2016年12月25日日曜日

SCOOP!(2016)



~バディものとしてはおもしろい~


〇はじめに
 物足りないんだよね・・・

 福山雅治だからこそできるのだろうが、福山雅治だからこの程度になってしまうのだろうなという矛盾なのか限界なのか。結局は画面の中の彼をどう捉えるかだろうな。


〇想起する作品
 「クロスロード」(2015)


〇こんな話




〇ネック
 芸能人(著名人)は何も悪いことをしているわけではない。ただプライベートを隠し撮りされ晒されているだけである。仮に何かしら悪いことをしたとしても要はモラルの問題で、芸能人だからこういうことをしてはいけないのではなく、独りの人間としてどうなのかを問われるべきである。

 イメージが要の職業だからこそ彼らにとってはマイナスとなり、そんなイメージダウンを求めている者にとってはプラスとなる。雲の上の存在、ただ注目を浴びチヤホヤされている人間を見ると憧れを抱くものだが、逆に妬みもする。自らと同じ所に引きずり下ろしたくなる。この感情がスクープを欲する源だろう。自らと同じ人間なのだと。

 アイドルはトイレに行かない、毛なんて一本も生えていないツルツルだ馬鹿野郎と。黒には染まらない、常にピンク色だと。まぁそんなことは決してなく(もない?)、生理現象はあるし、性欲だって旺盛。何にでもヤリたい盛りだろう。これは実際ジャニーズを喰った女優が出ているのは皮肉なのかただの彼女の開き直りなのかは図り兼ねるものもある。どうせなら広瀬すずも出せば良かったのに。手越とか柏木だって良いよ。

 正確には隠されるからこそ暴きたくなる。芸能人という括りが狭いかもしれないが例えば劇中でも対立したグラビア(アイドル)。衣装の大小はあれど、貴重な部位が隠されているからこそ想像を掻き立たせられる。袋とじをイジる件があったが、とあるイメージを見せつけられもっと見たいと思わされるものがあるわけである。横顔に惹きつけられたとする。では正面ではどうなのか。足りない部分を補おうと様々な角度で検証し始める。勝手にイメージを膨らませていくわけだ。いざ脱ぐとそのイメージの幅が固定されてしまうもどかしさというものもある。
―――――
 福山雅治と二階堂ふみのまぐわいもまたスキャンダラスに取り上げたものと何ら変わらない行為であり、それをなぜ綺麗に描き出すのかと???が浮かんだが、これが二階堂ふみが最後まで脱がなかった要因だろう。だが最後まで脱いでほしかった。
―――――


 もっと正確には、隠しているわけではないんだけどね。単純に我々が有している情報がその芸能人という何かしら露出してくるものを継ぎ接ぎしただけのもので。これで勝手にその人間像を作り上げ、それぞれの価値観や経験則といったものからその人間を比較判断する。すると、キャラを作ってるんだろ?と。これが24時間365日のキャラであるはずがない。こんな人間いるはずがないと。ならば裏があるのだろうと勝手に勘繰り始める。そして妬み始める。ざっくり他人様の幸せを喜べないんですよね。相手側の幸せをひたすらに受け取り、自らはこんなにも不幸だということを嘆く。


 それが最後の件に活きてくるわけだ。チャラ源の暴走において仕事には使わない趣味のカメラを持っていく。ここで彼が仕事ではなくチャラ源に接する、つまりは彼のプライベートであると位置付けている。ただ野火はそれを撮ったに過ぎない。今までやってきたことと何ら変わりはない。

 芸能人のただのプライベートを撮り、芸能人にはマイナスに、それを求める者たちにはプラスに働く。

 今までこの構図でひたすらにやってきた事が、静のプライベートを映し出したそれではどう扱われるべきなのか。今までの彼らの行為から言えばスクープとはその対象を、引きずり下ろすモノだった。

 独りの人間の尊厳? 独りの人間のカメラマンとしての尊厳?

 ここが福山雅治がネックになるんだよね。どうしても彼だからという美を意識してしまう。彼の尊厳というより、彼の自己犠牲を引き合いに出してしまう。

 結局何を見たいかなんですよ。そこを中年パパラッチということでイメージを崩そうと試みているが、福山雅治であれば他に何かやりようがあるんだろという感覚を常に引きずってしまう。車が根城であることをデリヘルで観せたり、下ネタ連呼で堕としめたところから、でも実は情に厚いのだと観せたいのはわかるが、最初から正義になってしまってるんですよ。何かやってくれるんでしょと。人によっては、ですけどね。


 ただベテラン福山雅治と新人二階堂ふみとのバディものとしては中々おもしろく、その業界においてはずぶの素人であるものの、本人の自覚無くスクープを捉える起点となっていく、時に福山を追い越している場面は興奮を覚える。このタッグであればもしや・・・と想わせる。彼らの未来を想わせる。それが描けているからこそ、ラスト描き出したいことがあるのは尚更わかるのだが、やはり福山雅治という人間をどう捉えるのかというところが万人に伝わらないネックとなってしまっているのではなかろうか。

 福山雅治だからこそ描けたことと、福山雅治だからこそ描けなかったこと。

 これがこの作品の全てだろう・・・




〇余談 
 キューピーちゃんは笑ったな。

 ファインダー越しの真実ってところもあるのかな? 野火はカメラの中で静の生から死への瞬間を目撃している。カメラはその瞬間を捉えている。いや、固定したんだ。



〇最後に
  変に美を意識しなくてもよかったように思うけどな・・・ まぁこの辺りは感性の問題もあるからな・・・ 

  ではでは・・・  



0 件のコメント:

コメントを投稿

悪女 AKUJO(2017)

~アクションは爽快~ 〇はじめに  韓国ではこの方はイケメンの部類なの? 〇想起する作品  「ニキータ」  「アンダーワールド」(2003)  「KITE」(2014)  「ハードコア」(2016)  「レッド・スパロー」(2018)...