2014年12月13日土曜日

ボルケーノ(1997)

ボルケーノ[DVD]

~人選眼~ 

〇こんな話
 ロサンゼルスにはOEMという危機管理局が存在し、非常事態にはOEMの局長が指揮を任せられる。これはその局長が主人公で、その主人公がロサンゼルス市民とともに、今までにロサンゼルスで起きたことのない災厄(火山噴火)に立ち向かうお話。

〇演出 
 のどかな日常の中でも(火山噴火までの)事態は進行している。人知れず。そんなはじまり。 
 工事現場の作業員が震源地の場所を賭ける場面がある。そこのトップが(ニコチン)ガムを噛んでいるのだが、賭けが終わることでデスクの下にガムをくっつける。それは一つ目ではなくすでに何個もついている。ここから何回も地震が起きていることがわかる。まぁ、震源地を当てる賭けを行うというのが成立している時点で、最近地震が多いというのが伺えるか。

〇命の選別 
 主人公といっても万能ではない。初めて溶岩が噴出する場面。主人公により命の選別が行われる。溶岩の行く先にある消防車に、一人消防士が取り残されている。それを助けようとはするのだが、事態が重なったこともあり、同時に娘が助けを求めると、消防士を助けることなく娘を救出に向かう。その消防士は結局亡くなってしまう。そしてただ単に事態を説明するだけの者もいる。報道関係者だ。これをどう見るのか。カメラをまわしたり、事態を解説したりしている暇があったら一人でも多くの命を助ければどうか、と思う人もいるだろう。しかし報道する者が死んでしまったら誰がその事実(危険)を伝えるのか。被害を抑えるためにも彼らの行動は必要なのだ。最小限の犠牲が多くの命を救うという見解。救える命と救えない命。そして救うべき命という主観。そんなものが織り交ざりながらこのお話は展開する。

〇緊急時の行動 
 想定外の事態に陥った時に我々はどのような行動をとるべきなのだろうか。地震大国日本。ここ数年で大地震が何度も起きた。いつ・どこで・どれほどの地震が起こるか何もわからない。予知システムを開発できればいいが、今ある技術では絞りきれない。予知している人がいたとしても情報が皆に伝わらない、伝わり切らない。そんな状況の中、我々はどういった意識で暮らしていけばいいのか。一人一人が危機意識を持ちどんな状況でも対応できるように心がけたり、対処できるようになるに越したことは無い。しかし、そんなものは不可能と言っていい。老若男女、人生における様々な経験値、知識の違いによるその場の判断と行動を制御しきれない。
 ではどうすればいいのか。私の考えを勝手に述べさせてもらう。私が提案するのは完全なる他力本願だ。しかし、ある程度の人を見極める能力が求められる事をまず言っておく。詳しく説明していきたい。

 この映画では主人公を活かす、生かすためにご都合主義が多く存在する。このご都合主義をただの突っ込みどころとして片付けたくはない。果たしてご都合主義はただの偶然なのだろうか。必然だったのではないのか。何が言いたいのかというと、そんな災害時には生き残る宿命というか、運を持っている存在が確実にいる、ともとれるのではないだろうかと。この映画の主人公のようにリーダーシップに優れ、集団をまとめ上げ、咄嗟に機転の利く才能を持った者がいる。且つその行動が功を奏し見事に事態を解決してしまう。その両方を兼ね備えた人物を災害時に探すのだ。見舞われている事態に対して生き残る宿命を背負っている主人公的存在を。判断する根拠は何でもいい。顔、表情、背格好、体格、雰囲気(オーラ)、・・・などなど。社会において人と関わる中、自分で傾向を探っていく。こういった顔の人はどのような性格で云々かんぬんと。その経験を非常時に活かすのだ。この人は信頼できる人物に足ると。その過去の独自のデータを基に、ファーストコンタクト、ファーストインプレッションで人を見抜く力を身につけていかねばならない。
 人の本質というのは見抜くのが難しく、非常時になってみないと露呈しないのではないかと。「人は見た目じゃない、中身だ」といったような迷言が存在することも確かだ。苦手なタイプだと思っていたけど、付き合ってみたらあらびっくり。案外良い人やな~い、気が合うわ~、などあることだろう。じゃあそんな人たちについていったらいいじゃないと、見極められるまで。

 お前何様だよ、どんだけ上から目線だよと思われるかもしれないが、人を選別する上でのポイントを言っておくと、単純に好きか嫌いかで分けていただいて結構なのであるが、相当に嫌いなタイプ以外は苦手程度のタイプとし、好きよりのキャパを大きくしておくこと。世界には何十億という人が存在し、日本だけでも一億数千万人がいる。一個人が関わる人なんてほんの一部に過ぎない。そんな世界で会った人物たちなのだから嫌いと一蹴するのではなく、何かの縁と思って気長に付き合ってみてもいいのではないだろうか(でも生理的に無理な人っていますよね~、・・・あ、こいつ嫌いだわ、みたいにすぐセンサーに反応しちゃう人)。見極められるタイプが偏っちゃうんですよ、そうしないと。自分と相性の良いタイプこそが、だけが、その場面場面において事態を解決する能力としてそのまま繋がるわけではないではないですか。人にはそれぞれ向き不向きがあるわけです。それを自分との相性だけでなく、能力的な補完も考えなければならないわけです。
 ざっくり言うと、人材としてはオールラウンダーが求められるのだが、ある能力特化型を集めてそれぞれを補っていくことでも大丈夫ですよと。

 経験だけでは対処できない事態が存在する。そんなときに頼りになるのは才能、ひらめき、アイデア。つまり先天的なものが大きい。いや後天的な経験も必要ではある。経験という尺度による応用を利かせないと出てこないものもあるからな。うん、どっちも必要だな。何かテキトウになってしまった。
 そして忘れてはいけないのはリーダーの指示に見事に応える現場の者たち。自己犠牲精神をみせる者も。自己犠牲を美化しているものの、タイミングや帳尻を合わせるためには犠牲は必要、やむを得ない場合が出てくる。そこであなたは自分の命を差し出すことができますかと。・・・私はできません。ただ主人公的存在についていき、事なかれ主義を貫くことでしょう。いや、サバイバルにすらないらないか。映画みたいな話が始まる前に死んでるキャラだろうな。

 ま、何にせよ生き残った者勝ちです。生き残った者の、生きることに関して起こした行動が正しかったというだけ。それが人道的であろうと、非人道的であろうと。映画ではそんなやつぁ死にますけれども・・・。



〇差別 
 「皆同じだよ」という最後の子供の言葉。火山という災害に立ち向かっている最中にも差別や偏見による行動を優先してしまう者がいる。災害時に言い争っている暇は無い。変なしがらみや確執、偏見なんてもってのほか。ほんの少しの時間でもおしい。間に合うか間に合わないかがギリギリな事態。命より大事なことがあるのか。まずは助かってみないか。 
 メインの人物のところが、トップの人間(白人)が危険な最前線に立ち、安全な場所で事態の統括と仲介、緩衝役を(黒人)がするという構図になっている。引き立たせるのは黒人で、引き立つのは白人という構図ともとれるか。


〇最後に
 今やトミー・リー・ジョーンズは宇宙人のイメージになってしまいましたが、いろいろアクティブな役やってるんですよね。スティーブン・セガールとも戦ったし、ロバート・ダウニー・Jrも追い詰めたし。大好きな役者の一人ですね。あ、映画ではないですが、BOSSの高見盛のCMはすばらしかったですね。ついつい目から汗をかいてしまいました。いったいBOSSはどこへ向かっているのでしょうか。ではでは・・・。

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