2014年12月23日火曜日

ベイ・マックス(2014)



~正義の危うさ~ 


〇はじめに 
 最近流行りの正義と悪の葛藤や混沌というものを、うまくディズニー仕様に昇華している。 物語の正義と悪との戦いにおいて、ベイ・マックスが良い導き手及び緩衝役となっている。 

〇想起する作品 
「リアル・スティール」(2011) 
「エリアの騎士」 漫画  (2006~)

〇こんな話
 鑑賞者の心をケアするお話。
・・・になればいいと思います。なることを願っています。私はなりました(多分)。

〇正義の危うさ
 ベイ・マックスというケアロボットという前提。人を傷つけることが目的ではない。人を守る、癒すという目的のもと作られたロボット。単純で、バカで、素直で、まっすぐでという何とも正義の象徴らしい描かれ方をする。尚且つトロいと。そんな愛らしくも、悪に対して制限ばかりの大きな塊をどう料理していくのか。

 時折ヒロの言動に対して疑問を呈する場面がとても印象的で、 
「〇〇すれば、元気になりますか? 心が晴れますか?」だっけ? 
という改めて考えさせるような台詞を吐く。これは対象が元気になる、心が晴れるのであれば、如何様なことでもしますよという、下手すれば正義のための力が悪の方向に奔る危険性も孕んでいるわけで。そこを一旦落ち着ける、正義について考えさせる、という意味でベイ・マックスという設定をうまく盛り込んだなと。存在自体が緩いのに、その場その場での言動がひたすらにマイペースでして、それもまたいいアクセントになっている。マイクロボットの行く先を探すところなんて、周りまったく見えてませんからね、迷惑極まりない。あとカーチェイスのシーンで、親切にもシートベルトは締めましょうて(笑)
 そして正義の名の下の行動のはずが、対象への思いが憎しみ・復讐に変わる部分、つまり悪には悪をという構図を描いたのはさすがで、そこはマーベルやるなと思ったわけで。
 さらに最後悪に対してもディズニーならではのお決まりの、悪に奔った理由を関連付けて、正義と悪は紙一重であることも演出する。
 さらにさらに同じ道(大事な者を失う)をたどったはずのヒロと悪者とで、何が違ったのかというのも演出するからまた。まぁつまりは仲間の存在です。悲しみを分かち合い、癒してくれる存在。そして悪に奔るのを引きとめてくれる存在。それが悪に奔った者にはいなかった。その違いが両者の進路を決定的に分け隔てた。
・・・という数々のものを見事に演出し、マーベルとディズニーが合わさってこその作品に仕上がっていると思った次第である。


〇科学技術 
 科学技術に関する問題もさりげなく取り入れられている。特許(や著作権)といったところだ。誰の技術で、何の目的で使用されるのか。自己満足なのか、必要としている者のためなのか、お金のためなのか。最近では企業と個人が特許に関して揉めたり、エスティーエーピー事件もあった。守られるべきは何なのか。人(知識)なのか、技術(発明)なのか、利益なのか。

 ヒロがマイクロボットの万能性を示すプレゼンの後に、肝心な時に大事な人を守れない、守る術を持たないという演出もヒーローものならではで、結局発明なんか意味が無いじゃないかと(見事この発明が人の命を守っていたことが終盤わかるのだが・・・)。 
 科学の発展がいったい世の中の何に役立つのかというのは、専門家たちが一般の方々に省略しガチなメッセージであろう。画期的な発明・発見などと世間で騒がれるものが多々ある。で、それは何の役に立つの?と。これが実現可能になれば〇〇に役立つ。はぁ、そうですかと。じゃあいったいどうつながるの?。・・・とひたすらに我々は無知である。しかしそんなものたちを我々は、何も知らぬまま・気付かぬまま、使用している・使用されている場合が多々ある。恐ろしいことである。 

 まぁ大概が自己満足による研究だろう、というのは私の偏見。そして実らない研究、技術ばかりだ。資金が無ければ研究できないし、個人でやるには限界がある。そんな中、利益優先や権利の奪い合い、捏造に奔るのも致し方ないと言えば致し方ない。日常茶飯事なのだろう。悲しきかな。
・・・この映画で勇気をもらえれば良いと思うの(適当)。  

〇優しさ
 ~優しさで世界は救えるか?~
というのがテーマというか、大々的に宣伝されている文句でして。これをどのように理解しておけばいいのかと。
 そもそも優しさとは何なのか。甘やかしなのか、厳しさなのか・・・。教授も娘に対する優しさがあったからこそ、それを向ける対象がいなくなり、憎しみに駆られ悪に奔ってしまったわけで。変わらない娘への優しさは、そのまま娘を奪い去った者に対しては与えられないもので。となると結局優しさというのは限られた範囲に与えられるものということになり、何十億という様々な意見を持つ自分以外の存在に対して、全て同等に与えられるものでは決してないわけで。与えられる優しさの範囲や量、質というのが人それぞれ限られるために、我々人類に確執やら争いごとなどを生んでしまっていることになる・・・。
 まぁ、優しさにより世界は救われもするし、滅ぼしもしてしまう可能性があると。その辺の理解でいいのではないでしょうか。それが正義と悪の対比によりわかったでしょと。

〇余談 
 マイクロボットが悪用されているのに対してとる選択肢が、暴力という正義が悪に対して最終的に使用する正攻法ではなくて、マイクロボットに爆発物やら、バグを組み込む思考にはならんのかと。ヒロの開発した物をベースに作られており、トランスミッターだかもヒロの作品だろと。唯一残っていたマイクロボットも悪用されていた物に共鳴して取り込まれたではないですか。それをこちらが利用しない手はないと思うのだが・・・。まぁまぁそこはディズニーですから。それに相手が相手だったからな。

 予告がベイ・マックスの愛らしさを前面に押し出している分、実際に観た際のアクション部分も物足りなく感じないし、この予告は功を奏しているのではなかろうか。 
・・・ってか初めからベイ・マックスじゃないのかよと最初ツッコミを入れたくなったわ。はよ、ベイ・マックス観せろや~。 

〇最後に 
 チューイングガムの子、好きです。いざって時に頼りになる優しい存在。運転は荒いんですけどね。最後一人だけ座っていた(座るために引いていた)椅子を元に戻すんですよ。私の見立に狂いはなかった。ガムも吐き捨てたりしませんしね。 ではでは。

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