2016年12月9日金曜日

シン・ゴジラ(2016)

~日本~


〇はじめに
 良くも悪くも庵野秀明(知ったか)。これをどう受け止めるかだろう・・・ というよりエヴァかな・・・

 子どもたちが途中劇場を走り回りだしたのには焦った・・・


 私の感想を最初に簡潔にまとめておくのならば、

 海外映画(主にハリウッド映画)と比べると・・・、ではなく、そういった作品ありき、というよりも、そういった作品に浸っているだろう、且つ昨今経験した災害ありきと現状晒されているものがあっての日本人による日本人のための映画だろう。海外でどう評価されるかは関係無い。日本人がこの作品を良くも悪くも評価してやればいい。



〇想起する作品
 「インデペンデンス・デイ」(1996)
 「ブラックホーク・ダウン」(2001)
 「エボリューション」(2001)
 「殺されたミンジュ」(2014)
 「日本のいちばん長い日」(2015)
 「海難1890」(2015)

 「日本沈没」
  ・・・原作未読。漫画版既読。


 総じて「エヴァンゲリオン」




〇こんな話
 ゴジラの出現にてミゾウユウの事態に陥り、ゴジラの進化にて人類のはんざつを意識させ・・・




〇日本
 まずゴジラの上陸における政府の対応を観せたのはうまい。会議に次ぐ会議、連絡に次ぐ連絡、トップと現場を繋ぐ指揮系統の面倒臭さを観せた。そして頼りなさ。伝言ゲームだけで時間がかかるのに優柔不断さがそれに拍車をかける。段階や形式を踏まないと何も事を起こせない現行のシステム。


 ここで是非とも比べたい。「インデペンデンス・デイ」と。最初のエイリアンとの交戦シーン。当時最新鋭の戦闘機が全く歯が立たず退却する。大統領の命令を待たずして分隊長?のスティーブン・ヒラー大尉が現場で即座に撤退を指示しているのである。彼はその後もエイリアンとドッグファイトを繰り広げ勝手に捕獲に成功する。それが功を奏し事態は好転していく。こういった機転がこの作品には全く以て無いのである。アバウトなものがないのである。その場しのぎで何とか解決してしまうものが。これには舌を巻いた。とともに飽きた・・・くどいんだよね。敢えてなんだけどさ・・・ でもこれが最後ひっくり返るのよ。そうなんだよねと。これが日本の力なんだよねと。


 これは現行のシステムが悪いというのではなく、単に現行のシステムにおいて動きやすいように対策をしていないと言った方が正しい。いや、より正確にはそもそも事が起きないと対処しようがないとした方がいいか。良く言えば、あらゆる事態を想定しているが故に、あらゆる事態が起きたときのために、あらゆる方法をとれるように幅を持たせていると。

 この観点に法の解釈を挿んだのもすばらしかった。ゴジラをどこに位置づけ、何と定めるのか。こういった前提を基にどういった対策を立てるのか。映画の外で話題になっているのでそちらを参照した方が良いだろう。

 これを観せているおかげで、最初の上陸における自衛隊の出動の際、「目標が報告と違う」からと再度指示を仰ぐ場面。臨機応変さの欠如ではなく、とある前提ありきでどういった結果がもたらされるのかというある程度の想定を踏まえているが故の、被害を最小限に抑えるという気概であると見てとれる。さらには避難が遅れた国民がいるからと、自衛隊の弾を向けるわけにはいかないとの攻撃中止。




 想定外という言葉を中村育二にひたすらに言わせることで何とも馬鹿馬鹿しく響いてくるわけだが・・・。あの渋い声堪らんのよね。


 想定外の事態に対して脆弱なシステムをひたすらに観せ焦燥感を与えたからこそ最後のヤシオリ作戦が活きてくる。

 こちらとあちらでのそれぞれの作品内での描き方の問題が大きいのだが、アメリカにおける大統領と現場とを繋ぐ感情論における連携と、日本の総理大臣と現場とを結ぶ形式的なやり取り。この決定的な違いにおける総力戦の見せ方が堪らない。

