2014年12月17日水曜日

かぐや姫の物語(2013)

かぐや姫の物語[DVD]


~無機質~ 

〇音楽と構成 
 ラストの月からの迎えがやってくるシーン。 
それまでと打って変わって、ポップな曲を演奏しながら月の者たちがかぐや姫を迎えにやってくる。今までの話の流れからとても異質だったので笑ってしまったぐらいだ。この映画の中で一番に際立っており、物語としては矛盾を感じるような雰囲気に囚われる。それは表向きは心地よく、しかし何も残らない。一瞬これが幸せなのだと勘違いさせられる。そんな真実をかぐや姫と母の画で思い出させてくれる。その瞬間一気に無慈悲な音楽と化す。ものすごく冷めた、冷たい音楽。映画でここまでに無力さを感じさせられたことは今までに無かった。今までの常識が通用しない。決して勝てない。そんな強大な力。我々が理解し得ようはずもない者たちの存在。抵抗しても意味がない・・・そもそも抵抗する意味があるのか?・・・そんな気持ちにすらさせられる。 

・・・だから抵抗しないのか? そうではないんだ。この世界には自分の無力さを恥じ生きている人がたくさんいる。そんな人たちにこの映画は何を残し、何を伝えるのか。あきらめなのか継続なのか? 

 映画では月の者たちの迎えに対し、女中が子供たちとわらべ歌を歌いながらかぐや姫の心を取り戻そうと抵抗を試みる。穢れを知らない無邪気な子供たちと、真に穢れを知らない者たちとの対比という演出もすばらしい。結局かぐや姫は月に帰ってしまう。しかしこの行為がかぐや姫に母と父に別れをする時間・隙をつくり、父と母がかぐや姫に駆け寄る。決して無駄な抵抗ではなかった。一瞬にしても時間を作ることができた。そう受け取ってもいいのではないか。まぁ、かぐや姫は帰ります。この結果は決して変わりません。結果と過程どちらに重きを置くのか・・・。結果、なんですよね、結局は・・・。

 サスペンスものでよく用いられるネタバレや謎解きといった回想シーンを用いることなく、今までのかぐや姫の物語(成長過程)を想起させる、月の者たちが迎えに来るというラストの演出。見事なり。農村に拾われ村の子供との男と女の違いを印象付けたり、捨丸兄ちゃんにも別世界の人間だという違いを印象付ける。そこから月の導き?により求婚という手段を通して人間界最高権力の帝にまで辿りつく。その中で(自分の)幸せばかりを求めていたかぐや姫は、生きることは幸も不幸も含めてのことなのだと悟る。そんな生(幸、不幸に振り回される生き方)を汚れと見る絶対的な存在を前にして、人間界におけるかぐや姫の成長、詰まるところかぐや姫とそれに関わった者たちの生きた意味や意義を、月の者たちを前に抵抗の手段として何か方法は無かったのかと想起させる。観せ方としてはいきなりの絶望感ではなく、徐々に位を上げていき、誰にもどうしようもなかったのだと諭してくれる・・・といった感じか。「竹取物語」という原作ありきなのだが。尚更ラストの演出が活き、悲しさ、虚しさに包まれる。

〇芸術性 
 無慈悲な演出をできてしまうという才能に嫉妬する。ハッピーエンドを求めていた私にとっては、なんと無慈悲なという感情が湧きつつ、その無慈悲な演出ができることに感動と嫉妬を覚えてしまう。それすらも芸術と化すのか。なんという残酷さをお持ちだ・・・と。 原秀則の漫画「部屋においでよ」を思い起こした。うろ覚えなのだが内容としては、別れ間近のカップルがおり、男の方が写真展に出展する写真について悩んでいる。そこで彼女がモデルをかってでて撮影を行うのだが、彼は彼女が意図したものではなく、その関係の終わりが近付いているということを察している、一瞬の隙の切ない女性(彼女)の表情を写真に収め写真展に出展する。彼女は彼を思い写真展の写真のためにモデルにまでなったのに、彼女の意図したモデルの写真を使わずに、その表情をした写真を出展する。付き合ってる女の人に対して何たる仕打ちだと思うかもしれないが、そこに芸術性を見出し感動するものがいるというのが現実で、そこに情も何もない。求めるのは芸術性のみ。これがプロというものなのか。 

〇最後に 
 話はただの(これは失礼だな)竹取物語なのに、ここまでおもしろく観られるとは思わなかった(原作のおもしろさをちゃんと理解しておりません・・・)。正直ラストを観るまではジブリという補正の上に成り立つ芸術性なのだと思っていた。現代には浸透しづらい平安の世を舞台に、当時ならではのものすごいポエムや、ファンタジックな夢を見る者たち。ただのイタイ集団の集まりではないか。まあこんなもんかと。でもそこまでに感じる人間という存在を描いたのは、ラストのためだったのかと最後ガツンと思い知らされる。本当にこの映画には心を持って行かれた。久しぶりに観終わった後に高揚感が押し寄せ、あらゆるシーンを想起し、わらべ歌を口ずさんでいた。本当に感動した。ま~われ、ま~われ、ま~われ~♪♪

・罪と罰(補足) 
 かぐや姫は月にいながらに、地球での生活に憧れてしまった(罪)。 
 故に地球に飛ばされ、地球での生活を強いられることになる(罰)。 
 
 その中でかぐや姫は幸せというものを追い求めるようになる。自分の幸せである。もっと言えば負の感情が排除された自己満足の生活である。そんなかぐや姫も成長とともに人生における幸せとは、幸も不幸も合わせてのものだという見解に達する。幸せを望んでいたかぐや姫であるが、地球での不幸だと感じていた自分の生活こそが本当の幸せであった。しかしその見解に達した時には時すでに遅し。月からの迎えが迫っていた。月の者はかぐや姫が言う何年もかけてあらゆる人間たちと築き上げてきた幸せを汚れであると一蹴し、かぐや姫からそれを奪い去ることを真の幸せだと言う。(全くの)全否定ですよ。対極の位置に、別の世界に存在する者に何を言っても通用しない。理解しあえるはずなどないのだ。両者が平行線を辿るだけであればいい。しかしこれは絶対に逆らえない力に屈服するしかない。この絶望感足るや。是非とも味わっていただきたい。
 この絵柄で入りにくい方もいることだろう。ぐだぐだ中盤ダレてしまう方もいるだろう。他にも何かしら気になる点があるかもしれない。しかし最後必ず(とは断言できないが)全てがつながるはずだ。この世界観を堪能するには全ての要素が必要だったと。再度、是非。

0 件のコメント:

コメントを投稿

悪女 AKUJO(2017)

~アクションは爽快~ 〇はじめに  韓国ではこの方はイケメンの部類なの? 〇想起する作品  「ニキータ」  「アンダーワールド」(2003)  「KITE」(2014)  「ハードコア」(2016)  「レッド・スパロー」(2018)...