2014年12月27日土曜日

ゴーン・ガール(2014) Part1

字幕翻訳:松浦美奈

~信用と偏見~ 
〇はじめに 
 カップル、夫婦など男女で一緒に観ることをオススメします。是非とも、劇場に入る前に見た番いの顔をですね、劇場を出た後とで比較して、どのように見えたかを誰か詳細に教えていただきたいものです。 わ、私は、ひ、独りで観ましたけどね・・・。 

 「インターステラー」と真逆な映画ですかね。愛というテーマでここまでも違うものかと。家族愛と男女愛。愛、皮肉にしか聞こえません。 是非とも「インターステラー」も。

 長くなるので、作品をサスペンス部門とそれ以降という感じで分けて更新させていただく。

〇想起する作品 
「プレッジ」 
「悪の教典」 
「白ゆき姫殺人事件」 

〇こんな話 
 ガールがゴーンするお話。
・・・ゴーンするはおかしいか。

〇騙される心理 
 この作品の予告編はサスペンス部分だけに留められている(もうこれが妙なんですよね)。いったいこの夫婦に何があったのかと。故に妻の失踪事件に関する濃厚なサスペンス映画を期待する方が多くいるかもしれない。しかしこの作品は決してサスペンスに留まる作品ではなく、それ以上に大きいものを示してくる。サスペンス部門が終わったところこそがこの作品のはじまりだ。しかしサスペンス部分にもしっかりと注目していただきたい。  

 妻の失踪事件をメインに話は進んでいく。真相までの描かれ方は、事後から始まる夫(現在)視点と、夫と出会ってから事が起こるまでが綴られた妻の日記(過去)視点だ。この双方の主張で真実を突き詰めていく謎解きはすばらしく、サスペンスとしても十分に通用する。伏線も散りばめられており、宣伝、本編序盤で夫・男性側が加害者であるという仕様で進み、それがあるところから、妻側の狂言ではなかろうかという疑問も湧きあがってくる、といった具合だ。夫婦の関係性がある程度見えたところで失踪事件に関する真相を見抜く人は多いのではなかろうか。しかしある程度いったところで、推理したあなたの想定内(外)であった真相は、あっさりとネタバレされる。そこからがこの作品の真骨頂だ。後々のぐちゃぐちゃ劇に、サスペンス部門がどのように活きてくるのか。 

 失踪事件に関して夫婦の関係を探る中、夫、妻と、それぞれの視点で解き明かされていくことにまず注目する。それぞれに真実があり、両者の真実には矛盾が生じ、どちらかが嘘をついていることになる。そしてそれはいったい、いつ・どこで・どの程度の嘘をついているのかと。さらには事件に関与してくる親族やご近所さん、警察、報道関係者、やじうまが存在する。夫、妻、その他大勢によって作られていく失踪事件をはじめとする真実・真相。そしてその真実と真相が1つではないことを理解しなければならない。当事者である夫婦間(とその周辺人物)、メディアに踊らされる視聴者とでは結末へと辿ってきた道が全く異なる。我々鑑賞者は第三者視点で全てを辿ることになるので、情報の整理が必要であろう。全てが観えるからこそ何とも悶々とした感情で終わるこの作品。悶々とした方々はもうすでにこの映画の雰囲気に囚われている。情報格差により受ける印象の違い、辿りつく真実の違いを肌で感じているのだ。それをいざ言葉で説明しようとすると中々難しいものがあるのだが、この作品はそれを雰囲気として理解させる。 さすがだ。

 この真実を創り出しているのは人間の偏見が大きい。 
「男→女」 「男→男」 「女→女」 「女→男」 
とそれぞれを見る目や価値観というものにはズレがあり、この差によって創り出されてしまう対象のイメージというのを真に受けてしまう。 象徴的なシーンがいくつかある。 
 まずはTV番組内にて行われる女性司会者から男性黒人弁護士への夫に関するインタビュー。これは司会者の「女→男(夫)」の見方、弁護士の「男→男(夫)」の見方が交錯する。妻が失踪した夫をそれぞれどう見るのか。そしてそれぞれ男女の視聴者による男女の見方というのが介入し、真実が偏りだす。年齢、仕事柄という別の要因もあるのだが、性別という根本的なところに、ある対象への意見が偏りをもつことを感じていただきたい。 
 そして最後の妻への聴取で男性多数の中、独り女性刑事として質問をする場面。「女→女(妻)」 「男→女(妻)」という見方が見てとれる。事件への介入の深さというのもあるのだが、血まみれで怯えた(演技をしている)美しい女性を前に、男だとしたら(女だとしたら)どのように見えるのだろうか。どのように感じ、何を思うのだろうか。嘘をついていると判断し、あざとい野郎だと攻撃するのか。擁護し、守ろうとするのか。妻に不利な証拠があろうとも、それを凌駕する偏見や思い込みが存在する。
 日常的にもっと簡潔な例がある。どんなアンケートを行っているかは知らないが、よく雑誌で取り上げられる、女から好かれる男・男から好かれる男・男から好かれる女・女から好かれる女ランキングなるもの。その様相がだいぶ異なることは、周知の事実であろう。つまりはそれだ。
 身近にいないだろうか。男友達の間では気さくで親しみやすいのに、女性には滅法モテない。・・・女性間はどうかわかりませんが。