 敵を強大に描けば描くほど自国の力を強め、想定外の事態をさらに起こしておいてその場しのぎともいえる付け焼刃な臨機応変な対応を施すことで何とかしてしまい万事解決とするのがあちらのやり方だろう。


 またもや「インデペンデンス・デイ」を例に出そう。大統領が戦闘機に乗り込むがあちらが弱点を見つけ出したのは最後の戦闘が始まってからである。つまりただシールドを外しただけで、現状保持している火力だけで、何ら対策を練らずに対応したわけである。勝算があるかもわからずにだ。


 しかし「シン・ゴジラ」は違うのである。最後のヤシオリ作戦において政治的判断が必要な場面があるからと最後の最後でとある分野のトップが現場に赴く。飽くまでも現場指揮官としてだ。ここからが肝である。

 ゴジラ体内の新元素に関する情報も土壇場ではあったが最終的にはそれも計画に加味され、作戦の立案が為されていた。そして観ていただけたらおわかりいただけるだろうが、終始作戦は想定の域を出ない。放射線量くらいか。いやそれすらも実は想定の域で、だからこそ現場に赴いているのである。この何次にも練られた計画が日本の強みなのである。

 想定外の事態には弱い現行のシステムではあるが、日本が想定した事態に対しては極力強いのだと。予防線の範囲、見積もりの幅が違うのである。ゴジラ一匹に対し、東京の何区をも焼け野原にしようとする米軍のアバウトな計画とはまるで違う。ピンポイント爆撃って何ですか?? 核落とせば何でも解決できるだろという杜撰な思考ではないのである。


 核の発射まで1時間を切っていたということで終わらせたのもニヤリとした。どうもあと数秒や、数分といったところで緊迫感を演出するものの多いこと多いこと。最後の最後でやっと発覚する新事実。ギリギリ感とでも言うのだろうか。これを前倒しで描いているのよね。根回しというカタチで。予防線よ。何通りかの未来を予見している。これらによりカウントダウンがリセットされたわけではないということの説得力も持たせられている。


 


 これね~、私のような政治的なことに関して疎い人は2回目以降の方がおもしろく感じると思う。1回目は劇中の政府の対応と同じく訳がわからないんだよね。何をしていいのか、どうやって映画を観たらいいのか。それが2回目だとこういった事態に陥るということが頭に入っているからそれの照らし合わせで、上陸2回目の対応目線で観られるのよ。何でも初めてのときは何をしたらいいのかてんてこまいになるが、それが慣れてくると・・・ってなことはいくらでも経験していることと思う。そうなったら強い。自信がつくのよね、ある程度の路線は定められているから。





 劇中のゴジラの形態変化は正確には進化ではなく変態として位置付けるべきであるが、人類が何億年もかけて変化してきた段階、海中生物から直立二足歩行に至るまでにたった数時間という脅威の一世代による進化を見せることに意味があったのだろう。現状地球の覇権を握っているのは頂点捕食者である人間であるわけだが、上位種が現れたらどうなるのか。ここを問うた?のもおもしろかった。




〇余談
 ゴジラ凍結作戦における-196℃は狙ってたんだよね? 氷結・・・


 ユンボのトランスフォームかっこよかったな~


 とりあえず自衛隊の火力がわからない。武器の変遷がイマイチピンと来ない・・・ 

 なんか→30mm砲?→戦車砲→〇対〇ミサイル→空爆(にも種類がある)→核だああああああ

 この辺りは他の方が考察してくれるだろう。「トランスフォーマー」とか「世界侵略ロサンゼルス決戦」で出てきたレーザー当てる誘導弾みたいなのは日本には無いのけ? いややってたのかな?

 いやでも迫力あったな~




〇最後に
 市川実日子えがったよね~ 個人的にツボなんですよね~

 ではでは・・・



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