2014年12月27日土曜日

ゼロ・グラビティ(2013)

ゼロ・グラビティ[DVD]


~故郷~ 

〇はじめに 
 この作品は安心感と、その安心感をどこに・何に置くのか?というのがテーマ・主軸にあり、それを最後に醸し出す、というか決定的に印象付けるための宇宙空間という演出が見事。 宇宙=自由ではない。宇宙という無限とも言えるような広がりの中の、窮屈・不自由な人間。手が届きそうな(目に見えている)所にありながら何もできないもどかしさ。つまり無限とも言えるような宇宙空間にありながら、人間という最大の束縛が存在する。そんな宇宙と人間の対比があってこそ味わえる安心感。そんな作品。 
 さらには宇宙空間と船内との比較(目に入ってくる情報量の差)。音の強弱・有無。ふと考えさせられるというか猶予が与えられるというか・・・。

・・・でもね、この作品は劇場用というか3D用というか。お家のTV画面で観ますとね、何とも味気ない作品となっております。


〇ジョージ・クルーニーという存在 
 いやらしさを醸し出す顔が見事にコメディ要素を盛り込んでくれ、緊張感を良い具合に緩和してくれる。 
 宇宙遊泳の最高記録に挑みたいという役柄、サンドラ・ブロックの船外作業クローズアップの背景にちょこちょこ映りこんでくる。ぷわぷわと。何やってんだこいつはと。気楽なもんだなと。結果論なのだが、これが無ければ燃料は足りたわけで・・・。後々苦労しなかったわけで・・・。なんという皮肉。
途中サプライズもありますしね・・・。

〇故郷 
 ゼロ・グラビティという邦題に対してであるが、無重力(この映画の映像技術)を意識させようとする意志を感じる。確かにここまでに無重力(というか宇宙)を感じさせる映画は今までには無かった。私は3Dで観ていないにしろ2Dでさえ宇宙という不自由さに見事に浸ることができた。この映画のウリは確かに宇宙空間を体感させるという映像技術にある。しかしこの映画は無重力という体験よりも、我々が今生きている地球という当たり前の環境について考えさせてくれる映画だというのが、この映画を見終えての私の感想である。我々は生きている限りなぜ生きているのかという疑問が付いて回るが、これはなぜ我々が生きていられるのかといったことを考えさせてくれる映画だ。ゼロ・グラビティと聞くと否が応にも無重力を意識してしまい、この映画が単なる映像技術によってのみのものと評価されてしまう気がする。そして単なる無重力体験で終わってしまい、映画としてではなく映像としての評価で終わってしまう。そこが少し残念。 
 我々には地球で生まれ地球で朽ち果てるという現状並びに常識がある。先祖代々それが必然であり、その地球という当たり前の環境に適応・順応し生きてきた。そんな中での非日常0G(すなわち宇宙)での極限下に陥った時に人は何を思い何を感じるのか? 何よりも欲しいものは自分が立っている位置(居場所)を知るということだと思う。自分が今どこに存在しえているのか? それは立場的なもの(人と人との関係性・輪)もあるのかもしれないが、この場合は単純なる立ち位置。自分という存在が確認できる場所であり、自分はここにいるという実感。それは重力によってもたらされる安心感によって確かなものとなる。 
 サンドラ・ブロックの宇宙遊泳(宇宙漂流)を終えてのステーション内での胎児の画、からの最後地球に降り立ってからの何とかの直立(二足歩行?)。そしてGRAVITYドン。繋がっている。最後は自分という存在を実感、そして存在が確立した瞬間だった。地球に降り立ってからの救助隊は描かれない。描いていたらグラビティという原題が台無しだった。我々は重力に縛られつつも、その重力によって生かされている。宇宙(0G)と地球(1G)との比較による我々の故郷とはどこにあるのかという問い。同じ人間にあらず、重力、つまり地球にある。 

〇最後に
 引力によってそれぞれの人間は引き合っているというのもありますしね。どこに故郷があるのかというのは一概には言えないのだが、宇宙と地球とで比べてみたらというと、そりゃ地球でしょと。生まれた星でしょとなるわけで。誤解のありませぬよう。

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