・信用と偏見 
 男と女による価値観や視点の違いによる偏見。この偏見こそが情報操作、印象操作の根源であることをもう少し紐解いていこう。 

 あなたは情報の見方に対して偏見や差別はないだろうか。少し考えてみてほしい。マスコミの問題が絡んでいるので、今日それが見えやすいTVを題材にしてみよう。 
 情報番組が数ある中、あなたはどの番組にどれほどの信頼を寄せているだろうか。ミヤネ屋なのか、報道ステーションなのか、とくダネなのか。扱っている題材は同じなのに番組によって印象がだいぶ違うことがたまにないだろうか。そしてそれが時とともに変化していく様を身におぼえたことはないだろうか。そしてその番組内においても誰が言っているのかによって信頼度が変わらないだろうか。司会者なのか専門家なのか、ゲストなのか、記者なのかと。 
 他にも何でもいい。情報の速度で比べてみてもどうだろうか。あなたが地震を感じたとする。あなたがあらゆる情報を手に入れられる場合に、あなたは何を先に観るだろうか。TVかネットか、ラジオか。TVやラジオだったらどのチャンネルをまわすのか。ネットはどこか登録してるのか。 

 劇中の様子を少し挙げてみよう。先ほども紹介した番組内のインタビューのシーンである。視聴者1000万人を超える情報番組があった。司会者は女性で、世論の声だとして持論をひたすらに展開し、事件をおもしろおかしく報道する。それに対して専門家である黒人で男の弁護士がインタビューされていた。夫が妻を殺した犯人であり、妻に同情する側で不特定多数1000万人の視聴者が存在する司会者と、夫を擁護するかのような発言をするその分野では多少有名な弁護士。世間はどちらに傾くか一目瞭然であろう。信用や信頼というのは情報の後ろ盾があってこそだ。衣装をきれいに着飾った白人女性とスーツを着た太めの黒人男性。常に番組で目の当たりにする司会者と、ぽっと出の弁護士。視聴者の望む情報を与えるメディアと、事象を的確に批判する(うさんくさい)専門家。この対比をどう捉えるのか。様々なものが絡み合い信用や偏見は生まれている(特には性別っと)。判断の根拠として真実など二の次だ。そこにエイミーはつけこんだ。 

 サスペンス部分で手に入る情報で妻エイミーと夫ダンを少し比較してみよう。手に入る情報によりどのように思考が傾いてしまうのか、感じていただけるとありがたい。 事件当日から現在進行形で展開され、だんだんと明らかになる夫の素情と、夫との出会いから事件までが描かれた過去視点で展開される妻の日記により明らかになる素情。それらを照らし合わせ、我々はどう情報・印象操作されるのか。妻の情報の変化を少し追ってみる。 
1,女性が書いた日記 
2,ライターである女性が書いた日記 
3,夫に不倫されたライターである女性が書いた日記 
4.妊婦で夫に不倫されたライターである女性が書いた日記 
というように変化していくのだが、それぞれで女性に対する信用度が変わってこないだろうか。下線を引いた情報が付加されていくことで、何を強調するかで、女性というところに最終的にかかる信用度が変化する。不思議である。これが偏見である。
「〇〇な女性(男性)は△△の傾向がある」
などという言葉が日常生活において飛び交ってはいないだろうか。
 まだ作品を観ていない方は是非とも、現在進行形で展開され夫の行動により明らかになる真実と、過去に遡りそこから付加されていく妻の情報との比較による、印象の変化を雰囲気でいいので感じながら鑑賞していただきたい。

Part2へ続く・・・はず・・・

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