している。それがせめてもの救済措置か。

〇コネクション 
 あなたは、 
・豪華客船に乗りますか、泥船に乗りますか 
・豪華客船タイタニックに乗りますか、泥船に乗りますか
・氷山にぶつかった豪華客船タイタニックに乗りますか、泥船に乗りますか
・氷山にぶつかり真っ二つになった豪華客船タイタニックに乗りますか、泥船に乗りますか
そんな選択を常にしていないだろうか。どこの派閥に、誰と関係を深めていけばいいのか、という見極めをしなければならない時がないだろうか、なかっただろうか。選択肢は他にもあっただろうし、もっと複雑であったかもしれない。 

 運転手(俳優兼脚本家)の移り行く心が何とも象徴的で、付き合っている彼女がいたにも関わらず、有名女優の秘書になったと知れれば、その女性と付き合うし、その有名女優が誘ってくれば例えおばさんであろうともヤると。彼は田舎からハリウッドに出てきて、トントンと有名女優の秘書にまで辿りつくアガサの境遇を何か羨んでいるような節もあり、自分もチャンスを掴みたい、認められたいという意志があった。どこの派閥、どんなコネを持つかが業界で生きていく必須条件で、成功するかどうかはまた別のお話と。まずは脚光を浴びている連中と同じ土俵に立つことから始めなければならない。チャンスなど誰にでも訪れるわけではない。チャンスが与えられる場に行きつかねば。彼の行動はただそれがためにやったもの。彼だけでなく有名俳優、監督、脚本家、この作品に登場する人物全員がやっている。そんなことを思うと、人と人との関係性など何たるうっすいものかと思えてくる。劇中意外なところで(意図していたものではあるが)関係していたと、人物相関図を考えた場合に驚くのではあるが、何ら深いものはない。それぞれの欲望を満たすがために築いただけである。己をどこに、どれだけ捧げるかをはかるだけで、いつでも拾える、捨てされる関係性。そんなものにいったい何の意味があるのだろうか。いいえ、無ければ生きていけせん。

 それを踏まえての姉弟を観せるのよね・・・


〇最後に
 いや~、最初にも書いたんですが、ミア・ワシコウスカがもう何ともかわいくてですね。しぐさというか表情というか・・・まぁ堪らないわけです。「嗤う分身」という映画でもかわいかったのでね、そちらでもまた書かせていただくと思います。ではでは・・・。

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