2014年12月21日日曜日

マレフィセント(2014)

マレフィセント[DVD]


~観点~ 

〇はじめに 
 「ごんぎつね」が好きならこの作品好きだと思います。 

 「眠れる森の美女」という話をそもそも知らなかった自分はウィキペディアで大筋を確かめることになった・・・。 

 あとこの作品とは関係ないのですが、アンジーって反日家なんですかね、・・・残念です。 

〇こんな話 
 目下の権力に魅せられて昔の女を手にかけた男が復讐され、復讐するお話。

〇真実の愛 
 この作品、人間の固定観念(ステレオタイプ)をうまく皮肉ってますね。「アナと雪の女王」もそうだったか。愛とは男女間でまず育まれるものだという性交渉ありきの思考。男女間の愛を表現するとすぐにそちらに結びつけようとする。頭がそんな仕様にでもなっているのか現代の人間は、とばかりに(これは私の偏見)。 

〇ディズニー 
 最初にマレフィセントが私の視点でのお話であると言っている。これを軽視してほしくはない。 

 眠れる森の美女を読んでいない、観ていない私が言うのもなんだが、眠れる森の美女として観た、読んだ場合はどうせマレフィセントを(絶対の)悪として人間側を応援していたんでしょと。それを「マレフィセント」という作品でマレフィセント側で描いてみたら、こんな事実がありましたよと真に受け、先ほどの者たちがマレフィセントを応援しだすと。そして今度は人間(昔の男)とは何たる醜いものかと感じる。何か府に墜ちなくはないだろうか。私だけか。

 これ、2作品同時公開とかにすればよかったんですよ。クリント・イーストウッドが硫黄島での戦いを描いたように。そうすればディズニーが抱える罪や問題を暴く人がもっと多かったことだろう。比較するほどの作品か、比較できるように作っていたかどうかはわからないが。正直ディズニー作品の姿勢を私はあまり好まない。作品として好きなものはたくさんある。矛盾と思われるかもしれないが、綺麗ごとが観たい時もあるのですよ。


 で、お前は何が言いたいんだよと思われた方へ少し。 

 我々はある事実に対して、証言として人の話を聞く時、発言権のある者に同情してしまうという傾向がある。その人が話していることが真実であるとすぐに結びつけてしまうのだ(その発言者の元々の信頼が関与する場合が多いのだが・・・)。そしてそこに行動の理由を勝手に見出す。理由の言及には何ら問題は無い。問題は行動が例え悪の方にあろうとも何か原因があるはずだと、理由を求めてしまうことだ。この性善説的思考が私は何とも許せない。それに気付かずその場限りで感動している鑑賞者はもっと許せない。偽善である。まぁそんなことを訴える私は誰よりも事なかれ主義だ。偽善者よりも厄介か。・・・反れた。

 語る者の視点だけであれば如何様にでも事実を変えられるではないですか。自分に非がないように証言するのは当たり前で、そこに疑問を持たずに真に受けてしまうというのは何ともマヌケなもので。加速化する情報社会が故もあるが、最近TVやネットによる事実の改変や捏造をテーマにしている作品が増えており、問題視する声も大きくなっている。この世界観にそういった考えを持ち込むべきでないのかもしれない。しかしそんなご時世だからこそ、短絡的思考故に踊らされる者たち(私を含め)に、ついついイライラしてしまうのである。なぜならその思考はどちらかが正義だ悪だと二元論でしか語る術をもたないからである。そしてその二元論的思考は、対極の存在を批難することで自分の立場を確立する。そうやって自分の存在する側の力を保つのである。何かが正しい、何かが間違っているという二つの考え方しか持てない者たち。そういった思考を創り出しているのは、自覚か無自覚かこういった作品なのである。


〇最後に
 この作品がおもしろかったという方々に、少しでいいので考えていただきたいと思い、ひねくれた書き方をした。ではでは・・・。

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